『勝手にしやがれ』(59)(1981.11.26.八重洲スター座 併映はトリュフォーの『アメリカの夜』)
フランスが生んだ映画の新しい波=ヌーベルバーグの代表作とされ、映画の常識を変えたとも言われるこの映画をやっと見た。
矢継ぎ早に繰り出されるセリフ、モンタージュを排除した長撮りなどは、今では珍しくもないが、この映画が作られた頃は、さぞや同業者や観客を驚かせたことだろうとは思う。また、イタリアのネオリアリズムとは違った形の、街中での隠し撮りが独特の雰囲気を醸し出しているし、ジャン・ポール・ベルモンド(若い!)とジーン・セバーグ(きれいだ!)の演技も自然でさり気なく、特に奇をてらった様子もない。
ところが、ゴダールが邦題通りに「勝手にしやがれ」ってな感じで撮ったわけでもないのだろうが、こちらが映画に入り込む前に、映画自体がどんどん先に進んでいってしまう感じがして、原題通りに「息切れ」がして疲れてしまった。
もともとゴダールの映画は観念的で分かりにくいものが多い。そう考えれば、社会に反抗しながら悪事を重ねる男と、何となく彼とくっついている女というありふれた人物設定とストーリーを持つこの映画は比較的分かりやすいもののはずだ。ではなぜ疲れを感じたのか。
それは恐らくテンポの問題なのだろう。特に、フランス語ということもあるが、セリフのテンポについていけなかった気がする。何の意味もないような、それでいて何かをにおわすようなセリフを、こうも矢継ぎ早に繰り出されると、見ながら嫌な気持ちになってくる。
また、名ラストシーンと言われる、警官に撃たれて街中をよたよたと走っていくベルモンドを追った長撮りにしても、客席のあちこちから笑い声が聞こえたし、俺自身も、感動もしなかったし、すごさも感じなかった。これは、もはやヌーベルバーグも古い波になったということなのか。それとも、俺にはこの映画が理解できなかった結果なのか。
【今の一言】などと、約40年前の自分は書いているが、要するに、ゴタールの映画は性に合わないというだけなのだ。
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