「テレビ」と「平和」と「憲法」のblog

元ワイドショープロデューサー仲築間 卓蔵(なかつくま・たくぞう)のブログ

アナログテレビ放送打ち切り強行に抗議する!

2011-07-26 14:13:58 | Weblog
 7月24日正午。アナログテレビから番組は消え、「ご覧のアナログ放送の番組はきょう正午に終了しました」という画面に切り替わった。
 58年間つづいたアナログテレビ放送が、「放送終了は延期してくれ!」という声を無視して、ついに強行された。
 このための電波法改定がなされたのは2001年である。2011年7月24日にデジタル放送完全移行が決められた。「移行予定の1年前になったら、デジタル受像機の普及状況を調査し、その時点で移行するかどうか判断することにしたらどうか」(日本共産党の提案)は否決された。、
 「デジタル元年」と宣伝しはじめたのは2003年である。東京・名古屋・大阪からはじまった。7年余経ったが、難視聴地域は解消されていない。ぼくの住む鎌倉も、(市役所の屋上や大船に中継用アンテナを立てたりしているが)谷戸(山と山の間)が多い地域がきちんとカバーされているかどうか定かではない。非課税世帯のみなさんがどうなっているのかも定かではない。デジタル化にともなっては、技術的に見れない地域があるだけではない、ジャーナリストの坂本衛さんは、「80歳以上のみ世帯250万の地デジ普及率が不明なままアナログ放送を打ち切った棄老政策は、政府と放送局の一大汚点だ」「当事者企業と政府がウソをつき、学者もメディアも黙認する点で、地デジ問題は福島第一原発問題とよく似ている」という。そのとおりである。

 あちこちでテレビの話をさせられてきたが、その都度、冒頭に「地デジ問題」に触れた。
 「テレビの歴史は 1953年の白黒テレビからはじまった。やがてカラーテレビに移行した。このときは 白黒の受像機でも番組をみることができた」「だが、デジタルにれば(従来の受像機では)見ることが出来ない」「難視聴地域が解消され、高齢者世帯、買い替えることができない(生活するだけで精一杯の)人たちが、後期高齢者医療制度がなくなり、賃金が上がり、そろそろ買い替えようかと思える時期まで延期すればいい」「このままで完全移行はムリだ」と言ってきた。「慌てて、ムリして買い替えなくていいね?」という質問に、「完全移行の条件は整っていない。テレビは、いまや生活の一部。見れない、買い替えできない人たちを見捨てるのは、文化の問題であり、民主主義の問題」と言い続けてきた。真実、そう思ってきた。いまもその考えに変わりはない。この、日本という国は、いったい誰のための国なのだろうか。ぼくは、テレビ技術の発達に「異」を唱えるものではない。
東北3県(岩手、宮城、福島)は、「来年3月まで(移行を)延期」したが、これに対して、日本民間放送連盟の広瀬道貞会長はこんなコメントを出している。「この時期に政府が被災3県のアナログ放送の延長を表明したことは極めて残念である」と。いったい 何を考えているのだろうか。被災地のみなさんの生活は、いまだに先行き不透明である。「3県延長したとしても、多くの人は広く各地に避難生活している。被災者のための延長なら全国一律に延長すればいいではないか」という人もいる。至極ごもっともな意見だと思う。
 放送に関する研究は今後も進むだろう。新技術を取り込む受像機だってできてくるだろう。その場合、買い替えることができる人はどんどん替えればいい。
 何度も言うが、完全デジタル化問題は、有無を言わさず「買い替えさせられる」ところにある。「買い替えないものは放っておけばいい」という政策に腹が立つ。まるでファシズムではないか。
 これで、テレビに対する信頼度は、さらに低下することになるだろう。7月24日は、「悲しい日」として残ることになる。

成功裏におわった7.18日比谷公会堂 

2011-07-22 13:00:41 | Weblog
 半年かけて準備した”上野の森に「広島・長崎の火」を灯しつづけて20年”「2011非核・平和をうたうつどい」
 暑い最中でしたが、1700人を超える参加で 無事終了しました。
 予定の2時間50分を「3分オーバー」しただけでしたよ。発言者が、時間をきちんと守ってくれたのが成功の第一の要因でしたね。みなさん ごくろうさまでした。
 このイベントは 「JCJCAST](インターネット)で生中継されました。現在は録画されたものが放送されていますから、ゆっくりご覧下さい。
 インターネット中継だけでなく、舞台の看板やスクリーン用の映像など裏方は「マスコミ九条の会」が手伝ったりしたのですよ。ま うまくいったと思いますね。

