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たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

抜歯

2018年06月20日 15時45分08秒 | 健康・病気

またまた 歯が1本、無くなりました。
抜歯です。
数日前から 激しい歯痛に襲われて いつもの歯医者 K歯科医院に緊急予約を入れ、行って来ました。
母親譲りなのかどうか 元々 若い頃から 歯が弱く 歯医者通いが途絶えたこと有りませんでしたが K歯科医院とのお付き合い(?)は 40年以上にもなります。
可能な限り抜歯せずをモットーにしている歯科医で ダメそうな歯でも 頭をひねりながら 補修工事?、時間を掛けて 丁寧に処置し、うまく行くと 自分で うんうん、頷いて 満足気な顔をする、そんな医師なのです。
今は 息子さんが主になっていますが その方針は 受け継がれており さらに 信頼感を持っています。

そうは言っても 加齢と共に 「これ以上は無理」「お手上げ」の歯が 続出、
これまでも 何本かの歯が 抜歯せざるを得なくなり 10年以上前から 上下共 部分入れ歯を使っています。

今回の歯痛の原因は 長年 治療、補修工事?をしてきた1本の歯(被せてある歯)の歯根部分が破損、
やはり 補修工事?は 無理な状態、抜歯せざるを得ないとの判断なのです。
激痛から早く逃れたい一心も有り、即 抜歯手術です。
抜歯自体は 麻酔しての処置で 少しの我慢ですが たとえ被せた歯でも 1本無くなると 違和感 有り有りです。
出血止め綿は 1時間噛んだままでいるように指示され、鎮痛剤錠剤と化膿止めカプセルを処方され 先程戻ってきたところです。

記録を見せてもらいましたが 5年前の2013年5月に1本、7年前の2011年4月に1本、抜歯していました。
残っている歯も 頼りない歯ばかりですが 出来る限り 自分の歯、大切にしていきたいものです。
ちなみに 昨年11月に永眠した母親は 自分の歯は ゼロの状態でした。


「田舎のバス」

2018年06月20日 09時30分00秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

昭和30年代前半、M男は 北陸の山村で 1学年1クラスの小さな中学校に通っていた。
東と西に小高い山が連なり その間を 北の日本海に流れ込む川が走る盆地のような地形で 集落のほとんどは 山際に有り 水田の風景が広がっていた。
川に沿って県道(現在は国道)が走っていたが 当時は 自家用車等保有している家は皆無であり 走っていたのは 時々 貨物運送会社のトラックとか 商売用の車、1時間に1本とか、2時間に1本の路線バス位なものだったと思う。
当然 舗装等されておらず 乾いていれば 砂ほこりを上げ、雨が降れば 凸凹にたまった水を跳ねあげながら ガタガタ走っていく車の情景が 水田の彼方に見えたものだ。
M男の家は 一番近いバス停まで 歩いて15分~20分というだったこともあり 同じ位の距離に有った国鉄(現在はJR)の駅を利用することが多く、バスで どこかに出掛けることは まず無かった。

三方 山に囲まれたような地形だったこともあり ラジオの電波は極めて弱く、NHK第1放送が 雑音混じりで かろうじて聴ける程度であったが 茶の間の茶箪笥の上に鎮座していた中古のラジオは 家族団欒の中心的存在であった。
「ひるのいこい」「のど自慢」「三つの歌」「おとうさんはお人好し」「民謡を訪ねて」「とんち教室」・・、
祖母は 浪曲、母は 「君の名は」・・・、

記憶曖昧だが 多分 その年代に盛んにラジオから流れていた 三木鶏郎 作詞、作曲、中村メイコが歌っていた 「田舎のバス」を ふっと思い出してしまった。
M男は 当時 普通の歌謡曲とはちょっと違う 「田舎のバス」に 変な曲?位に 感じたり まさしく M男が 山村で見ているバスを 馬鹿にしている曲 位に 思ったものだが 今思えば 当時の田舎の情景、あの日あの頃を思い出させてくれる曲とも言える。

「田舎のバス」
YouTubeから共有させていただきました。

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「中学生日記より」その3 「アイスボンボン 10円」

2018年06月19日 08時25分52秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

「中学生日記より」その3 「アイスボンボン10円」

昭和30年8月9日(火)、晴、
起床 5時30分、就床 9時5分、
「大掃除(家の中の)」

今もそうかも知れないが 当時 北陸の山村では お盆は 正月と同様、特別なものだった。
お盆中を、のんびり過すため 農作業に区切りをつけたり 家屋敷の隅から隅まで 草取り掃除をし 家の中も大掃除をして 迎える習慣が有った。
夏休み中の子供達も手伝うのが当たり前の時代、M男も その日は 朝早い時間から 座敷の床の間や仏壇周り、茶の間等を中心に 箒と雑巾で 大掃除をしたんだと思う。 

