「テレビ」と「平和」と「憲法」のblog

元ワイドショープロデューサー仲築間 卓蔵(なかつくま・たくぞう)のブログ

8月という月

2021-08-05 10:34:14 | Weblog
【続・8月】

 8月という月。6日 広島、9日 長崎。そして15日 終戦。
大分中学の2年生だったかな。大分川の川原でスコップ持って勤労奉仕をやらされていた。1学年上は学徒動員で地元の海軍工廠で旋盤工をやらされていた。
昼頃だったか、近くの農家の庭に集められた。ラジオ放送を聞かされた。天皇の声が流れた。「忍び難きを忍び・・・」という言葉はいまも耳に残っている。     
ぼくは「忍び難きを忍んで、戦争をつづける」と思った、が違っていた。「日本は負けた」らしい。その後、多くの同級生は「あのとき、これで平和になったと感じた」語っていたが、ぼくはそうは思わなかった。「日本は負けない」と信じ込まされていた。軍国少年だった。空襲で逃げ惑った経験がなかったからか。
「これで平和になったと感じた」という同級生を「偉いなあ」と思ったりした、彼らは、その後どう生きてきたのだろうか。同窓会で忌憚なく「平和」を「政治」を語り合えたのはたった一人。その彼も、いまや鬼籍の人。「戦前と戦後を生きて いま戦前」という川柳をつぶやきながら、ことしも8月を迎えた。いまこそ「平和の尊さ」を語らなければならないとつくづく思っている。


 8月という月、もう一つ忘れられない8月がある。1985年8月12日、日本航空123便(ボーイング747)が群馬県上野村の山中に墜落した。いまだ原因は明らかになっていない。
 その機に乗っていた一人が坂本九さんだ。1941年生まれだから存命だと79歳になる。こんな写真をひけらかすのに若干の抵抗があったが、思い切って見てもらおう。九さん全盛時代の写真だ。『九ちゃん』という番組(日本テレビ)のパーティーの一コマ。ぼく(中央)は当時広報担当だった。左が九ちゃん、右は(後に『ゲバゲバ90分』を手掛けることになる伝説のプロデューサー)井原高忠。
みんな(当然だが)若かった。二人とも、もういない。『上を向いて歩こう』は不朽の名曲になっている。あんなことこんなことがかけ巡る8月。「合掌」の月。そして、思いを新たにする月である。(仲築間 卓蔵)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