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たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

みかきもり 衛士のたく火の 夜は燃え 昼は消えつつ 物をこそ思へ

2023年12月11日 09時09分13秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・になっているところだ
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、2~3年前、「春」、「夏」、「秋」、「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー「懐かしい小倉百人一首」に書き留めたが、続いて、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにしている。
しばらく中断していたが、秋も深まりつつある季節、再開することにした。


百人一首で「恋」を詠んだ歌 その41

みかきもり 衛士のたく火の 夜は燃え
昼は消えつつ 物をこそ思へ


出典
詞花集(巻七)

歌番号
49

作者
大中臣能宣朝臣

歌意
禁中の御門、御垣を守る兵士の焚く、
夜は赤々と燃えて、昼は消えている 篝火(かかりび)のように、
私の心の恋の炎も、夜は燃え上がり、
昼は、心が消え入るばかりに思い沈み、
苦しい物思いをしていることだ。

注釈
「みかきもり、衛士のたく火の」の「みかきもり」は、
皇居の多くの御門、御垣を警護する兵士、御垣守のことで、
「衛士(えじ)」も、同じ兵士のこと。
「火」は、篝火(かがりび)のことで、
「御垣守である兵士の焚く篝火の」と訳す。
「夜は燃え、昼は消えつつ」
夜、暗闇の中で激しく燃え上がる篝火、
それにひきかえ、昼間のいかにもうつろな感じの火焚き用具、
激しさと沈鬱の対照を表現し、
炎のような恋の激情と、ままならぬ恋の憂鬱な悩みを
みごとに重なり合わせている。
また、第5句「物をこそ思へ」の字余りは、余韻を感じさせる。


大中臣能宣朝臣(おおなかとみのよしのぶあそん)
中臣清麿七代の孫。
伊勢神宮の祭主(神官の長)。
蔵人から讃岐権掾となった。
三十六歌仙の一人。後撰集の選者。
梨壷(なしつぼ)の五人の一人。


因みに 「梨壷(なしつぼ)の五人」とは、
宮中の昭陽舎(梨壷)に設けられた和歌所の寄人(よりうど)だった
源順(みなもとのしたごう)、清原元輔(きよはらのもとすけ)、
紀時文(きのときぶみ)、坂上望城(さかのうえのもちき)、
大中臣能宣朝臣(おおなかとみのよしのぶあそん)の5人。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(つづく)


契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは

2023年12月06日 17時43分33秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・になっているところだ
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、2~3年前、「春」、「夏」、「秋」、「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー 「懐かしい小倉百人一首」に書き留めたが、続いて、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにしている。
しばらく中断していたが、秋も深まりつつある季節、再開することにした。


百人一首で「恋」を詠んだ歌 その40

契りきな かたみに袖を しぼりつつ
末の松山 波越さじとは


出典
後拾遺集(巻十四)

歌番号
42

作者
清原元輔

歌意
固く約束し合いましたよね。
お互いに涙に濡れた袖をしぼりながら
あの末の松山を波が越すことが無いように
私達二人の仲も決して変わることのないようにとね。

注釈
「契りきな」の「契る」は、約束するの意。
「き」は、経験した過去を回想する助動詞、
「な」は、詠嘆の終助詞
「かたみに袖をしぼりつつ」の「かたみに」は、「お互いに」の意、
「袖をしぼる」は、涙に濡れた袖をしぼること。
「末の松山波越さじとは」の「末の松山」とは、
宮城県多賀城市の海岸近くに有った名所で、
どんな高波でも決して越すことは無いと言われていた。
「不可能であること」「起こり得ないこと」を比喩的に用いて、
二人が心変わりすること等あり得ないという約束の内容を
表現している。
「後拾遺集」の詞書(ことばがき)によると、
心変わりした女へ、ある人の代作として詠んだ歌であり、
古今集の「君をおきてあだし心をわが持たば末の松山波も越えなむ」を
踏まえた作品なのだという。


清原元輔(きよはらのもとすけ)

古今集時代の歌人深養父(ふかやぶ)の孫。
清少納言の父
平安中期の歌人。三十六歌仙の一人。
後撰集の選者。
梨壷(なしつぼ)の五人の一人。
河内権少掾(こわちごんのしょうじょう)、周防守、肥後守を
歴任した。


