「テレビ」と「平和」と「憲法」のblog

元ワイドショープロデューサー仲築間 卓蔵(なかつくま・たくぞう)のブログ

あァあ あの子が生きていたならば

2008-08-16 19:28:26 | Weblog
 テレビ番組も、連続性で見るとあらたな感動をおぼえる。
 8月7日に放送されたNHKスペシャル『解かれた封印/米軍カメラマンが見たNAGASAKI』と、9日の「長崎平和祈念式典」中継である。
 
 『解かれた封印』は、長崎に原爆が投下された直後、被害の模様を撮影したカメラマン、ジョー・オダネル軍曹と、その遺志を継いだ息子タイグを描いている。オダネルは、米軍が指定した被害の写真以外に、破壊された浦上天主堂やマリア像、焦土のなかで生き残った人たちなどの写真を(命令に違反して)撮っていた。30枚のその写真は封印されたままであった。彼も原爆症に罹っているが、アメリカ政府は対応していない。彼は、原爆の悲惨さを訴えようと、43年後に公表する。だが、その行動に非難が集中する。出版はことごとく断られた。「原爆投下は必要だった」「謝る必要はない」「おまえは裏切り者だ」「日本へ行け」・・・。妻も去っていった。
 彼は写真展をつづけるが、昨年、奇しくも8月9日、亡くなっている。息子タイグは、いまも各地で写真展をつづけている。写真展を見たアメリカの若者は、「こんなに心を動かされたことはない」「これがイラクで撮られた写真だったら、アメリカの駐留を考え直すだろう」という。
 息子タイグは、「小さな石であっても、波紋は少しづつ広がっていく」と、地道に写真展をつづけている。アメリカにも波紋は広がっているようだ。

 30枚の写真のなかで、とりわけ有名な写真がある。幼い弟の亡がらを背負って火葬の順番を待つ少年の写真だ。オダネルは、あのとき少年に声をかけたという。だが、少年は唇を噛みしめたまま、立ち去ったという。オダネルは少年を探し続けたようだが、見つかっていない。

 8月9日。長崎平和祈念式典。11時02分 鐘の音を聞きながらテレビの前で黙とうした。爆心地に近い山里小学校の児童たちが(永井隆博士作詞の)『あの子』を歌った。「あァあ あの子がいきて いたならば・・・」の合唱に、弟を背負って佇む少年の写真がオーバーラップして見えた。