草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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必ず「受かる」勉強を

2011年05月26日 19時04分35秒 | 
 塾に何のためにきているのか、そういうことは常に問いかけなければならない。常に、自分のしていることを「問いかけなければならない」。それが賢くなる道である。ところで、算数のレジュメには、こっそりと検査問題がしかけられている。その子の思考力の段階を推し量るために忍び込ませた問題である。この問題が解ければ大丈夫というのがある。いろんな思考を積み重ねて最終的に解に至るというなかなかの良質の問題がある。そういう問題を切り抜けた子というのは、ひとつひとつ思考の階段を上っていくであろう。が、どうしてもこの検査問題で躓く子というのがいる。私のレジュメをどっさりやってきて出して、かつそれがほとんど出来ているという場合は、たいてい私は信用しない。自分でやって解いたかどうかはいずれ検査問題がはっきりさせてくれる。式はデタラメで答えだけ合っているというのによく出くわす。なぜ答えが合っているのか不思議でならない。式を詳細に追ってみると、どうも最初に答えがあって、式は帳尻合わせのようにデタラメということがある。こうなるともう最初に答えを知っていたということになる。また、かなりできる子たちが解けない問題をすんなり解いているとこれはだれかに聞いたのに違いないとわかる。
 子どもたちが、何のために問題を解いているのか、ということを問いかけているのなら、そういうバカなことはしないであろう。適性検査というのは、自分の行為がどういう意味を持っているのか、ということを当然知っていて行動しているという当然の賢さを求めているにすぎない。またそのことがわかるようになれば合格は近い。
 今、私が指示をしているのは、算数を手段として「思考力」を「深める」ということである。ここのところを誤解してはならない。私のレジュメは決して宿題ではない。遅れているからといって、お家の人に手伝ってもらってやりあげるのは、ナンセンスである。1問1問を考えて正解に達するという積み重ねこそが大切である。「1%」を終えたら、「小学思考の素」と「面積と体積」「視覚の素」が次の課題である。思考の積み重ねで解いていかなければ、つまり他人に聞いて解いていけば、次第に難しくなる問題に行き詰まることは目に見えている。さて、算数の問題レジュメは、次々にステップがあり、際限がない。あるとき、ある日、私が「君はもう算数目録に達している」と判断したとき、君たちの思考は合格を超えている。そうでなければ合格はない。
 過去問に真剣に取り組んでいるであろうか。「1%」を終えたら過去問を課すこととなっている。私の希望は7月20日までに終わらせること。夏休みが始まる7月21日からはまた次の課題を予定している。しかし、20日までに終わらなければ、夏はそのまま終わらなかった過去問を続けることになる。つまり、新しい指導課題はない。
 課された課題は徹底してやることである。昨日の指導から天声人語の書写を課した。速く丁寧に書く、矛盾した要請であるが本番を意識してとにかく書く。わからない意味があれば辞書で調べる。開いたスペースに書き込む。普段の勉強では、何度も読み込む。音読するのもいい。普段から読書も形だけという子が多くて、新聞もほとんど読まないというのが常態なら、とにかくこういうかたちでも活字に慣れ親しんでおくことがいいと思った。母国語である日本語を書くことがほとんどないというのもやはりおかしい。
 とにかく課された課題には、必死に取り組むことである。
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