昭和30年8月10日(水)、晴のち曇、
起床 5時30分、
1、「(隣り町の海岸に) 水泳に行ったが 波が高くて (余り泳げなかったが)、1時間くらい泳いできた。(のぶゆき君に会った)」
2、「買った物、水中めがね 25円、アイスボンボン 10円、原稿用紙 20円」
3、「今日 始めて(初めて) 赤ふんどしをして泳いでみた」
  「帰宅 15時半」

多分 近所の従兄弟で同級生のTとつるんで 汽車で 隣り町まで出掛けたんだと思う。名目は 「原稿用紙を買ってくる」・・・だったのではないかと思われる。夏休みの宿題で 読書感想文とか何かを書いて提出しなければいけないようなこと 有ったような気がする。
親から いくらかのお金をもらい お盆の前でもあり ウキウキしていたのかも知れない。
当時 学校にも 周辺地域にも プール等という物は全く無く 子供達が 「泳ぐ」と言っても 近くの川で 「水浴びする」か 隣り町の日本海の海岸で 「浮かんで遊ぶ」位しか無かった。その日は Tと申し合わせ ふんどしを持参、日本海に入ったようだ。
波打ち際から 2~3mで ガクッと深くなる海岸、潮の流れも速く 危険な海で 帰宅後 バレて 二人だけで海に行ったことを怒られたような気もする。何しろ田舎、海水パンツ等という物も 普及しておらず 中学生は 6尺ふんどしだったが その頃 何故か 赤ふんどしが 流行っていて M男も買ってもらっていて 初めて締めてみたようだ。
町の文房具店で 原稿用紙を 買い(20円)、ついでに アイスボンボンを買ったと書いてある(10円)。

 ネットから拝借、

井の中の蛙、山村の子供のたわいない話である。

昭和30年8月11日(木)、曇、
起床 5時半、
1、「正君の家へ しょうじ君がきた」
2、「磯野さんから すいかをもらった。夜 食いきれなかった」

起床時間を見ると だいたい5時台になっている。当時の子供は 早寝早起きだったことが 分る。
近所の従兄弟で同級生のTの家に やはり従兄弟のSがきたとある。多分 本家であるTの家の墓参りのため 家族でやってきたに違いない。車社会以前の時代、汽車やバスで やって来る時代だった。
近所の大農家磯野さんから すいかをもらったとある。
当時、M男が暮していた村落集落には 八百屋等は全く無く、野菜類は 各家々、自給自足、
すいかやかぼちゃ等も 買って食べるものではないと思っていた位だった。
お盆ということで すいかのお裾分けに あづかったようだ。

昭和30年8月12日(金)、晴、
起床 5時30分、
1、「うどんをひいた。(昼前)」、
2.「農協の演芸を見に行った(学校)」、

うどんも 各家々で 作って 食べていた時代だった。多分 手伝わされたのだろう。
当時の山村の暮らしには 娯楽は極めて少なく、時々 学校の体育館で催される 映写会や旅回り演劇団の公演を観に行ったりする位だったが その日 お盆で農事を休んでいる村民が ぞろぞろと 農協主催のなにかの演芸会を観に 学校に参集したようだ。、
M男も 父母か祖母かと連れ立って 行ったようだ。体育館では 御座を敷いて わいわいがやがや。
そんな情景が 思い浮かんでしまう。

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「中学生日記より」その2 「冬季五輪と猪谷千春」

2018年06月18日 08時48分16秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

「中学生日記より」その2 「冬季五輪と猪谷千春」

昭和31年2月1日(水)、
雨、起床 5時40分、
「(午前)5時55分のニュースで 猪谷千春選手が (スキー 回転で) 第2位になったそうだ。
第1回目の出場では 11位、それから 今(回)の2位、宮尾選手が 28位、
日本も 大ぶ よい成績だ。
日本は これまで 5回、冬季オリンピックに出場したけれど 第3位までにはいって 日の丸の旗を ささげた(あげた)のは (初)めてだ。
猪谷選手、ばんざい。
第7回 冬季オリンピックで 日本出場5回目に 日章旗をあげた」

