草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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危険な兆候

2011年05月29日 10時52分30秒 | 
 お早うございます。本日は雨です。関東は27日に梅雨入りしたそうです。気温もやや低めです。会員の皆さんは風邪など引かないように用心してください。蒸し暑いからといって薄着をして体を冷やさないようにということです。
 さて、明日は5月最後の指導日となります。5月の指導の中心は、もちろん算数でした。正確には、算数を通しての思考訓練ということです。過去問全国版に取り組んでいる子も何人かいます。6月は過去問全国版が家庭学習の大きな課題となるかと思われます。決して早く進めるためにいい加減な答えを書いてはなりません。時間をかけてじっくりと考えてください。今年桜修館を受検したのは2人でした。その2人の過去問のようすはどうであったのか。いずれもできが悪かった。ただ落ちた子については、かなり早いペースで終わらせたのはいいが、できる問題とできない問題を色分けしただけで、できない問題が7~8割もあり、まるで思考訓練の体を為してなかったと思います。合格したほうもできは3~4割でした。その差は算数力の差と奇妙に対応していたと思います。そして合格者の算数力が伸びるにしたがって適性解答率もよくなっていくのがよくわかります。
 さて、その算数ですが、正直不満を持っています。まず、1題を抱え込んで1週間以上も提出できないというのはまずい。合格者というのは、少なくとも1時間も考えればたいてい答えは出していた。もちろんいくら考えてもできない問題というのもありました。しかし、これができなければ割合の基本理解が疑わしいという問題ができないで抱え込んでいるというのは「危険な兆候」です。今年桜修館に落ちた子はそうでした。私はレジュメの中にそういう検査問題というのを仕込んでいます。そういう問題はさっさっと解いてくるというのが過去の合格者の共通したところでした。レジュメ指導において、私を失望させるというのは、危険な兆候です。検査問題を難なくクリアしていく子が受かるということです。検査問題を解ける子が私の信頼を獲得していくのです。私の信頼が「もうこの子は十分に様々な局面において思考を発揮できる」というほどに得心させる程度に達したときこそ「君はもう合格できる」ということを言わしめるのです。
 何度も言うようですが、遅れているからといって、私のレジュメをまとめて出すというのは、まずいと思います。私のレジュメは1枚1枚「理解を確かめながら」添削するように作られています。ただ次第に難度が高まりますから、いずれはまとめて出すなどのことはできなくなるでしょうが。もちろんまとめて出してもきちんと考えて、だからしっかりと式が書かれてあるのなら、それはありです。ただ決して人に聞いてはならない。特に、検査問題を人に聞いて解けたとしても何も意味のないことです。検査問題というのは、割合などの基本にかかわる問題で、割合を本当に理解しているのなら解けるはずの問題だからです。
 6月はさらに算数を深めていってほしいと思います。早くからパスポートで取り組んできた子たちの方が、当然進むのは早いでしょう。ただこれは能力が同等としての比較です。能力的に高ければ進むのも早くなるのは当然ですから。算数を極めることが合格へ近づくことであることは疑いありません。
 それから、これは小6にと思ったのですが、中学でも言えることです。
 読書をしなさい、ということです。それで今日は1つ本を紹介します。
 
新装版 ソフィーの世界  ~哲学者からの不思議な手紙 上・下  ヨースタイン・ゴルデル 須田朗監修 池田香代子訳 NHK出版 定価各1050円
 これからこの本を夏休みまでに読み終わればと思います。
 読んでも理解できないところは何回も読み返しては考えることです。考えながら読む本としては最適です。
 大切なことは、思考訓練ということです。算数にしても、国語にしても、アプローチは違いますが、「考える」という本質は変わりません。国語の場合は、何回も読み返して、文の意味するところを理解することでした。そして文と文とのつながりを自然に受け入れていくものです。つながりがおかしければ論理のセンサーがはたらく、これが理想です。文というのは、問いかけの文、説明の文、理由を述べる文、例示する文、と様々に「つなぎ」、全体として1つの主張を訴えかけているはずです。そういうことを考えながら、文を読むことが、考える、つまりは思考訓練ということです。
 今実施している天声人語についても、書写した後が大切です。まず、わからない言葉の意味はきちんと辞書で調べて書き留めておくことです。そして何回も音読をする。その場合に3回目あたりから文の意味を考えながら音読する。文と文のつながりも考える。文は基本的に、問答調になっていると思っていい。まず「なにかを問いかける」。問いかけ文の前に枕詞的な文というのもある。問いかけに対しては応答文が続く「はず」である。あるいは、何か「抽象的なことば」「一般的でないことば」があれば、その「説明文」が続くこともあろう。とにかく筆者の意図は読み手に自分の主張を伝えたい、理解してもらいたい、そういう意識で書いているはずである。だから、そのために例をあげて具体的に説明したりする。とにかく文というのは、筆者のそういう活動のあらわれなのであるから、そういうつもりで読み手も考え考え筆者の言わんとするところを読み取るようにいろいろ考えなければならない。読解というのは知的な思考作用なのだ。ただ単にさらりと読んで頭に何も残らないでは思考の欠片もない。筆者の思考を追い求めていく。文を読み筆者の思考に素直にしたがう、筆者の思考の跡を素直になぞる、追い求める、これを読解思考という。
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