語句や音韻、用法等を借りて表現した
川柳

歌がるた片手に袖をしぼりつつ

百人一首を取る時のスタイルで、
片袖を少したくし上げて押さえたまま、
札を見つめている人の様子。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(つづく)

コメント (6)

今はただ 思ひ絶えなむとばかりを 人づてならで いふよしもがな

2023年11月30日 20時22分41秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・になっているところだ
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、2~3年前、「春」、「夏」、「秋」、「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー 「懐かしい小倉百人一首」に書き留めたが、続いて、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにしている。
しばらく中断していたが、秋も深まりつつある季節、再開することにした。


百人一首で「恋」を詠んだ歌 その39

今はただ 思ひ絶えなむとばかりを
人づてならで いふよしもがな

出典
後拾遺集(巻十三)

歌番号
63

作者
左京大夫道雅

歌意
今はひたすら、あなたのことを諦めてしまおうと、
ただそれだけを、人づてでなく、
直接逢って言う方法が有ると良いのになあ。

注釈
「今はただ」は、「今はひたすら」「今となっては、もう」の意。
「思ひ絶え」は、「思ひ絶ゆ」の連用形。
「ばかり」は、「・・・だけ」の意。限定する副助詞。
「人づてならで」の「人づて」は、人に頼むこと。
「なら」は、断定の助動詞。「で」は、打ち消しの接続助詞。
「よしもがな」の「よし」は、方法のこと。
「もがな」は、「したいものだなあ」という願望を表す終助詞で、
詠嘆の意も含まれている。

「後拾遺集」の詞書(ことばがき)によると、
三条天皇の皇女当子内親王との恋が、天皇の怒りにふれ、
絶対に逢うことが出来なくなった時に作った歌であることが分かり、
せめて別れの言葉だけでも、一目逢って伝えたいという
禁じられた恋の苦悩を歌った哀歌で有る


左京大夫道雅(さきょうのだいぶみちまさ)

藤原道雅(ふじわらのみちまさ)
藤原伊周(ふじわらのこれちか)の子。
関白藤原道隆(ふじわらのみちたか)の孫。
従三位左京大夫に昇進したことで、左京大夫道雅と呼ばれた。
歌人としては、目立つ存在ではなく、悲哀の歌が多い。


狂歌

今はただ おもゆも食べぬとばかりを
お目にかかりて 言うよしもがな

重湯も喉に通らない程の恋煩いをしているということを
直接逢って話したいものだ・・・の意。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(つづく)


あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の 長々し夜を ひとりかも寝む

2023年11月24日 20時17分51秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、2~3年前、「春」、「夏」、「秋」、「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー 「懐かしい小倉百人一首」に書き留めたが、続いて、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにしている。
しばらく中断していたが、秋も深まりつつある季節、再開することにした。


百人一首で「恋」を詠んだ歌 その38

あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の
長々し夜を ひとりかも寝む

出典
拾遺集(巻十三)

歌番号

作者
柿本人麻呂

歌意
山鳥の垂れ下がった尾のように
長い長いこの秋の夜を
私はひとりで寝なければならないのだろうか。
さてもつまらないことよ。

注釈
「あしびきの」は、「山」にかかる枕詞。
「山鳥」は、キジ科の鳥で、雄は、尾が長い。
(ネットから拝借画像)

「しだり尾の」は、「しだり尾」は、ながく垂れ下がった尾の意。
「の」は、「・・・のように」の意。
「長々し夜」は、「長々しき夜」とするところを
語調を整えるため、「き」を省略したと考えられる。
「ひとりかも寝む」の「か」は、疑問の係助詞、「も」は、感動を表す。

「山鳥」の雄雌は、夜間、谷を隔てて別々に寝ると言われており、
「山鳥」という語感からは、その哀れさが響いてくる。
恋しい人を待つ秋の夜長の、
寂しくやるせない情感が伝わってくる歌である。


柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)
持統天皇、文武天皇、両朝に仕えた歌人。
身分は低かったようだが、
宮廷歌人として数多くの作品を残している。
万葉最盛期の歌風を代表する歌人で、
後世、「歌聖」として崇められている。
三十六歌仙の一人。
万葉時代で三十六歌仙に入っているのは、
大伴家持、山部赤人、柿本人麻呂の三人だけ。
因みに、
「万葉集」では、この歌の作者は、不明となっている。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(つづく)


