「テレビ」と「平和」と「憲法」のblog

元ワイドショープロデューサー仲築間 卓蔵(なかつくま・たくぞう)のブログ

歌いましょう War is over レノン忌に

2021-12-04 11:43:00 | Weblog
太平洋戦争開戦80年。12月8日がやってきた。
 はじまりは日本軍による真珠湾攻撃だった。「日本海軍が宣戦布告の前に手違いで攻撃してしまった」と聞いていたが、そうではなかった。
 毎日新聞の栗原俊雄記者(栗原さんは「空襲被害者全国連絡会」の補償を求める運動を積極的に報道してくれている記者の一人でもある)が、山田 朗・明治大学教授にインタビュー(12月3日付け「論点」)した一部を紹介したい。
▼宣戦布告が遅れたのは「もうこれ以上交渉しない」という通告で、国際法上の宣戦布告と明確に読み取れるわけではない。国際法に反することを承知で、最初から開戦後に宣戦布告することになっていたのだ。実際、対イギリス戦では何の通告もなく、陸軍が英領のマレー半島に上陸した。(略)
▼真珠湾攻撃もマレー作戦も、南方資源地帯をなるべく早く押さえるためだった。そうしなければ日本は戦争を継続できなかったからだ。つまり戦争を継続するため、戦争のための戦争だった。ここで確認すべきは、12月8日以降、一気にアジアの人々を戦争に巻き込んでしまったことだ。その迷惑のかけ方が、今日あまりにも知られていない。これは日本人の、太平洋戦争以前の戦争に対する歴史認識にも共通している。(略)
▼日露戦争以来の成功事例を継承しようとして、時代の条件が変わっていることに気がつかなかった。
 また、行き詰まりを直視できなかった。日中戦争がうまくいかないとドイツと同盟する。劣勢でも戦争を続け、被害が拡大した。
 日本の、この都合の悪いことを直視できない姿勢は戦後にもつながっている。高度経済成長の成功体験に縛られて、「成熟」ではなくいまだに「成長」を信じている政治家がいる。当時の軍部や政治家を笑うことはできない。開戦80年は、歴史から知恵を得るいい機会だ。

▼12月8日は、ビートルズのジョン・レノンが亡くなった日でもある。
 何年前だったか、東京新聞の「平和の俳句」欄に載った2句をメモしていた。
 レノン忌と開戦の日の重なれり
 歌いましょう War is over レノン忌に


最新の画像もっと見る

コメントを投稿