日本のメディアは相変わらず“VS”の構図が好きなようです。記憶に新しいところでは、「サッチーVSミッチー」「田中真紀子VS鈴木宗男」といったところでしょうか。
しばらく目にしないと思っていたら、現れました。政治家によるNHKのテレビ番組への介入です。放送局の独立・自立が問われる事件ですが、あっという間に「NHK VS 朝日新聞」という構図にすり替わってしまいました。各地でNHKに対する申し入れ行動や受信料支払い停止の取り組みが続いていますが、その情報はインターネットで飛び交ってはいても、主要メディアは無関心です。
NHK問題は、放送局の独立・自立が問われると同時に、歴史認識について「決着」をつけることが問われていると思うのですが、そのことには触れようとしません。かつて、ワイツゼッカー西ドイツ大統領は、終戦40周年記念演説で、「過去に目を閉ざす者は、現在に盲目となる」という名文句を残しました。韓国の盧武鉉大統領は、就任2周年国会演説で、「歴史問題を扱うドイツと日本の異なる態度は、私たちに多くの教訓を示している。両国の異なる態度の結果、隣国から得る信頼に差がある。(日本は)過去に対し率直になるべきだ」と。
日本は、総理大臣が替わるたびに歴史認識が問われています。主要メディアの歴史認識もあやふやです。もうそろそろ「決着」しなければなりませんが、ことは簡単ではありません。
NHK会長のクビをすげ替えても、その本質が変わらないとすれば、NHKの成り立つ基盤(受信料)を揺るがすのも、選択肢の一つとなります。同時に、政治介入した政治家には、政治の舞台から降りてもらうことでしょう。
いま望まれる“VS”の構図は、「日本を戦争ができる国にしたい」という勢力 VS 「平和国家を維持し発展させたい」と願う国民 という構図ですが、その発想はないようです。
2月25日、横浜で5000人を超える「『九条の会』をきく県民のつどい」がありましたが、主要メディアは見向きもしませんでした。
いまの関心事は「ライブドア VS フジテレビ」。それも『どちらが勝つか』という興味だけで、国民の共有財産である電波がどうなっていくかについての指摘はありません。
“VS”の構図を続けるのであれば、視聴者の喝采を浴びる中身にしてほしいものです。
しばらく目にしないと思っていたら、現れました。政治家によるNHKのテレビ番組への介入です。放送局の独立・自立が問われる事件ですが、あっという間に「NHK VS 朝日新聞」という構図にすり替わってしまいました。各地でNHKに対する申し入れ行動や受信料支払い停止の取り組みが続いていますが、その情報はインターネットで飛び交ってはいても、主要メディアは無関心です。
NHK問題は、放送局の独立・自立が問われると同時に、歴史認識について「決着」をつけることが問われていると思うのですが、そのことには触れようとしません。かつて、ワイツゼッカー西ドイツ大統領は、終戦40周年記念演説で、「過去に目を閉ざす者は、現在に盲目となる」という名文句を残しました。韓国の盧武鉉大統領は、就任2周年国会演説で、「歴史問題を扱うドイツと日本の異なる態度は、私たちに多くの教訓を示している。両国の異なる態度の結果、隣国から得る信頼に差がある。(日本は)過去に対し率直になるべきだ」と。
日本は、総理大臣が替わるたびに歴史認識が問われています。主要メディアの歴史認識もあやふやです。もうそろそろ「決着」しなければなりませんが、ことは簡単ではありません。
NHK会長のクビをすげ替えても、その本質が変わらないとすれば、NHKの成り立つ基盤(受信料)を揺るがすのも、選択肢の一つとなります。同時に、政治介入した政治家には、政治の舞台から降りてもらうことでしょう。
いま望まれる“VS”の構図は、「日本を戦争ができる国にしたい」という勢力 VS 「平和国家を維持し発展させたい」と願う国民 という構図ですが、その発想はないようです。
2月25日、横浜で5000人を超える「『九条の会』をきく県民のつどい」がありましたが、主要メディアは見向きもしませんでした。
いまの関心事は「ライブドア VS フジテレビ」。それも『どちらが勝つか』という興味だけで、国民の共有財産である電波がどうなっていくかについての指摘はありません。
“VS”の構図を続けるのであれば、視聴者の喝采を浴びる中身にしてほしいものです。