1956年(昭和31年)1月26日から2月5日まで イタリアのコルチナ・ダンペッツオで開催された 第7回冬季オリンピックの 「回転」で 猪谷千春が 銀メダルを獲得、冬季五輪日本人初のメダリストになったことを 書いていたのだ。
当然 ビッグニュースだったはずだが 当時はまだ ラジオのニュースや新聞で知る程度で 昨今のような盛り上がりは無かったような気がする。
後年 冬季五輪の特集等の度に語られる猪谷千春の功績、
当然熟知していたM男だったが 自らの日記帳を覗いてみるまでは すっかり忘れていて それが 中学生の時の出来事だったことに 気が付かなかった。目から鱗である。

その大会では 当時のアルペンスキー種目 「回転」、「大回転」、「滑降」、全てで 金メダルを獲得、史上初、3冠に輝いた オーストリアのトニー・ザイラーがいるが M男は 猪谷千春のニュース程度しか 掴んでいなかったようだ。
その後 トニー・ザイラーは その美男子ぶりを買われて 映画界に入り 「白銀は 招くよ」等の映画に出演、一世を風靡したものである。
M男にとって 「冬季五輪」と言えば 今でも 「猪谷千春」と「トニー・ザイラー」が 先ず 脳裏に浮かんでしまうから困ったものだ。

昨今の冬季五輪、日本も スキージャンプ(男女)、スピードスケート(男女)、フィギュアスケート(男女)、ショートトラック、カーリング等々、メダル獲得数を予想する時代、隔世の感有りだ。

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畑日誌 キュウリ、ナス、ピーマン 収穫 他

2018年06月17日 17時43分04秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

当地 今日は 昼頃まで 曇。
午後になっても 周辺の山並みには雨雲が掛かっていましたが 時々 晴れ間も見えてきて 急遽 収穫係の妻は 畑へ。

キュウリ、ナス、ピーマンの収穫です。
前回から3日目、肌寒いような雨の日が続いたせいか 生育が 芳しく無かったようです。

先日収穫のタマネギの処置、
吊るして 乾燥保管するスペース無しのわが家、
今年も プラスチックケースに並べて ベランダで保管します。
暴風雨のような場合は 屋内に退避させなければならず 厄介なんですが。

今年は 全部で 約46kg 有ったようです。

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「中学生日記」

2018年06月16日 13時57分52秒 | 断捨離考

「中学生日記」
「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に 1度書き込んだことが有って 同じような内容の記事になってしまいますが 思い出しながら 改めて書き込んでみよう等と 思い立っています。

高校卒業まで暮していた北陸の山村の実家は 長い年月空き家状態になっていました。
全国的に 空き家廃屋放置が社会問題化していることも有って 気になり、出来る限り速やかに取り壊しを と考え 苦労しましたが 数年前に 取り壊し(解体工事)を 済ませました。
取り壊す前の数年間は 年間数回、座敷、茶の間、台所、2階、作納屋、物置や押入れの奥の奥まで詰まった 気の遠くなるような家財道具類、雑物等の分別、整理廃棄処分のため 足繁く往復したものです。
そんなある時 2階の押入れの隅のリンゴ箱に詰まった 小学、中学、高校時代の教科書やノート等が まとまって出てきたことがありました。
子供のものでも 一切捨てることを考えない母親が なんでもかんでも保管していたものでした。
ほとんどは 汚損、腐食激しく 廃棄処分しましたが タイムカプセルを開くが如しで 中には 「えっ!こんなものが」、ある種 感動さえも有って 一部 とりあえずダンボール箱に詰め込んで 持ち帰っていたものも有ったのです。
その中に 中学生時代の1時期に付けていたと思われる ボロボロの「日記帳」が 有りました。
日記を付けていたこと自体の記憶も無く、「こんな日記 書いていたかなあ?」、
半信半疑、ページを捲ってみると 間違いなし。当時の自分の字にも びっくり、井の中の蛙、田舎の中学生にタイプスリップするかのような錯覚を覚えてしまい、しばし感無量になったものでした。

多分 国語担当のH教師から 「日記を付けろ」というような話が有って始めたことを 思い出したのでした。
中学1年生の6月から始まり 中学2年生の8月で 途切れています。
当時 父親は 農業をしながら 隣町の小さな印刷所兼文房具店に勤めていて ノート、鉛筆、クレヨン等の文房具類を よく貰ってきたり安く買ってきていましたが 多分、その粗末なノート日記帳も 売れ残りを貰ってきてくれたものかも知れません。

