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古い写真から蘇る旅の思い出 ・「蘇州」その3・ 「拙政園」(再)

2024年02月29日 10時35分44秒 | 旅行記

古い写真から蘇る旅の思い出
「蘇州」その3
「拙政園」(再)


かれこれ18年前の2005年12月に、当時、次男が駐在していた中国江蘇省蘇州市(苏州市、スージョウ、スーチョウ、英語 Suzhou)を訪ねたことが有った。まだまだ自営業を続けていた頃でもあり、時間的、経済的に余裕も無かった頃だったが、「今、行くしか無い」、「今でしょ!」と、清水の舞台から飛び降りる思いで出掛けたものだったが、海外旅行等不慣れな老夫婦、ましてや、日本語で通じる添乗員付きのツアー旅行ならまだしも、中国語たるや、「ニーハオ」、「シェイシェイ」、「ハウチー」位しか知らない類で、航空券の手配、ホテルの手配等は日本の旅行会社にしてもらい(フリープラン)、次男には、上海浦東空港まで迎えに来てもらい、帰りには、空港まで送ってもらうまで、何から何まで次男を頼った旅だった。
ほんの数日間の中国滞在ではあったが、次男の案内で、乗り方も分からない鉄道、路線バス、タクシーで移動し、上海市や蘇州市の街中をそぞろ歩いたり、食堂や土産店に入ったり、駅の待合室で並んだり、一般の観光ツアー旅行では味わえない、貴重な体験が出来たものだった。
上海市のホテルに2泊、蘇州市のホテルに2泊したが、蘇州市では、お目当てだった蘇州の名所旧跡観光を、まる1日、やはり次男の案内で忙しく訪ね歩き、大満足の旅だった気がしている。訪ねた先々で撮った写真が残っており、記憶力無しの老脳ではあっても、そんな古い写真を見ると、あの時、あの場所が、昨日のように蘇ってくる。


10時30分頃、「拙政園」の着き、入園した。
当時の門票(入園料)は50元(当時の円換算で、約750円)、

「拙政園(せっせいえん、zhuō zhèng yuán、ジュオ ジォン ユェン)」は、明の時代につくられた庭園で、園名の由来は、西晋の潘岳による「閑居賦」の一節「拙者之為政」(愚かな者が政治をつかさどる)から取ったものなのだそうだ。「中国四大庭園」の一つとされていて、面積 約4万平方メートル、蘇州では、一番広い庭園で、「東園」、「中園」、「西園」の三つの景観からなっている。敷地の半分以上が、池や堀、水がテーマになっている。ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている「蘇州古典庭園」のひとつ。
蘇州の庭園作りの方法の一つに、外にあるものを庭園に取り込む「借景」という手法があるが、「中園」を入ってすぐのところから、「北寺塔」を借景とする風景があり、一番のお勧めポイント。


(参考・参照)
「拙政園」
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「拙政園」園内を、約1時間、逍遥した後、
タクシーで、「観前街」に向かったが、
たまたま、運転手は女性で、男性運転手顔負けの乱暴な運転でビックリ、
急な車線変更、割り込み、対向車線はみ出し追い越しも、平気の平左、
ハラハラ、ドキドキ、約20分間、降車するまで、緊張の連続だった気がする。
日本では、考えられないことで、
運転マナーも、交通ルールも有ったものでなく、
プロの運転手、そんな運転、当たり前だと聞き、
さすが中国?・・、と、つくづく恐れ入ったものだった。

(つづく)


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