忘らるる 身をば思はず 誓ひてし 人の命の 惜しくもあるかな

2023年11月19日 11時46分47秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・になっているところだ
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、2~3年前、「春」、「夏」、「秋」、「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー 「懐かしい小倉百人一首」に書き留めたが、続いて、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにしている。
しばらく中断していたが、秋も深まりつつある季節、再開することにした。


百人一首で「恋」を詠んだ歌 その37

忘らるる 身をば思はず 誓ひてし
人の命の 惜しくもあるかな

出典
拾遺集(巻十四)

歌番号
38

作者
右近

歌意
あなたに忘れられる私自身のことは、何とも思いません。
ただ、私への愛を誓ったあなたの命が、
(神の怒りにふれて、縮められはしないかと)
惜しく思われますことですよ。

注釈
「忘らるる」は、「忘れられる」の意。
「るる」は、受け身の助動詞。
「思はず」の主語は作者で、「思いません」の意。
「ず」は、打ち消しの助動詞、終止形。
2句切れ。
「誓ひてし」は、「以前に、相手の男性が作者を愛することを
神に誓ったこと。
「て」は、完了の助動詞。「し」は、過去の助動詞。
「人の命の」の「人」は、特定の人を指し、恋の相手の男性のこと。
「惜しくもあるかな」は、「神罰で命を失うのが惜しい」の意。
「かな」は、詠嘆の終助詞。

歌意を、冷淡な相手の男性に対する皮肉と扱われて場合も有るが
男性を思う女性のいちずな真心を表現しており、
冷淡な男をなおも案じる女心、
本当の恋ごころとは、こんなにも哀しくせつないものだという
共感を呼ぶ歌として解釈する。


右近(うこん)
右近少将藤原季縄(ふじわらのすえなわ)の娘または姉か妹で、
「右近」と呼ばれた。
醍醐天皇の皇后穏子(おんし)に仕えた歌人。
この歌は、「大和物語」で物語化されており、
相手の男性とは、藤原敦忠(ふじわらのあつただ)とされている。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(つづく)


憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ はげしかれとは 祈らぬものを

2023年11月14日 06時07分58秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・になっているところだ
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、2~3年前、「春」、「夏」、「秋」、「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー 「懐かしい小倉百人一首」に書き留めたが、続いて、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにしている。
しばらく中断していたが、秋も深まりつつある季節、再開することにした。


百人一首で「恋」を詠んだ歌 その36

憂かりける 人を初瀬の 山おろしよ
はげしかれとは 祈らぬものを

出典
千載集(巻十二)

歌番号
74

作者
源俊頼朝臣

歌意
私の恋ごころに対して冷淡であった人の心を、
こちらになびくように、初瀬の観音にお祈りしたのに、
初瀬の山おろしよ、おまえのように、
冷淡さがますます激しくなれとは、祈らなかったのになあ。

注釈
「憂かりける人を」は、「私に対して冷淡であった人を」の意。
「ける」は、過去の助動詞。「人」は、相手の女性のこと。
「初瀬(はつせ)」は、奈良県桜井市初瀬の長谷寺のこと。
「山おろしよ」の「山おろし」は、山から吹き下ろす激しい風のことで、
「はげしかれ」の縁語で、「よ」は、呼びかけの間投助詞。
「はげしかれ」は、「冷淡さが激しくなれ」の意。
「祈らぬものを」の「ものを」は、「ものなのになあ」と訳す。
詠嘆の気持ちが含まれている。

千載集の詞書(ことばがき)により、
「祈れども逢はざる恋」の題詠であることが分かる。
祈っても逢えない恋の悲しみを、
冷淡さがますます激しくなるばかりであることを嘆きに高め、
その心を、初瀬の山おろしの激しさで象徴的に歌い上げている。
主想「憂かりける人をはげしかれとは祈らぬものを」の間に
「初瀬の山おろしよ」という具体性をもった語句を挿入することで、
恋の苦悩の告白として重みや余情をもたせている。


源俊頼朝臣(みなもとのとしよりあそん)