それにしても 下手な文章、下手の文字、誤字脱字多過ぎ、
後期高齢者になった今でも まるで変ってはいませんが・・・。
ただ ページを捲ると なんだか中学生時代の暮らしが一気に蘇ってきてしまい、これは「大切な資料?」等という気になり 結局未だに仕舞い込んでいるという次第です。
第三者から見れば 汚いゴミ同然の代物、少しずつ ブログ「あの日あの頃」に書き留めながら やはり 処分しなければ と 思っているところです。

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ベルガモットが咲き始めました。

2018年06月14日 21時26分10秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

猫の額の庭で 今年も ベルガモットが咲き始めています。
ベルガモット、和名 「矢車薄荷(やぐるまはっか)」、
ハープの一種としても知られているようです。

カマキリの赤ちゃんが・・・、

 

 


畑日誌 あれもこれもでクタクタ

2018年06月14日 19時49分42秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

当地 今日は 曇時々晴、
明日からまた 雨になるような予報が出ています。
今日やるっきゃ無いか・・・、
やおら思い腰を上げ 畑へ。
あれもこれも、宿題?が多過ぎて 朝から夕方まで 掛かってしまいましたが なんとかクリア。
足も、手も、指も、腕も、腰も、首も・・・、
草臥れ果てて 引き上げてきたところです。

(1)畑全体雑草の原化、里芋の畝、夏野菜の畝等の草取り、1件落着。

(2)シロナスの苗、植え付け、
いつも 野菜作りのアドバイスをいただいている 近所の畑師匠Oさんから 「シロナスの苗 余ってるけど どうか?」と 先日 声が掛かりました。
シロナスの苗も 毎年のようにいただいており、今年も 遠慮なくいただくことになりました。
いただいた苗は なんと20本、急遽 植え付けスペース2畝を耕し、有機石灰、牛糞を混せ込ませ、元肥を施し 植え付けです。

たっぷり水をやり。1件落着。

(3)タマネギの収穫、
かなり前から 茎葉が枯れて倒れており 収穫時期が到来していましたが やっと今日収穫。

出来不出来、昨年と比べてどうなのかなあ?、
保管保存方法によっても変わってきますので なんとも言えません。1件落着。

(4)ネギ(下仁田葱)の定植
今春 種蒔きしてあった 下仁田葱、思いの外生育が良く 定植してやる時期がきていました。
定植スペース、3畝を耕し、牛糞混ぜ込ませ、元肥を施し 植え付けです。

中腰の仕事、足、腰にきます。1件落着、

(5)グリーンピースの片付け、
すでに 枯れてしまっていたグリーンピース、来年の種用に最終収穫し 片付けました。1件落着。

昼食を挟んで 7~8時間、
いつもは 3時間程度でお終いにするんですが 今日は ちょっと無理をして 一気に 宿題?片付けをした感じです。
明日、明後日の腰痛、筋肉痛が 心配ですが。

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背泳ぎ

2018年06月13日 22時14分36秒 | スイミング

今日は 毎月1回の経過観察検査予約日、午後2時、病院到着です。
予約時間はあくまでも目安、実際受け付けしてから呼ばれるまで 30分~45分間は待たされる大病院です。
16時過ぎには 帰宅出来ましたが、体調イマイチ、今日は どうしようか?、
一瞬迷いましたが 気合を入れ直し、19時~20時のスイミングクラブ成人クラスレッスン水曜日に出席し、先程 帰宅したところです。

今日は N指導員による 背泳ぎ中心のレッスン
毎度のこと 基本、基本の繰り返しですが 特に 手のかき方、形、向き等を チェックされました。

やはり 異常に疲れてしまい 居残らず 引き上げてきました。
泳いで帰った後の遅い夕食、今日は 採れ立てキュウリに味噌、採れ立てナスで焼きナス、
そして 1杯のビール(格安ビールですが)で いい気分になっているところです。
斯く斯く然然、今日も 恙無く・・・・、

 


梅雨寒に 薄紅の 合歓 咲う(わらう)

2018年06月13日 09時00分50秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

雨も上がり ひんやりした朝です。
梅雨寒(つゆざむ)と 言うんでしょうか。
当地 天気予報では 今日は 晴のち曇、最高気温は 27℃前後になるとのことで、典型的な梅雨の感じになってきました。

先日 川沿いの土手で 咲き始めたばかりかなと思っていた合歓の木(ネムノキ)、もう満開状態で、木の下周りは 落ちた花びらでピンクになっていました。
やはり いつもより 1週間、10日 早いのかも知れません。

鬱陶しい梅雨空に ふんわり浮かぶように咲く 合歓の木の花、
この時期ならではの 風情です。

「梅雨寒に 薄紅の 合歓 咲う(わらう)」

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