 鎌倉から参加してくれた女性Uさんが、メールで感想を寄せてくれました。
 「まず、初っぱな子どもたちが可愛くて・・・いい演出でした」と。
       合唱構成「ぞうれっしゃがやってきた」のことです。これは、ぼくの演出と関係ないのです。長い間歌い続けて
       きた成果なのです。もはや完璧の舞台といっていいでしょう。
       子どもたちは、いつもすばらしいのです。
       戦争中、各地の動物園では動物たちが次々に殺されました。そんな中、名古屋の東山動物園では象たちを必死で
       守り抜きました。
       「本物の象が見たい・・・」。そんな東京の子どもたちのために、特別仕立ての「象列車」が走ったのです。
       実話にもとづいた合唱構成なのです。

 「印象に残ったのは”灯”の主人公の山本達雄さんとお婆さん。何かそこら辺で見かける、近くにいる感じの人たちなのに、
 歌が上手かったりして・・・感激しました」と。
       カンタータ「この灯を永遠に」のことです。
       作曲・指揮の安藤由布樹さんに、短かめのバージョンにしてもらいました。
       福岡県星野村から出征した一兵士山本達雄さんが、広島から大事に持ち帰った「火」にまつわる物語です。
       達雄さんにとっては「恨みの火」でしたが、やがて「平和を求める火」に変わっていきます。
       このカンタータは、まだまだ進化していくでしょう。
       達雄さんの息子の拓道さんと、八女市長(星野村は合併されました)の三田村統之さんが遠いところを参加して       くれました。星野村の「火」は灯りつづけます。
       いま、全国に45ヶ所 「火」は灯されています。ぼくの住む大船の「大船観音」にも灯っているのです。

 「あと、残留孤児のみなさんの訴えも心に残りました。素晴らしい演出だと思いましたよ!」と。
       ここにも演出なんて存在しないのです。中国残留日本人孤児のみなさんの 語る中身がよかったのです。
       「中国では”日本人だ”と軽蔑され、日本に帰ったら”中国人だ”と軽蔑されてきた」そうです。それでも、
       「私たちは日本人です」と。そして、「これから 日本のみなさんに恩返ししたい」と。

 「ただ、残念ながら人の出入りや カメラマンがウルサかった。次回は後ろの出入り口とか、アナウンスした方がいいかも。
 本当にお疲れ様でした。大盛況で良かった 〃 〃」とも。
       舞台の合間に、客席の後ろで雰囲気を見ましたが、そんなこととは知りませんでしたね。観てくれている人の
       立場で考えることは大事です。Uさん ありがとう。

 合唱の合間に、福島県農民連事務局長・根本敬さんが「思い」を話してくれました。背景に「復旧・復興は 被災者が主役で」という大きな看板を下ろしました。この看板は この一瞬のためにつくったのです。
 あえて「演出」というなら「看板」ですね。緞帳の上手の花道に「2011非核・平和をうたうつどい」という大きな看板を置きましたね。途中、あげたり下げたりしたのが 「上野の森に”広島・長崎の火”」(これは上手)「灯しつづけて20年」(これは下手)です。最後に下りてくるのが 「繰り返すまい!広島・長崎・福島 上野の森の灯を 日本の各地に そして世界に」です。インパクトがあったと思いますよ。(我田引水)

 被爆者の代表と 「灯す会」の木村康子さんが 東照宮に灯されるまでの経緯を話してくれました。
 前日おこなわれた「灯す会サミット」について山口義夫さんの報告があったり、被爆者、大空襲犠牲者、沖縄民間戦争被害者(弁護士の瑞慶山茂さんの「瑞」が「端」になっていました。古くからおつき合いしている瑞慶山さん。失礼いたしました)、中国残留日本人孤児。そして、若者代表で話してくれたのはプロボクシング元日本ウエルター級チャンピオン・小林秀一さん。
いまは街のお豆腐やさんをしながら「核廃絶」運動に取り組んでいます。彼の提起で21万羽の折鶴が取り組まれています。21万という数字は 広島・長崎で亡くなった人の数です。みなさんによって折られた鶴は 広島・長崎の平和大会に届けられます。この日 折られた鶴は800を超えたそうです。
 被爆者、大空襲犠牲者の話の背景に 悲惨な状況が描かれた絵が映し出されます。「はじめて聞きました」というひともいましたね。それだけでも この日の「つどい」の意味があったと思いましね。

