たけじいの気まぐれブログ

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七夕決戦?

2024年07月07日 10時03分43秒 | 暮らしの記録

2024年7月7日、今日は何の日?
7月7日と言えば、子供の頃、なんとなくときめいた日のような気がしている。
「離れ離れになっている織姫と彦星が、年に1度だけ会える日」
「七夕」の日、
脳裏に焼き付いており、少々ボケてきた後期高齢者でも、
さすがに、サッと答えることが出来る。
今年の7月7日は、東京都民にとっては、都知事選の投票日であり、
一部の報道では、「七夕決戦」なる見出しが踊っている。
過去最多、56人立候補、いろいろ物議を呼んでいたが、
その結果が、今日、出る。
都民全世帯に配布された「選挙公報」も、14ページと分厚く、
隅から隅まで目を通した人、果たしていたのだろうか?等と、
余計なことまで考えたものだ。

(NHK ニュース より 拝借画像)
届け出順 都知事選 立候補者 一覧表


「七夕」で、「ブログ内検索」してみたら、七夕の由来等を書き込んだ数年前の記事が有り、下記、コピペ、リメイクしてみた。

(ネットから拝借イラスト)


「七夕」に纏わる話は、多分、子供の頃、大人達に教えられたはずだが、まるで記憶に残っておらず、改めてネット等で調べてみた。

古来から、中国では、織女星(織姫星)=こと座の1等星・ベガは、裁縫を司る星、牽牛星(彦星)=わし座の1等星・アルタイルは、農業を司る星と考えられており、天の川を間に挟む二つの星は、旧暦7月7日(現在の8月7日)頃に、最も光が強く見えることから、この日を特別視していたことも有って、七夕伝説が生まれたのだという。

◯七夕伝説
中国には、古来、天帝(てんてい)と呼ばれる天空に一番近い神様がいた。天帝には、美しく、機織の名手である、織女(織姫)という自慢の娘がいた。織女(織姫)は、天の川の西側に住み、空の神様達の着物を織る仕事をしていた。織女(織姫)は、機織りに一生懸命で男性に出会う機会が無かった。
天帝は、織女(織姫)をかわいそうに思い、娘に似合いの青年を探していたが、牽牛(彦星)を見つけた。
牽牛(彦星)は、天の川の東側で、牛の世話をしながら、農業に精を出していた。天帝が、二人を引き合わせると、二人は恋に落ち、結婚。とても仲の良い夫婦になったが、楽しさにかまけて、お互いに働くことを止めてしまった。
織女(織姫)は、機織りをしなくなったため、神様達の着物は、ボロボロになり、牽牛(彦星)も 牛の世話もせず、農業もしなくなったため、牛は病気になり、田畑は荒れ放題となってしまった。
怒った天帝は、二人を天の川の東西に引き離し、お互いの姿さえも見ることを出来なくしてしまった。
引き離された二人は、悲しみのあまり、毎日泣いて暮らすばかり。困った天帝は、「二人が、真面目に働くならば、年に1度、7月7日に会わせてやる」と約束、その言葉に、織女(織姫)と牽牛(彦星)は心を入れ替え、1年1度の七夕の夜に会えることを楽しみに働くようになった。
1年に1度の再会の日、7月7日に雨が降ると天の川の水嵩が増し、川を渡ることが出来なくなる。そんな時、天帝の使者であるカササギが沢山飛んできて翼を広げ、橋を作り上げてくれ、二人はその橋を渡り、会うことが出来た。

「怠けていると良くないことを引き起こすこと」
「1年に1度会えることの喜びに感謝すること」
等という教訓も隠されている伝説でもあるようだ。

◯催涙雨
7月7日に降る雨のこと。
一般的には、七夕にしか会うことの出来ない織女(織姫)と牽牛(彦星)が、天の川を渡れなくなり流す涙という意味合いの言葉。
因みに、7月7日の前日、7月6日に降る雨のことを、「洗車雨(せんしゃう)」というそうだ。
牽牛(彦星)が、織女(織姫)に会いに行くために、牛車を洗う水という意味合いの言葉で、現代においても、恋人とのデートの前に、愛車をピカピカに磨く若者の情景、よく見られ、納得してしまう。

◯夏の大三角
日本では、7月上旬から9月上旬の20時~22時頃、南東方向に、こと座のベガ、わし座のアルタイル、はくちょう座のデネブを結ぶ、「夏の大三角」が見られる。実際には、梅雨期の最中だったり、町明かりが強い都市部だったり、月が出たりすると、なかなかそのチャンスも少なくなっているような気がするが・・・。

(ネットから拝借画像)

昭和20年代~30年代、北陸の山村で幼少期を過ごした爺さん、当時は、外灯等もほとんど無く 周りは田んぼ、夜は真っ暗闇が当たり前で、エアコン、扇風機も無かった時代、真夏の夜、団扇片手に庭に出ると、天の川がくっきり、それが当たり前で、特別な感動も無かったような気がするが、今はもう、条件が揃った場所に出向かないと、星も、天の川も、綺麗に見えないという時代、
出来る限り、今の幼い子供達の目にも、そんな夜空の情景を焼き付けてもらいたいものだと、いつも思っている。


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1 コメント

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tamasaさん、コメントいただき有難うございます。 (takezii)
2024-07-07 15:17:00
相互フォロワー登録しているtamasaさんから、「コメント欄」外で、コメントいただきました。せっかくいただいたコメント、下記に、コピペさせていただきます。

猛暑の中での農作業、カメラを持っての散策、
どうぞ、お身体に気を付けて下さい。
野菜の収穫、ブルーベリーのお裾分け、豊かな生活環境が偲ばれます。羨ましい限りです。昨年もブルーベリーのお裾分け。ありましたね
それにしてもハクビシン、イノシシ、豊かな自然であればこそ、と思っても、御苦労は絶えませんね。
トウモロコシも順調な様に拝見しました。
月見草、チガヤ―ツバナと呼んでいましたが、懐かしい風景です。思い出します。
思い出すと言えば、星空、わたくしの方でも見事な星空でした。当時はネオンも無く、電灯の明かりも乏しく、暗い夜空いっぱいに広がった星空の見事だったこと、その中を天の川銀河が横たわり、今思うと夢の様な世界です。
名曲アルバム、じょんがら節、澤田勝秋、懐かしい名前です。それにしても民謡はそれぞれの他方のその地に根差したところから、自然発生的に生まれた歌で、それぞれに魅力があり、明るい歌には明るい歌の、静かな歌には静かな歌の、それぞれの魅力が詰まっていて、どれが良いなどとは言えませんし、               結局は、個人の好みという事にでもなるのでしょうか。
以前にも書きましたが、刈り干し切り唄は南部牛追い歌と共に、最も好きな曲の一つです。母が亡くなって三回忌の法要の時、会食の席で民謡好きの母への供養と思いこの歌を唄いました。みんなは母の跡を継いで民謡をやればと言ってくれましたが、ただ ブログにある唄の三番の歌詞がちよっと違っています。わたくしが唄った歌詞は六番まであって、三番は
秋も済んだよ 田の畦道(くろ)道をよ 
あれも嫁じゃろ エー日も五ッよ 
となっています。
でも、この違い、唄う人によって、地域によって少しずつ異なる、これが民謡の良さだと思います。
いろいろ興の赴くまま、長々と詰まらない事を書いてしまいましたが、今回もいろいろ楽しませて戴きました。
有難う御座いました。
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