大納言源経信(みなもとのつねのぶ)の三男。
堀河天皇、鳥羽天皇、崇徳天皇、三朝に仕え
従四位上・木工頭(もくのかみ)となった。
父親の歌風を継承し、当代随一の革新的歌人。
「金葉集(きんようしゅう)」を撰進、
歌論書に「俊頼髄脳(としよりずいのう)」が有り、
家集に「散木奇歌集(さんぼくきかしゅう)」が有る。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(つづく)


風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ くだけて物を 思ふころかな

2023年11月09日 08時35分49秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・になっているところだ
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、2~3年前、「春」、「夏」、「秋」、「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー 「懐かしい小倉百人一首」に書き留めたが、続いて、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにしている。
しばらく中断していたが、秋も深まりつつある季節、再開することにした。


百人一首で「恋」を詠んだ歌 その35

風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ
くだけて物を 思ふころかな

出典
詞花集(巻七)

歌番号
48

作者
源重之

歌意
風があまりにも激しいので、
岩に打ち当たる波が自分ばかり砕けて散るように
(岩のように冷淡で平気でいるあの人に)
私一人だけが身も心もくだいて(さまざまに思い乱れて)
恋の物思いに悩んでいるこのごろなんですよ

注釈
「風をいたみ」の「・・を・・み」は、「・・が・・なので」と訳す。
「いた」は、激しいこと。「風が激しいので」と訳す。
「岩うつ波の」の「岩」は、相手の平気な様子を想像させる。
「おのれのみ」は、「自分だけ」の意。
「くだけて」の「くだけ」には、波が砕け散ることと、
思い乱れることの両意を込めている。
「物を思ふ」は、恋の悩みの表現として頻繁に使われた。
男一人恋に悩む、片想いのせつなさを歌った作品。


源重之(みなもとのしげゆき)
第56代天皇清和天皇の曾孫。
従五位三河守兼信の子で、伯父参議兼忠の養子となった。
平安中期の歌人。三十六歌仙の一人。
家集に「重之集」が有る。


(蛇足)
川柳
くだけても割れても定家百に入れ
上記源重之の作品と崇徳院の作品を引用し、
砕けたり、割れたりしたものでも、藤原定家は

遠慮することなく、百人一首に入れたという、句意


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(つづく)


有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする

2023年11月04日 09時53分53秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・になっているところだ
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、2~3年前、「春」、「夏」、「秋」、「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー 「懐かしい小倉百人一首」に書き留めたが、続いて、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにしている。
しばらく中断していたが、秋も深まりつつある季節、再開することにした。


百人一首で「恋」を詠んだ歌 その34

有馬山 猪名の笹原 風吹けば
いでそよ人を 忘れやはする

出典
後拾遺集(巻十二)

歌番号
58

作者
大弐三位

歌意
有馬山の麓の猪名の笹原に風が吹くと
笹の葉が、「そよ」と音を立てますが
さて、そのことですよ、
そよそよ揺れて不安定なのは、あなたの心で
私があなたのことを忘れましょうか。
(いーえ、決して忘れはしませんよ)

注釈
「有馬山(ありまやま)」は、神戸市有馬温泉地域の山の総称、
「猪名(ゐな)」は、兵庫県川辺郡から尼崎市に流れる猪名川付近の野のこと、
笹の葉が風で鳴る音を表す擬声語が「そよ」であることから
「有馬山猪名の笹原風吹けば」が、
次の「そよ」の序詞(じょことば)になっている。
「いでそよ」は、「さあ、それですよ」の意、

「いで」は、感動詞、「そ」は、指示代名詞、「よ」は、感動の終助詞、
「人を忘れやはする」の「人」は、相手の男性を指している。

「やは」は、反語を意の係助詞、

後拾遺集の「詞書(ことばがき)」には
冷たくなって離れかけた男性から、
女性(作者)が、「心が不安定だ」と言われ、
それに対して、詠み贈った歌であると記されている。
「猪名(いな)」に、「否(いな)」を響かせ、
「いでそよ」と強く言いなしているところに
反発の意志が込められている。


大弐三位(だいにのさんみ)

