韓国・北朝鮮の民族競技にシルム(朝鮮相撲)がある。
片足と胴のところに「サッパ」という帯を締め、双方腰を低くかがめて、相手のサッパをつかんでから競技が始まる。
シルムに土俵はなく、「仕切り」と「立ち合い」の妙味がある日本の相撲とはここが違う。
<烏頭山統一展望台> 力道山ラベルの酒が販売(22,000ウォン)されています。
プロレスの父 力道山は北朝鮮の英雄でもあります。
シルムの起源は古く、文献によると高句麗時代までさかのぼるという。
東アジアを中心に、朝鮮、中国、モンゴル、日本とそれぞれの相撲文化が花開いたのだろう。
戦後、日本のヒーローになった一人のプロレスラーは、シルムが縁で大相撲に入り、その実力・素質が認められた。
時は朝鮮が日本の植民地支配下にあった1938年端午の節句。
朝鮮半島咸鏡南道で行われたシルム大会で一人の若者が活躍した。
金信洛、のちの力道山である。
それをニ所の関部屋に出入していた日本人が見ていた。
それから・・・・・「力道山物語」が始まっていく。
小学生のころはテレビの力道山に熱中したものである。
1963年12月8日午後10時30分に、遊興中の赤坂のナイトクラブ「ニューラテンクォーター」で、暴力団住吉一家傘下の大日本興業構成員であった村田勝志と、足を踏んだ踏まない、で口論になり、馬乗りになって殴打したところ、村田に下から登山ナイフで腹部を刺された。
だが、自ら持ちかけた喧嘩ということもあり警察沙汰にはせず、知り合いの医師の勤める山王病院に入院。
12月15日に化膿性腹膜炎で死去した。
戒名は大光院力道日源居士。墓所は東京都大田区の池上本門寺の他に、故郷・長崎県大村市の長安寺にある百田家の墓所に分骨されている。