「テレビ」と「平和」と「憲法」のblog

元ワイドショープロデューサー仲築間 卓蔵(なかつくま・たくぞう)のブログ

夏目漱石の孫

2005-10-15 23:17:33 | Weblog
鎌倉市長選挙が 10月16日告示 23日投票ではじまる
立候補者は3人 現職市長と宮城県で浅野知事の配下だったという女性。そして 夏目漱石の孫 仲地漱祐だ。
仲地さんは 去る6月10日におこなわれた「鎌倉九条の会」講演会を 一度は「市の後援としていたものを 突然 反故にしてしまった」現市長の姿勢を批判し かねてから要請されていた出馬の決心をした
女性候補も 九条を掲げていることから 「一本化」の話が持ち上がり 双方で話しあいが続けられたが 一致できなっかった。
彼女の姿勢は 「誤解してもらっては困る わたしは護憲ではない」である。
        話し合いの終盤で 彼女の「会」の代表は 「四年間限定で 護憲とい        うのではどうでしょう」という。
        なんでもありの「一本化」交渉である。
        彼女は 行革推進派でもある 現市長は 今後 職員150人へらすとい
        う。それい対抗するように 「わたしは160人」だという。
        ゴミの有料化に取り組むと言う。
一致できないのは当然である。
いよいよ選挙戦に入る。

なかち漱祐さんは 名前に「漱」の字があるように 夏目漱石の四女の息子である。ほとんどの人は漱石の孫だなんて知らなかった。
鎌倉に 漱石の風が吹き始めた
かれのモットーは「弱きを助け 強きをくじく」である。反骨に生きた漱石のこころを彷彿させる。
漱石は 「百年の後に生きる」という言葉を多用している。文学史に名を残すのではなく
自分のこころが 生きて人々のこころに甦るということである。
漱石没後90年 漱石のDNAが 漱祐さんに現れたのかもしれない。

「草枕」の 兎角に人の世は住みにくい・・・のあとに 「住みにくければ 住みやすくしなければ」と言っている。鎌倉を 住みやすい場所にするために 漱祐さんは頑張っている。
ぼくは 宣伝部長として頑張っている。

夏目漱石の孫

2005-10-15 23:16:34 | Weblog
鎌倉市長選挙が 10月16日告示 23日投票ではじまる
立候補者は3人 現職市長と宮城県で浅野知事の配下だったという女性。そして 夏目漱石の孫 仲地漱祐だ。
仲地さんは 去る6月10日におこなわれた「鎌倉九条の会」講演会を 一度は「市の後援としていたものを 突然 反故にしてしまった」現市長の姿勢を批判し かねてから要請されていた出馬の決心をした
女性候補も 九条を掲げていることから 「一本化」の話が持ち上がり 双方で話しあいが続けられたが 一致できなっかった。
彼女の姿勢は 「誤解してもらっては困る わたしは護憲ではない」である。
        話し合いの終盤で 彼女の「会」の代表は 「四年間限定で 護憲とい        うのではどうでしょう」という。
        なんでもありの「一本化」交渉である。
        彼女は 行革推進派でもある 現市長は 今後 職員150人へらすとい
        う。それい対抗するように 「わたしは160人」だという。
        ゴミの有料化に取り組むと言う。
一致できないのは当然である。
いよいよ選挙戦に入る。

なかち漱祐さんは 名前に「漱」の字があるように 夏目漱石の四女の息子である。ほとんどの人は漱石の孫だなんて知らなかった。
鎌倉に 漱石の風が吹き始めた
かれのモットーは「弱きを助け 強きをくじく」である。反骨に生きた漱石のこころを彷彿させる。
漱石は 「百年の後に生きる」という言葉を多用している。文学史に名を残すのではなく
自分のこころが 生きて人々のこころに甦るということである。
漱石没後90年 漱石のDNAが 漱祐さんに現れたのかもしれない。

「草枕」の 兎角に人の世は住みにくい・・・のあとに 「住みにくければ 住みやすくしなければ」と言っている。鎌倉を 住みやすい場所にするために 漱祐さんは頑張っている。
ぼくは 宣伝部長として頑張っている。