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花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり

2020年03月10日 10時59分46秒 | 懐かしい小倉百人一首

小倉百人一首で春を詠んだ歌 その8

花さそふ 嵐の庭の 雪ならで
ふりゆくものは わが身なりけり

出典 
新勅撰集(巻十六)

歌番号
96

作者
入道前太政大臣(にゅうどうさきのだじょうだいじん)

歌意
桜の花を誘って吹き散らす山嵐が吹く庭の 
降りゆく花の雪ではなくて 
本当に旧り(古)ゆくのは(老いてゆくものは) 
私自身であることよ

「花さそふ嵐」・・桜の花を誘い散らす嵐。
「雪ならで」・・雪ではなくて 桜の花が散るのを雪に見立てている。
「ふりゆくものは」・・桜の花が降りゆく(ふりゆく)と 
自分が旧(古)りゆく(ふりゆく) の掛詞。
「・・は・・・けり」・・は そのことに初めて気がついたという
気持ちを表している。

注釈
「新勅撰集」の詞書(ことばがき)では 
「落花をよみ侍(はべ)りける」と有るが 
作者にとっては、桜の花を詠もうとしても 
雪を連想するより 人の命のはかなさが身につまされるという
実感がこもっている歌である。
当時は すでに政治の実権は鎌倉幕府に移っていたが 
太政大臣にまで昇進した作者。
上の句の華麗さと 下の句の嘆きが対照的で 
花の美を老残の悲哀で否定した作品といえる。

入道前太政大臣
藤原公経(ふじわらきんつね)
藤原定家の義弟。
内大臣坊城実宗(ぼうじょうさねむね)の子。
源頼朝の妹婿藤原能保の娘を妻としたため、
後鳥羽院に嫌われたが、
承久の乱で鎌倉方に内通、
鎌倉幕府の権勢を背後に栄華を誇った人物。


川柳
「花さそふ 所で聟(むこ)は たち別れ」
町内で花見に出掛けての帰り、
権力の無い聟さんは 
花の里(遊郭等遊び場所)へ行くことが許されず 
皆と別れてすごすご家に帰るという哀れな句。


参照・引用
「小倉百人一首」解説本(文英堂)


「へー!、そうなんだ」
今更になって 目から鱗が落ちている。


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