「テレビ」と「平和」と「憲法」のblog

元ワイドショープロデューサー仲築間 卓蔵(なかつくま・たくぞう)のブログ

さて メディアはどの道を選ぶのか

2008-10-04 14:48:22 | Weblog
 「ブログが更新されませんね」と指摘されてドキッとしました。あちこちに書いているうちに、自分のブログがおろそかになってしまいました。

◆ この一か月は目まぐるしかったですね。
 9月1日。福田の記者会見。「拉致問題でなにか進展があったのか」「太田農水大臣の更迭でも決めたのか」と思ったりしましたが、なんと「辞める」というのです。理由は「ねじれ国会で苦労した。新しい体制で臨時国会の審議に臨んでほしい」です。安倍につづいて二度目の政権放り投げです。開いた口がふさがらないというのはこんなことなのでしょうね。
 「まるで他人事のように聞こえる」という質問に、「わたしは自分自身を客観的に見ることができる。あなたとは違うんです」と逆ギレ気味に答えていました。この質問は評判を呼びましたが、ぼくがおもしろく感じたのは、「安倍首相も唐突に政権を投げ出したが」という質問答えです。「安倍さんは健康問題でお辞めになった。わたしは健康に問題はない。目が少し見えなくなったぐらい」と。
 メディアは首相の「軽口」と聞き流していたみたいですが、「目が見えなくなった」というのがおもしろいじゃありませんか。年金、後期高齢者医療制度、格差、テロ特措法など 解決しなければならないことが「見えなくなった」。自らの「比喩」として面白いじゃありませんか。自公政権の行き詰まりを象徴する言葉ですよ。
 
 9月1日といえば、前日は8月31日です。その日は、ペシャワール会の伊藤和也さんの葬儀の日です。NHK、テレビ朝日、TBSなどが取材に行っていたようです。中村哲さんが情況を話したそうですが、詳しい報道はなされませんでしたね。
 不思議なのは、イラクで殺された外務省の奥参事官、井ノ上二等書記官の葬儀に比べて、伊藤さんの葬儀は(結果的に)無視されたことです。奥さんと井ノ上さんの葬儀は大々的に報道されました。奥さんは大使に、井ノ上さんは一等書記官に昇格でした。
 当時、アメリカは日本に対してアフガン派兵を迫っていましたね。アフガン情勢と伊藤さんの死。規制されたような報道姿勢。福田の突然の記者会見。無関係には思えませんが、どうでしょうか。

◆ 福田会見の翌日から「自民総裁選劇場」がはじまりました。
  パフォーマンス好きのメディアは、またまた飛びついた。「”小泉劇場”に振り回された反省をして、報道も自粛しなければ」(「スーパーモーニング」で鳥越俊太郎さん)、「メディアは自民党総裁選の集中豪雨的報道を自粛せよ」(日本ジャーナリスト会議・緊急アピール)など、各方面から批判の声が上がりましたが、NHKも民放も、5人の候補者を登場させて長時間の討論?番組を編成しました。地方遊説まで追っかけていた。「総選挙の事前運動ではないか」とまで批判されましたよ。この時間をCM料金で換算すると5000億円という数字になるといいます。

◆ 総裁選の「集中豪雨的報道」への批判は、メディアの興味があまりにも一方的で、国民の「知る権利」に応える報道ではなかったことに対する批判でした。国民は多角的な報道を望んでいるのです。われわれも、あらためて「政治リテラシー(読み解く力)を養わなければなりません。
   
  解散・総選挙はいつになりますかね。
  またまた「二大政党」論ですかね。まさか自公政権の延命に手を貸すようなことにはならないでしょうね。自民党と似たり寄ったりの、いや、もしかしたら自民党よりアメリカべったりになるような気がする民主党政権を応援するのでしょうかね。森の石松ではないが、「もう一つ忘れちゃあいませんか」ですよ。自公に変わる議席は、「日本経済の体質改善」につながる議席でなければなりませんよ。この際、メディアは、自公政権延命か、二大政党論か、それとも「日本経済の体質改善」の方向を示すのか・・・・。メディアも、「床屋政談」でなく、国民目線でこの国を変える報道に重心を移したらと思うのです。かつてない正念場をむかえましたね。