『梟の城』(99)
篠田正浩監督が、司馬遼太郎の直木賞受賞作を、工藤栄一監督、大友柳太朗主演の『忍者秘帖 梟の城』(63)以来、2度目の映画化。
太閤秀吉(マコ岩松)の時代、伊賀の乱で生き残った忍者・葛籠重蔵(中井貴一)は、ある日、元師匠の次郎左衛門(山本学)から秀吉暗殺の任務をもちかけられる。仲間や肉親を殺した織田信長への怨みを秀吉に重ね、計画を引き受ける重蔵。そんな重蔵の前に、かつての仲間で、今は武士としての出世を望む風間五平(上川隆也)が立ちはだかる。
映画全体の出来は今一つだが、SFXを使用したミニチュアと、CGと実写映像のデジタル合成を駆使して安土桃山時代を再現した作業は、映画の新たな可能性を示したともいえる。これは篠田監督の引退作となった『スパイ・ゾルゲ』(03)の昭和初期の再現にも引き継がれた。
司馬の忍者ものの中では、『果心居士の幻術』という短編が好きだった。
『スパイ・ゾルゲ』(03)(2004.8.23.)
うーんと、思わず唸ってしまった。悪い意味で…。歴史的事実を描いた映画は大好きだ。だから3時間を超える、この決して傑作とは言い難い映画も我慢しながら見ることはできた。けれどもそれは根気のいる作業だった。
篠田正浩監督は、この映画をもって引退するとか。正解だ。時代背景の重さの割に薄い印象しか残らない展開(『瀬戸内少年野球団』(84)もそうだった)、音楽の使い方のまずさ(『悪霊島』(81)での意味のない「レット・イット・ビー」と「ゲットバック」よりも、さらにあざとくしらじらしいこの映画での「イマジン」)、妻である岩下志麻の無意味な登場(この映画では厚顔にも篠田監督本人までが登場する)…。そのどれもが映画をしらけさせる。もう結構だ。
加えて、今回は国際的な事件を扱いながら、登場する様々な外国人がすべて英語で話すという始末。歴史的事実を描いているのにこれではあまりにもリアリティーに欠ける。細部にこだわったはずではなかったのか…。
それから、彼は一体リヒャルト・ゾルゲ(イアン・グレン)と尾崎秀実(本木雅弘)を通じて何を描きたかったのかも、いまひとつ明確に伝わってはこなかった。結構期待していたCGによる空襲前の東京の風景も何だかチャチで、どこに破格の製作費をかけたのかと空しくなる始末。
唯一の救いはゾルゲを演じたグレンの好演か。うーん、やはり唸るしかないか。
【今の一言】我ながら、酷評が過ぎると思う。当時の自分は、よほど虫の居所が悪かったのだろう。映画の評価は、見た時の自分の心理状態が微妙に影響するものなのだ。