たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

「雪国に帰る」(再)

2021年10月25日 14時33分06秒 | 詩・エッセイ

4年前、2017年12月15日に書き込んでいた記事を、コピペ、リメイク(再編集)


「雪国に帰る」(再)

記憶から完全に喪失していた物が、最近、不要雑物身辺整理中に出てきた。若かりし頃、若気の至りで、書きなぐっていたと思われる詩の類である。不揃いの便箋やレポート用紙等に、バラバラと走り書きしたような代物で、色褪せてカビ臭い茶封筒に詰まっていた。そのまま、ゴミ箱行きにすれば良さそうな物だが、数十年ぶりに目にして、タイムカプセルを開けるが如く、ある種、感動さえ覚えてしまい、全てを捨て去る前に、「青春の思い出の欠片」として ブログに書き留め置こう等と考えてしまった。今の爺さんには、気恥ずかしく、冷や汗が出るような、ぞっとするような、拙劣な詩の類ばかりだが、恥じも外聞もなく、そのまんま・・・・。

その中に、「雪国に帰る」と題したエッセイ(もどき)も入っていた。「昭和44年1月1日」の日付が記されており、今から52年も前のもの。どうも、正月休みに、北陸の実家へ、夜行列車で帰省した折の感傷を、書きなぐったもののようだ。50数年後に、他人様に公開される等とは、当時、想像も出来なかったエッセイの類、こんな物をよくもまあ、これまで仕舞い込んでいたものよ、我ながらあきれてしまっている。

「雪国に帰る」

No.1
どこからか、午前零時の時報が聞こえたような気がした。
暖房の気分悪さとスキー客の騒々しさで、中々、眠れなかった私も、いつしかうつろに眠ってしまっていたのだろうか。ふと周囲を見回したが、大分静まっていた。
その時、チャイムが流れて放送が始まった。名古屋で乗車した時から、いやに雑音の多い放送だなと思っていたが、その時も同じように聞きずらい放送だった。しかし、深夜の静けさも加わって、良く聞き取れた。
「皆様、只今 午前零時でございます。明けましておめでとうございます。本年もどうぞ、国鉄を・・・・・」と、いう放送だった。
実際のところ、私は、学生時代を含めて、お正月に帰省すること、8回目になるのだが、列車の中で、新年を迎えるのは、今回が初めてだったように記憶する。昨夜まで雑事に追われ、やっと整理し、列車に飛び乗って郷里に向かう私は、さっきまでが大晦日で、今、新年を迎えたのだなという感慨を、うっかり忘れてしまうところだった。
この聞きづらい放送は、そうした私の心に、「新年を迎えたんだな」という、ほのぼのした感動を蘇らせてくれた。
窓外をふと見やると、静かであるが、やわらかい雪が舞っていた。曇ったガラスを拭くと、外はもう ”別の世界” であった。
車内の灯がもれて、新鮮な雪化粧の景色を、スクリーンのように映している。枯れ木に花、わたぼうしが、うしろに飛んでいく。
もう、高山のあたりを走っているんだろうか。旅の感傷が、とめどなく襲ってきて、わたしはぼんやりと、この懐かしい雪景色を追っていた。

No.2
北陸線に乗り換え、日本海沿いに走る電車も、最近は複線電化が成って早く(速く)なっている。うっすら、夜明けが近づいた富山平野の風景は,静かに眠る平和な散村そのもののように見えた。過酷な雪国の環境を知る私にさえも,この美しい墨絵のような風景にロマンチックな想いを馳せるに十分であった。
いよいよ、〇〇に着く頃は、東の空、上信越の嶺々の重なるあたりが赤く染まり、裏日本の遅い日の出の時刻になっていた。いよいよ射し出る朝日は、新しく、素直で、美しい。
西南の方向、白馬連山が先ず浮かび上がって、新雪に映えて素晴らしい。この景色が見られるだけで、私は、〇〇に郷里を持つ幸せを感じた。そこからは、センチメンタリズムやニヒリズムではない、大らかで自然の尊厳さえ感じられる。
この元旦の朝、こんな素晴らしい朝を迎えられた感動を、途中、車(タクシー)の運転手にも、分かち合ってもらった。「昨日まで、吹雪だった」と言う。何か、この年1970年?(1969年)、素晴らしいものを期待出来そうな気がした。
白い息をたのしみながら、しばらくは、雄々しく朝日に映える周囲の屏風のような嶺々の、そして 音の無い、全く眠っているような閑村(寒村)の、一面白銀の世界に魅せられて、立ちすくんでしまった。
「ただいま」、玄関を入るや、待っていてくれた家族の出迎えの賑やかさで、今さっきまでのロマンチックな想いは片隅に片付けられて、あたたかいコタツに飛び込んでしまった。

(昭和44年1月1日)


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