goo blog サービス終了のお知らせ 

たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

「春の夜の想い」(再)

2021年11月18日 20時07分49秒 | 詩・エッセイ

7年前、「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代、
2014年4月12日に書き込んでいた記事を、コピペ、リメイク(再編集)


「春の夜の想い」(再)

記憶から完全に喪失していた物が、最近、不要雑物身辺整理中に出てきた。若かりし頃、若気の至りで、書きなぐっていたと思われる詩の類である。不揃いの便箋やレポート用紙等に、バラバラと走り書きしたような代物で、色褪せてカビ臭い茶封筒に詰まっていた。そのまま、ゴミ箱行きにすれば良さそうな物だが、数十年ぶりに目にして、タイムカプセルを開けるが如く、ある種、感動さえ覚えてしまい、全てを捨て去る前に、「青春の思い出の欠片」として ブログに書き留め置こう等と考えてしまった。今の爺さんには、気恥ずかしく、冷や汗が出るような、ぞっとするような、拙劣な詩の類ばかりだが、恥じも外聞もなく、そのまんま・・・・。

その中に、「春の夜の想い」と題した詩(もどき)が有った。「昭和40年4月18日」と記されており、今から56年も前、独身の頃の春の夜、感傷と妄想で、書き殴ったものかも知れない。50数年後に、他人様に公開される等とは、当時、夢にも思わなかったことで、無茶苦茶、いい加減な詩であり、自嘲もしてしまうが、これも又、過去のあしあとの一つと居直って・・・。

(ネットから拝借画像)

「春の夜の想い」

甘き夜風に 誘われて
木立の上の おぼろ月
春の薫の 垣根越し
見上げる 北の空の下
遠きに在りし 君想い
映りて消ゆる その笑顔

悲しき夢と 知りながら
春の調べに 乗せられて
美し(うるわし) あの日の思い出が
晴れた夜空の 星の如(ごと)
西から東 北南
しばしの間も 駆け巡る

(昭和40年4月18日)


タマネギの苗植え付け、他

2021年11月18日 17時20分03秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

当地。今日は、晴のち薄曇、
うっすら肌寒く、晩秋から初冬の気候になってきた。

もう 1週間も 畑に行ってないし・・、
タマネギの苗、そろそろ定植しないと・・、
ということで、
午後になってから、やおら重い腰を上げ、Go To 畑! と相成った。

(1)タマネギの苗、植え付け
   種蒔きして育苗していたタマネギ、
   なんとか育って、定植OKになり、
   下準備しておいた畝に、牛糞散布、元肥施し、マルチングシート張り、
   植え付け、たっぷり、水やり。

(2)サラダ菜の苗、植え付けと 防寒防霜対策
   種蒔きし育苗していたサラダ菜の苗を植え付け、
   先日、植え付けた、サニーレタスと一緒に、
   防寒防霜対策、不織布シート、トンネル掛け、

(3)大根1本、白菜 2個、小松菜 収獲

生育が悪かった小松菜、この1週間で、急に成長、びっくり

しゃがみこんだり、中腰で、手間の掛かる作業、
腰、痛!、足、痛!、
3時間以上掛かってしまったが、なんとか1件落着。
やれ、やれ、


畑地の周辺のブルーベリー紅葉、カラスウリの実


「中学生日記より」その51(再)

2021年11月18日 09時52分14秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

「中学生日記より」

「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に 一度書き込んだことの有る「中学生日記より」を 改めてリメイクしてみようと思っているところだ。「中学生日記」とは 中学生だった頃のM男が ほんの一時期付けていた日記帳のことで 数年前に実家を解体する際に発見した、ボロボロのゴミ同然の日記帳のことだ。土産物の小綺麗な空き箱や包装紙、冠婚葬祭ののし袋に至るまで 廃棄処分するという感覚が全く無かった父母が、子供達の教科書やノート、通信簿、図画工作作品等も押し入れの奥に詰め込んでいたもので、その中に有った。まさに「タイムカプセル」を開けるが如くの感じで、ページを捲ってみると、すっかり喪失してしまっていた記憶が、断片的に炙り出されてくる。まさか 60数年後に、ブログで第三者の目に晒される等とは 当時のM男は想像もしていなかったはずで 下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。


その51 「手作りうどん」

昭和30年(1955年)8月12日(金)、天気 晴、
起床 5時30分、

1、うどんをひいた。(昼前)
2.農協の演芸を見に行った(学校)

午前中、「うどんをひいた」と書いて有る。当時、各家々では、稲田に不向きな田圃の一画等に、小麦だか大麦だかを作っていて、収穫後製粉、うどん手作りし、食用にしていたが、その作業を、手伝わされたのだろう。実際に、どのような手順、工程で作っていたのか等、全く記憶が無いが、確か、製麺自体は、農協かどこかの製麺機を利用し、出来たうどんを持ち帰り、座敷等に物干し竿を渡して、それに並べ吊るして、何日か干していたような気がする。乾燥後、折れないように下ろし、鋏で適当な長さに切って束にして保管したのだろう。子供の頃のM男は、うどんも、買って食べるものでなく、家で作って食べるものだと、思い込んでいたものだ。
午後か夜かは、書いて無いが、その日、学校の講堂(体育館)で、農協の主催で、なにかの演芸会が有ったようで、それを観に、お盆で農事を休んでいる村民が、ぞろぞろと学校に参集したようで、M男も、父母か祖母かと連れ立って、あるいは、従兄弟で同級生のT男とつるんで、出掛けたのだろう。講堂(体育館)では、御座を敷いて、わいわいがやがや。そんな情景が、思い浮かんでしまう。当時の山村の暮らしには、娯楽は極めて少なく、時々、学校の講堂(体育館)で催される映写会や旅回り演劇団の公演が有った位だったが、そんな時は、近所隣り誘い合って、出掛けたものだった。

手作りうどん干しイメージ
(ネットから拝借画像)

 

コメント (2)