「テレビ」と「平和」と「憲法」のblog

元ワイドショープロデューサー仲築間 卓蔵(なかつくま・たくぞう)のブログ

めでたくもありめでたくもなし

2013-01-02 09:47:15 | Weblog
 2013年が明けました。
 ぼくは、このところ「明けましておめでとうございます」と書いた記憶がありません。めでたかったかどうかは、一年が終わってみなければわからない。”天邪鬼”といわれるかもしれないが、こればかりはどうしようもない。
 一休禅師が詠んだ歌に、「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」というのがあります。気分は、まさにそれです。
 昨年の賀状は 『謹賀怒龍年』としましたが、さすがの龍も、総選挙の度に出現する”急拵え政党”の数の多さに戸惑ってか、マスコミの政局報道に目くらまされてか、怒りの矛先を見間違えたようです。
 ことしの賀状は 『謹賀庶民派蛇吐火年』です。
「あかつき新聞」の新年号に書かせてもらった一文を紹介して(手抜きかな)新年のごあいさつです。
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 謹賀・大蛇吐火年(温和しかった蛇も、火を吐く年になりそうです)。
 歴史的といわれた衆院選の大勢が判明した日、いろんな人からメールが届きました。友人の弁護士は、「小選挙区制度の悪弊とはいえ、酷い選挙結果。未だ立ち直れません。来年は護憲闘争の年になってしまいました」と。高校教師の友人からは、「昨日は一切の報道を見ませんでした。今朝の新聞では、小生の想像通りの結果で、憲法改悪が具体的になったとの思いを強くしています。ワイマール憲法下でナチスが台頭し、いよいよナチスが政権を取った時代に入ったと考えています。・・・もう一度、ナチスが台頭する時代の勉強をし直して、市民の力で”真の平和”を守り抜いていかねばならないと考えています」と。
 選挙結果への思いは、(ショックの差はあっても)誰も同じだったのではないでしょうか。

 そこで、あらためて考えたいのは「大手メディアの果たした役割」です。「その国の政治の水準を決めるのは、その国の国民の(政治的)水準」といわれますが、その国の国民(有権者)の考え方に影響を及ぼす一つの要因は大手メディアにあります。
 菅内閣がTPP(環太平洋経済連携協定)参加を表明したとき、大手メディアはこぞって後押ししました。野田内閣での、消費税は上げる、社会保障は切り下げる「一体改革」のときも、大手メディアは大応援団と化しました。米兵犯罪・普天間基地・オスプレイ配備で、日米安保条約問題が見えてきているにもかかわらず、そこに触れようとはしません。自民党が堂々と憲法改悪を掲げているにもかかわらず、真正面からとり上げようとはしませんでした。大事なことから「目を反らさせる」役割をつづけてきたのです。大手メディアにとって、いまや、反「財界」・反「アメリカ」はタブーになっているのです。維新の会の橋下某を「人気者」にしたのも、もとはといえば特異なパフォーマンスの弁護士を起用するテレビ番組でした。これは視聴率(至上)主義のなせるわざです。

 こころあるメディア関係者は、内部、外部を問わず、読者・視聴者に信頼してもらえる努力を少なからずしていますが、資本の論理(利潤追求)も前には力足らずです。大手メディアが真に読者・視聴者の立場に立つのを希むのは、「百年河清を待つ」に等しいといっても過言ではないでしょう。

 どうすればいいか・・・。改憲の発議が可能(衆議院で)になったいま、わたしたちは、大手メディアの「姿勢」を問いつづけながら、一方で、広告主(大企業)に対してもの申す(「戦争をする国にいいのですか」「原発をつづけて」と)時期にきています。
 同時に、大手メディアが「知らせない」のであれば、わたしたちで「知らせ合う」ことが必要です。オルタナティブ(もう一つの)メディアの出番です。
 「あかつき新聞」などの業界紙、職場新聞、地域新聞などは、まさにオルタナティブメディアです。これらが活発になれば、大手メディアが「しまった!」と気づく時期がくるに違いありません。各地で「蛇が火を吐く年」にしたいものです。
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 新内閣は、早くも「原発再稼働」「集団自衛権行使」「TPP参加」、教科書の「近隣諸国条項見直し」をいいはじめ、安定政権(独裁)のために「参院選勝利」の檄をとばしています。
 7月予定の参院選は、「独裁」の誕生を許すかどうかの、まさに歴史的な選挙戦になることになります。メディアにとっても「真意」が問われることになります。ぼくもも、情勢にふさわしい行動をしなければ・・・と決意し直しているのです。
 ことしもよろしくおつきあいくださいませ。



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2 コメント

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change (noga)
2013-01-03 05:19:33
日本人には、目指す世界がない。
むしろ、何も動かないのが、天下泰平の世の中であり、伝統的にそれを人民が願っているのだ。
「我々はどこから来たか」「何者であるか」「どこに行くか」という考え方はない。
日本語には、時制 (過去・現在・未来の世界を分けて考える考え方) がないからである。
一寸先を闇と見る政治家たちに行く先を案内されるのは不安でたまらない。
つかみどころのない人間ばかりの社会では、とかくこの世は無責任となる。
国がひっくり返っても、責任者は出なかった。その責任感の無さ。

人にはいろいろな意見がある。
だから、社会のことは、政治的な決着が必要である。
万難を排して、原発は再稼働を停止する。
これは、終戦詔勅を受け入れる時のようなものである。人の命の問題である。
耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、もつて万世のために太平を開かんと欲す。

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わかりやすい (仲ちゃん)
2013-01-03 10:00:43
nogaさん
「終戦の詔勅を受け入れるような時のものだ」というのがいいですねえ。
原発ゼロについていろんな表現がありますが、これは(とりわけ年輩の人に)またわかりやすい。
「もって万世のために太平を開かんと欲す」ですね。
この切り口に拍手です。
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