欽ちゃんこと萩本欽一さんには 根っからの「演出家」の血が流れているようだ。
欽ちゃん球団「茨城・ゴールデンゴールズ」の選手の何人かが 北海道遠征中に淫行に及んだという。
極楽とんぼというお笑いがいたことをはじめて知った。
欽ちゃんは「ぼくの責任だ」「野球に失礼だ」といって野球を辞めることを宣言した。
「潔い」という意見もあった。「みんなと相談すればよかったのに」「希望をもってプレーしている選手はどうなるのだろう」など批判的な声も出た。
後援会やフアンが署名活動を展開した 「欽ちゃん辞めないで」コールが湧き上がった。
かなりの署名が集まった。
社会人野球のことはよく知らないが 各地を転戦しているところをみると リーグ戦の最中なのだろう。「茨城・GG」が消えてしまったら そのリーグ戦はどうなるのだろうと心配したものである。
チームは解散することなく 数日後は新潟で試合することになっていた。
欽ちゃんがくるかどうか 観客もメディアも注目していた。
欽ちゃんは現れた。
「やめるんじゃねえよ!」という声が飛んだ。「ユニホーム着替えてこいよ」という声も飛んだ。
辞めると言ったとき 彼は「ゴメン」と言った。この日 二度目の「ゴメン」を言った。
ユニホームに着替えて再登場。興奮は最高潮。
試合開始である。
感心したのは (青島健太さん監督の)相手チームに 「9回表裏をやってくれない?」と提案したことだ。青島さんは了承した。
9回はゼロゼロで終わった。
そして試合開始である。
グランドで 一つの区切りをし グランドで再出発の意思表示をした。
すごい演出である。
水の流れのような 何の抵抗も感じさせない進行である。これほどの効果を 最近見たことがない。
「客」と「演者」との関係を長い間経験してきた欽ちゃんの 自然に備わった「演出力」である。
それからというもの 各局のワイドショーから引っ張り凧である。
その出方も 「謙虚」そのものである。あまり喋らないから 周りが喋る。嫌味をいう人なんているわけがない。
欽ちゃんはポツリと言った 「欽ちゃん球団でなくて これからは市民球団だ」「そこに気づいていなかった」と。
野球も「社会的存在」であることを知らせたのだ。
「迷惑かけない。市民に支えられているということを考えながら野球をやっていく」と言った。
この僅かな期間の「欽ちゃん騒動」で欽ちゃんが残したものは 「社会的存在」論だと思う。
振り返っていまのメディア状況を見てみよう。視聴者 読者の立場に立って考えるという考え方が メディアの血管に流れていない。そのほとんどが自分たちの都合でつくられている。
茨城・GGの存続だけを見て「欽ちゃんありがとう」では なんともやりきれない。
「社会的存在」の認識について ハッと思い至るべきだと思うのだ。
ぼくの考えすぎだろうか。
□ 報道によれば 茨城・GGの選手の中に Yさん以外にも淫行に及んだ者がいたとか。
悲しい限りです。
しかし 「欽ちゃんメッセージ」は消えるものではないでしょう。
あらたな事態で 経過を全否定するのでなく 「社会的存在」論は生かしていきたい
ものです。
欽ちゃん球団「茨城・ゴールデンゴールズ」の選手の何人かが 北海道遠征中に淫行に及んだという。
極楽とんぼというお笑いがいたことをはじめて知った。
欽ちゃんは「ぼくの責任だ」「野球に失礼だ」といって野球を辞めることを宣言した。
「潔い」という意見もあった。「みんなと相談すればよかったのに」「希望をもってプレーしている選手はどうなるのだろう」など批判的な声も出た。
後援会やフアンが署名活動を展開した 「欽ちゃん辞めないで」コールが湧き上がった。
かなりの署名が集まった。
社会人野球のことはよく知らないが 各地を転戦しているところをみると リーグ戦の最中なのだろう。「茨城・GG」が消えてしまったら そのリーグ戦はどうなるのだろうと心配したものである。
チームは解散することなく 数日後は新潟で試合することになっていた。
欽ちゃんがくるかどうか 観客もメディアも注目していた。
欽ちゃんは現れた。
「やめるんじゃねえよ!」という声が飛んだ。「ユニホーム着替えてこいよ」という声も飛んだ。
辞めると言ったとき 彼は「ゴメン」と言った。この日 二度目の「ゴメン」を言った。
ユニホームに着替えて再登場。興奮は最高潮。
試合開始である。
感心したのは (青島健太さん監督の)相手チームに 「9回表裏をやってくれない?」と提案したことだ。青島さんは了承した。
9回はゼロゼロで終わった。
そして試合開始である。
グランドで 一つの区切りをし グランドで再出発の意思表示をした。
すごい演出である。
水の流れのような 何の抵抗も感じさせない進行である。これほどの効果を 最近見たことがない。
「客」と「演者」との関係を長い間経験してきた欽ちゃんの 自然に備わった「演出力」である。
それからというもの 各局のワイドショーから引っ張り凧である。
その出方も 「謙虚」そのものである。あまり喋らないから 周りが喋る。嫌味をいう人なんているわけがない。
欽ちゃんはポツリと言った 「欽ちゃん球団でなくて これからは市民球団だ」「そこに気づいていなかった」と。
野球も「社会的存在」であることを知らせたのだ。
「迷惑かけない。市民に支えられているということを考えながら野球をやっていく」と言った。
この僅かな期間の「欽ちゃん騒動」で欽ちゃんが残したものは 「社会的存在」論だと思う。
振り返っていまのメディア状況を見てみよう。視聴者 読者の立場に立って考えるという考え方が メディアの血管に流れていない。そのほとんどが自分たちの都合でつくられている。
茨城・GGの存続だけを見て「欽ちゃんありがとう」では なんともやりきれない。
「社会的存在」の認識について ハッと思い至るべきだと思うのだ。
ぼくの考えすぎだろうか。
□ 報道によれば 茨城・GGの選手の中に Yさん以外にも淫行に及んだ者がいたとか。
悲しい限りです。
しかし 「欽ちゃんメッセージ」は消えるものではないでしょう。
あらたな事態で 経過を全否定するのでなく 「社会的存在」論は生かしていきたい
ものです。