 エンディングは、女性合唱で『一本の鉛筆』(美空ひばりさんが、第一回広島平和音楽祭で歌ったもの)、『原爆を許すまじ』、『青い空は』です。
 『原爆を許すまじ』のところで、舞台中央に「ボッ」と火が燃えました。だれも知らないサプライズの趣向です。舞台の袖で思わず涙ぐんだのは どうしてでしょうかね。
 この「火」は、日比谷公会堂の副館長・藤村恭一さんの協力によるものでした。ありがとうです。
司会は(都教祖の)古沢美代子さんでした。ゆっくりした司会ぶりは玄人はだしです。なにかの機会に またお願いしようと思っているのです。おつかれさまでした。
 
なにはともあれ、無事に終わってよかった。
参加された方々の胸に、平和の「火」が あらためて灯ってくれればうれしいですねえ。
 また暑くなるようです。お互い 健康に留意していきましょうね。

上野の森の”広島・長崎の「火」”をご存知ですか?

2011-07-08 23:01:23 | Weblog
 パンダで賑わう東京・上野動物園。
 戦時中(太平洋戦争)、多くの動物園の猛獣たちは殺されていきました。上野動物園も例外ではありませんでした。
 その上野動物園の隣。上野東照宮の一角に「広島・長崎の火」が灯されているモニュメントがあるのです。
 この「火」は、福岡県星野村(現在は八女市)から出征した一兵士山本達雄さんが、広島の焼け跡から持ち帰った「火」です。
 この「火」は、星野村に灯されました。いまも灯されつづけています。

 この「火」と、長崎の原爆瓦から採った「火」が、上野東照宮の「火」なのです。
 ことしは、この「火」が上野に灯されて20年になります。

 さらに、上野東照宮の近くには「時忘れじの塔」というのがあります。東京大空襲を忘れない碑です。
 碑には、「平和な時代へと時をつなげる心の目印」と記されています。
 上野の山は、平和の山なのですよ。

◆ 上野の「火」20年を記念してのイベントを紹介しましょう。
  題して 『上野の森に「広島・長崎の火」を灯しつづけて20年ーーーうたとトークでつづる きのう きょう 明日』
      「2011 非核・平和をうたうつどい」です。
  ちょっと長いタイトルですね。充実した中身のイベントですから、長いタイトルも理解されるのではないかとおもったりし
 ています。
  構成・演出は、不肖 私が担当です。「だったら行かない?」・・・そんなことを言わないでください。テンポのある内容
 ですから、感動してもらえると思っているのです(自画自賛)。

◆ 日時は 7月18日(月、祝日です)
      13時開場、13時30分開会。時間きっちりに開会します。
  場所は 日比谷公会堂です。暑い最中です。ゆっくりご来場ください。
◆ 参加費は おとな1000円
       こども 500円 です。

◆ 中身ですか?
  合唱構成「ぞうれっしゃがやってきた」で幕開けです。250人の合唱ですよ。60人は子どもたち。この子どもたちが
      いいんですよ。
   山本達雄さんの息子さんや、八女市長、プロボクシング・元日本ウエルター級チャンピオンの小林秀一さんなどの
  のトークをはさみながら
   カンタータ「この灯を永遠に」です。これは100人規模です。
      前述の、山本達雄さんが主人公のカンタータ(演奏会式オペラといっていいでしょうね)です。
  美空ひばりさんの名曲「一本の鉛筆」など、すばらしい女性コーラスもあるという贅沢なものなのです。
 
  きっと、あなたのこころに「火」が灯ることになるでしょう。かな?
  広島・長崎・・・そして福島。
  紹介し忘れました。被災地福島からのお話もあります。
  お忙しいとは思いますが、お越しいただければ うれしいのです。