「テレビ」と「平和」と「憲法」のblog

元ワイドショープロデューサー仲築間 卓蔵(なかつくま・たくぞう)のブログ

ソマリア問題とテレビ

2011-08-18 14:52:12 | Weblog
 東日本大震災の収束の、先は見えないままですが、ちょっとソマリアに目を向けてみましょう。
 世界保健機関(WHO)は8月12日、干ばつによる深刻な食料不足に見舞われている東アフリカのソマリアで、コレラ感染が広がっていることを明らかにしました。衛生状態の悪化が原因といい、今年に入り首都モガディシオでは181人がコレラの疑いで死亡したといいます。患者の7割以上が体力の弱い5歳以下の子どもといいます。

 そんなとき、日本テレビ系ニュース番組『ZERO』が8月16日、現地取材を交えてソマリア問題をとりあげていました。感心しましたねえ。
 ソマリアは長い間内戦がつづいています。疲弊しきっている人々に追い打ちをかけるような干ばつなのです。番組は、ソマリアから隣国ケニアに歩いて避難する人々の姿を伝えていました。ケニアが(避難民を)受け入れる許容量は9万人だそうですが、すでに44万人が流れてきているといいます。食料も 水も 医療体制も不足しています。「世界最大の危機にある」と報じていました。映像はその惨状を伝えていました。
 とかく見落としがちなソマリア問題をとりあげたことに敬意です・・・・・が、男性キャスターのコメントには違和感をおぼえましたね。「終わりよければ すべてよし」という言葉がありますが、終わりの一言で 折角の番組を「平易」なものにしてしまう場合があるのです。
 彼の一言は、「日本は、東日本震災で外国に支援されてきた。そんな時だけれど なんとかソマリア支援を考えねば・・・」でした。そんな程度のコメントなら 子どもにだって言えることですよ。もう少し掘り下げた発言にならないのでしょうかねえ。

      閑話休題 ソマリア沖の「海賊対処法案」が審議されたのは2009年4月でした。
           24日本会議採決というスケジュールを 1日前倒しで採決を強行しました。
           その日(23日)何が起きたか。SUMAPの草薙某が赤坂の公園で 深夜、大声で暴れた?というので
           メディアは大騒ぎしたのです。彼の拘留は1週間つづきました。その間、メディアは(とりわけテレビ
           は)「海賊対処法案」のことなどそっちのけで草薙報道に目を向けつづけたのです。
           えてして、大事な時期に おかしな事件が起きるのです。

 「海賊対処法」は、自衛隊を海外へ派兵できるようにするための法案でしたよね。法案さえ通ってしまえば「一丁あがり」です。その後、ソマリア沖海賊問題がどうなっているのかなんて、大手メディアは無関心です。
 ソマリア問題を考える素材はあったのです。
 8月10日の衆院海賊テロ特別委員会はその一つでしょうね。赤嶺政賢議員が「2008年以来海賊対策として東アフリカ・ソマリア沖に各国が軍隊を派遣しながら、海賊行為の発生件数は逆に増加している」として、自衛隊派遣をやめるべきだと求めていました。
 赤嶺議員によれば、「今年の海賊行為の発生件数は177件と昨年同期比で1.6倍、発生地域は遠くインド洋やモザンビーク海峡にまで及ぶ」「軍隊が派遣されていない地域に発生場所が移っただけで、いたちごっこだ」とも。
 松本外相の答弁は「広い海ですべてをカバーすることは大変難しい」といいながら、「目の前にある犯罪を取り締まらなくてはいけない」です。
 赤嶺議員は、「大干ばつによる飢饉で危機的状況にあるソマリアに対しては、内戦終結と貧困解消など根本的な問題解決で役割を発揮すべきだ」と主張していました。・・・・・キャスターに この「視点」があったら 「鋭い番組」という評価につながったと思うのですが、どうですかね。
 ソマリア沖を航行する民間船舶の対応方針=「ベスト・マネージメント・プラクティス」(昨年6月公表)は、
 18ノット以上で航行していれば海賊に乗り込まれない。
 水面より8メートルを超える高さがある船舶は攻撃を回避できる可能性が高い。
と指摘しているといいます。「海軍の力だけでなく、船舶自らも防衛力を高める』必要がある とも。海運業界自身の努力も大事なんですね。