藤原宣孝(のぶたか)と紫式部の娘、
実名 藤原賢子(かたこ)
正三位(しょうさんみ)・大宰大弐(だざいのだいに)であった
高階成章(たかしなのなりあきら)の妻となったことから、
大弐三位(だいにのさんみ)と呼ばれた。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(つづく)

コメント (2)

わびぬれば 今はた同じ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ

2023年10月29日 09時49分56秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、2~3年前、「春」、「夏」、「秋」、「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー 「懐かしい小倉百人一首」に書き留めたが、続いて、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにしている。
しばらく中断していたが、秋も深まりつつある季節、再開することにした。


百人一首で「恋」を詠んだ歌 その33

わびぬれば 今はた同じ 難波なる
みをつくしても 逢はむとぞ思ふ

出典
後撰集(巻十三)

歌番号
20

作者
元良親王

歌意
あなたに逢えず、苦悩の底に沈んでいますから
今となってはもう、この身を捨てたのと同じことです。
いっそのこと、難波に有る「みおつくし」の言葉のように、
身を尽くして(身を捨てて)もいいですから、
お逢いしたいものですよ。

注釈
「わびぬれば」は、「相手に逢えず、つらく寂しい気持ちなので」の意。
「今はた同じ」は、「今となってはもう、身を捨てたのと同じ」の意。
「はた」は、「もはや」「やはり」と訳す副詞。
「難波(なには)なる」は、「難波潟に有る」の意。
「みをつくしても」は、「澪標(みおつくし)」と「身を尽くし」の掛詞。
「澪標」とは、「舟の進路を示す杭」のこと。
「逢はむとぞ思ふ」の「む」は、意志の助動詞。

「詞書(ことばがき)」には
相手の女性との秘密の恋愛関係が露見してしまった後に
その女性に送った歌であることが、記されており、
周囲から抑圧され、絶望状態の中で、
例えこの身を滅ぼしても構わないから逢いたいという、
一途な男の愛情が歌われている。


元良親王(もとよししんのう)

陽成天皇の第1皇子。
兵部卿であったため三品兵部卿とも呼ばれた。
平安朝随一のプレーボーイだったと言われており、
多くの女性との贈答歌は、
「元良親王御集」に収められている。
因みに、「わびぬれば」の相手の女性は、
宇多上皇が愛した女性だったと言われている。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(つづく)

コメント (1)

長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れてけさは 物をこそ思へ

2023年10月25日 09時15分06秒 | 懐かしい小倉百人一首

足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・になっているところだ
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、2~3年前、「春」、「夏」、「秋」、「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー 「懐かしい小倉百人一首」に書き留めたが、続いて、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにしている。
しばらく中断していたが、秋も深まりつつある季節、再開することにした。


百人一首で「恋」を詠んだ歌 その32

長からむ 心も知らず 黒髪の
乱れてけさは 物をこそ思へ

出典
千載集(巻十三)

歌番号
80

作者
待賢門院堀河

歌意
末長く変わることなく、愛して下さるかどうか
あなたのお心のほどは分かりませんので、
昨夜の寝乱れた黒髪のように、私の心も乱れて
今朝は、物思いに沈んでいますよ。

注釈
「長からむ心」は、「末長く、女性(私)を忘れまいという
男性(あなた)の心」の意。
「知らず」は、「あてに出来ない」「期待出来ない」の意。
「黒髪の乱れて」は、「私の黒髪が乱れているように、
心を取り乱して」の意。
「物をこそ思へ」は、「物思いをすることだ」の意。
「こそ」は、強意の係助詞。

「千載集」の詞書には
「百首の歌奉りける時、恋の心をよめる」
(百首歌を差し上げた時、「恋」の題の趣を詠んだ歌)
と有り、
恋人と一夜を明かした後、朝の別れに、
黒髪を乱して、ただ一人思い悩む女性の情感が
しみじみと伝わってくる作品。


待賢門院堀河(たいけんもんいんのほりかわ)

神祇伯(じんぎはく)源顕仲(みなもとのあきなか)の娘で
前斎院令子内親王に仕え、「六条」を呼ばれていたが、
後に、崇徳天皇の生母待賢門院(たいけんもんいん)に仕え、
「堀河」と呼ばれ、当代の代表的女流歌人の一人だった。


参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)


(つづく)