草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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賢さ

2011年05月26日 09時57分09秒 | 
 お早うございます。今日はお休みです。昨日は、どうも教室が落ち着かない日でした。このところ全体に子どもたちの心が勉強に位置がすわっていないように感じています。小6男子は私語が絶えない。雑談が絶えない。昨日は、中1が小学生の女子にちょっかいを出して騒ぎになっていましたが、これは中学生が悪い。困ったものです。基本的にはみな真面目な子たちなのですが、どうも子どもたちの心が勉強にスタンスがしっかりと向いていない。このような心持ちではとてもあの掲示板に自分の番号を乗せることなどできはしない。
 何度も言うようですが、合格する、成績がよくなる、には、「指示に100%従えるか」です。
 この指示というのは、何も出されたレジュメをきちんとやるとか、過去問をきちんと解いていくとかだけのことではなくて、「おしゃぺりをするな」「静かにしなさい」「集中しなさい」といった一連の細かい注意も指示です。こうした言葉を真摯に受け止める子が「受かる」子なのです。「自分勝手にやる子」というのは、結局受かりません。その自分勝手の意味をよくよく考えなければならない。小6の中には、計算だけで3時間、天声人語で2時間もかけている子がいましたが、本体の算数による思考訓練は結局しないままに終わったわけです。何度も言うようですが、計算は5~15分で単なる準備体操に過ぎません。天声人語も慣れてくれば30分程度で片付けてほしいと思います。飽くまでも、本体は算数です。過去問です。それから小6は家庭学習に十分に時間をとってほしいと思います。
 これからそれまで時期尚早と控えていた様々なレジュメを課す算段でしたが、これだけ騒然としているとまず新しいレジュメ指導は無理です。こどもたちが真剣に落ち着いて静かに指示を守ることだけに気持ちを向けてくれるのはいつのことになるのか。少なくとも、常に私の指示を第一と考えて行動した子のみが合格することにはなるでしょう。私がどうしてほしいか、何をしてもらいたいかがわかるくらいでなくてはとても適性能力などないでしょう。
 私の子どもたちがまだ幼いころ、いつか郷里の別府の遊園地に行ったことがありました。そこでアヒル競争というのがありまして、八羽だったか、十羽だったか、首に赤やら黄などの首輪をつけたアヒルたちが調教師の男の号令で一斉に飛び出し、レースを展開します。すごいのは、客の買ったアヒル券(馬券と同じ)の一番少ないのが必ず1番になるのです。どこかで調教師が合図を出していると思うのですが、客にはわかりません。このアヒルたち、調教師の言葉にとにかく忠実に反応する。「歩け」と言えば一斉に歩き出す。「黄色止まれ」と言えば黄色だけ歩くのを止める。「回れ右」「回れ右するな」とすべてそのとおりに動くのです。これはとにかくすごいと思いました。これだけアヒルたちをしつけるのはとにかくすごいと思いましたが、アヒルたちが常に調教師だけしか見ていないというのにとても感心しました。
 そういえば、これまで竹の会で都立中に合格した子というのは、私の言うことを神様のように思っていた子たちばかりでした。桜修館に合格した富小のA君のお母さんが合格報告に見えたとき「家で先生にやれと言われたことを何度も何度も繰り返していた」と述懐されていました。「先生が宿題を月曜日に出しなさい」と言ったというので土日は「ずっとやっていた」と言っていました。私の言うことに注意深く耳を傾けて常に指示に従おうとする姿勢があの年、一人だけ合格という奇跡をもたらしたものと思います。そういう目で見れば、あの年合格する力はあったと思われる2人が落ちたのは納得できる事実でした。大量の未提出のレジュメをかかえたままとか、過去問を1冊にまとめることもしないで解き直しもやっているのか怪しいというような私を失望させるような事がたくさんありました。
 これは小学生に限ったことではありません。都立西に合格した女子や都立西に合格した男子などこれまでの成功者は常に私の言うことに耳を傾けて素直に実行した子たちばかりです。私が「過去形を覚えてきなさい」と言えば、それがふつうの言い方で特に感情をこめてなくても、実行する子が結局伸びていくのです。私の一言は私の長年の指導経験からふとわき出るものです。そしてたいていこれは後々に要となる指示であることが多いのです。重ねて言いますが、私の指示をないがしろにする子は確実に落ちます。どんなに小さな指示でも「先生が言った」ということを重きにとらえるほどに素直な子が結局成功するのです。
 少なくとも同じ指示を何度も言わせるようでは、成功する見込みはありません。
 生半可に能力が高いと先生の言うことなどに従おうとしないものです。先生の言うことよりも「自分はこれがいい」と思うことをやる。そしてまずそういう子は間違いなく失敗します。本当に能力の高い子は素直に学ぶ子です。これを賢いと言います。また、能力が足りないというのも別の意味でダメです。能力が低い分「先生の指示に従わない」ということが多いからです。これはやはり賢くないといいます。賢くないとは、思慮が浅いということです。浅い思慮で行動する子は「適性能力がない」と言います。たとえば、いつまでもおしゃべりをやめない子というのは、それが結局勉強していない時間なのだということに思い至っていないのだから賢くないということです。勉強しなければできるようにはならないということに思いいたらなのですからやはり賢くないのです。時間を無駄にすることがどんなに無思慮なことなのかがわからないのもやはり当然賢くないということです。これは、中学生だって同じことです。小学生をからかったり、威圧したりすることが少なくとも勉強する場でやることが賢いことかということです。子どもたちに欠けているのは「賢さ」ということの自覚です。アヒルたちが調教師のしぐさ、言葉に常に集中しているのは少なくとも「賢い」という意味で感動でした。
 合格に必要なことは何か。賢くなりなさいということです。自分の行動のひとつひとつが意味することを考えること、それが賢いということです。そしてそれが適性能力ということです。賢い子が合格するのが適性検査です。これまで落ちた子たちは賢くなかった、それだけです。

 
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