 ソマリア問題にしろ、原発問題にしろ、根本的な問題解決が求められるきょうこの頃なのでしょうね。

前田武彦さんが逝った

2011-08-06 12:54:08 | Weblog
 8月5日。元スポーツニッポンの記者・Mさんから「前武さんが亡くなった」という連絡が入った。
 「タレントの誰か 談話を出してくれる人はいないか」という。「大橋巨泉さんは、いま海外でちょうど睡眠中でだめだ」という。前武さんといえば、巨泉さんとのコンビでテレビ界に名を残した『ゲバゲバ90分!』のプロデューサー井原高忠さんしかいない。
 井原さんが(長い間ハワイに住んでいたが、ハワイの喧騒に嫌気をさしてアトランタに移り住んだ。しかし、どうも肌に合わないらしくて、再び、今春ハワイに戻っている)ハワイだということをMさんは知らない。ぼくも、度々メールのやりとりはさせてもらっているが、電話は知らない。井原さんの東京の連絡先は、たしか曲直瀬プロダクションである。
 どうやら連絡がとれたらしい。
 6日のスポニチと東京新聞が、大きく「名司会者前田武彦さん死去」を報じた。
 井原さんの談話は(「戦友の一人がまた旅立った」という小見出しで)「嗚呼、また共にテレビの開拓時代を過ごした戦友が一人逝ってしまったか、という思いです。同時代に生きた仲間である彼にとって、きっと今の日本は腹立たしいことだらけだったと推測します。楽しかった”あの時代”の思い出を胸に旅立ったことでしょう」である。いい談話である。

 ぼくが労働組合運動にのめり込んでいくまでは番組宣伝のしごとをしていた。
 前武さんとのつきあいは長いが、残る思い出は二つある。
 『天下のライバル』(井原さんがプロデューサーだった)の司会に起用されたのが前武さんだった。麹町のマンションの一角に事務所があった。番組タイトルを将棋の大山康晴名人に書いてもらおうと阿佐ヶ谷の自宅にお伺いした。名人の奥さんが「あなた麻雀がお好きなの?。だったら主人とおやりなさいよ」という。名人とやるなんてと興奮したものだが、次の言葉を聞いて尻尾を巻いた。「一度はお勝ちになるかもしれませんが、二度目からはだめね」とおっしゃる。「主人は、一度牌に触れると全部憶えてしまうのよ」とおっしゃる。当時の牌は竹でできていた。竹の「目」が一つひとつ違う。名人は、それを憶えてしまうというのだ。名人にしてみれば、牌を表にしてやるようなものである。お手合わせは遠慮させてもらった。
 色紙を書いてくれると言う。「麻雀が好きなら」と書いてくれた文字は『天和』(テンホー、親の役満)だった。この色紙、いまも身近なところに大事に飾ってある。(これは前武さんと直接関係ないが)前武さん司会番組を通しての思い出のひとつである。
 二つ目は、『ゲバゲバ』である。
 その頃、藤原弘達さんの著作『創価学会を斬る』をめぐって、「言論・報道の自由」についてのたたかいが起きていた。
 「文京公会堂で集会がもたれるが、誰か話してくれる人はいないかねえ」と相談された。
 たまたま居合わせた前武さんに話したところ、「行ってもいいよ」という。
 『ゲバゲバ』は、ハナ肇さんの「アットおどろくタメゴロー!」をはじめとして、ギャグの多くは収録されていたが、巨線さんと前武さんの司会は生放送である。その時々の社会情勢を二人がトークするのだから、生放送は当然である。『ゲバゲバ』がうけたのは、練りに練ったギャグの面白さ、テンポのよさのほかに、二人の生トークが評価されていたからだと思う。
 リハーサルの合間に、二人で文京公会堂に駆けつけた。前武さんが何をしゃべったか、まるで記憶にない。
 慌てて帰ったら、巨泉さんが「どこに行ってたのよ」と訊いてきた。生半可な返事でごまかした記憶がある。
 井原さんには無許可でやってしまった。もし、リハーサルに間に合わなかったら(井原さんは 時間には厳しいひとだったから)どんなことになっていたか。いま考えても冷汗ものである。井原さんには、ずっと後になって打ち明けた。と思っている。たあさま(ぼくは井原さんのことをこう呼んでいる)あのときは、無断でごめんなさい。

 前武さんは、その後、フジテレビの歌番組で、日本共産党の(たしか大阪選出の沓脱たけ子さんだったか)参院議員の当選でバンザイをやったとかで話題になったが、真相は知らない。でも、前武さんとはそんな人である。
 その後、かなり経って、川崎あたりの生涯学習センターで前武さんといっしょに(テレビについての)シンポジュームをやったことがあるが、それがお会いした最後である。
 一昨年、井原さんの「傘寿」の会が赤坂プリンスホテルで華やかに催されたが、その席に前武ご夫妻も参加されていたという。お会いしておけばよかった。萩本欽一さんなどと喫煙所でたむろしていたのがよくなかった。
 あのとき参加していた井上ひさしさんも、もういない。
 井原さんではないが、「今の日本は腹立たしいことだらけ」だけに、「もの言う人」が逝ってしまうのは口惜しい。
 前田武彦さんのご冥福を祈りながら・・・・。

 8月6日8時15分。NHKの「広島平和記念式典」の中継を見ながら黙祷しました。
 9日、長崎では また山里小学校の児童たちが「あの子が生きていたならば」を歌うのだろう。