草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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「中途半端」考

2008年04月24日 14時25分02秒 | 
 新しい子たちが入会してそろそろ2か月経つ。そろそろ子どもたちの性格・能力もわかりかけてきた。のんびりとゆっくりやるのが好きな子たちである。算数の新しいことに挑戦させていると, 国語の時間がきたとさっとと算数を切り上げる。これは「そのまま続けなさい」と注意する。新しく学び始めたことが「やっかいだ」と思うとどうも回避する傾向が強い。このへんのところはほとんどの小学生に見られる傾向だ。「わからない」「むつかしい」と回避する。なんとかやらないで済ませようとする。それで心はとりあえず落ち着くからだ。乗り越えがたい壁に直面するとその壁に立ち向かうのをなんとか先延ばししようとする。これは昨今の子どもたちのどうやら一般的な傾向のようである。心の安寧を保とうとするのは子どもたちの自己保存に根ざすのかもしれない。それはともかく難局に立ち向かう前に押しつぶされる子どもたちのなんと多くなったことか。現代の子どもたちの心はデリケートで傷つきやすく, 試練に立ち向かえないほどに脆弱化している。これがもし子どもたちを必要以上に大切にしてきたことつまりは自尊心を温室という居心地のいい環境で増長させるだけ増長させ, 風雨にさらされることから親が盾となりシールドを張ってきたということが現代の子どもの性向を規定してきたとするのであれば・・・。雑草のように強い子に育てることが将来独り立ちして生きていくための子どもにしてやれる親の真の愛情と思うのだが・・・。
 「中途半端」ということで書き始めたが, 竹の会ではこの4月からの新規募集についてはパスポートと特別コースの2コースのみとなった。基本コースの2時間では, 指導が中途半端に流れてしまい結局, 成績不振は改善さないままにいたずらに時が過ぎてしまうということを深刻にとらえた結果だ。
 さて現在, この「中途半端」ということがひとつ問題だ。とにかく計算の習得に指導を集中させているが, 先ほども言ったように子どもたちはいたってマイペースだ。自分の体内時間でやる。私は時々延々と続く同じことの練習を飛ばすことがある。ワープするわけだ。しかし, 往々にしてこのワープは失敗することが多い。いわば「着地失敗」だ。それでまたもとに戻る。子どもたちの中に真に根づくまではとにかくこつこつと解かせるしかないか。一人前の割合思考が操れるようにもっていくということが一仕事ということだ。天声人語を読みこなしているとはとても思えない。6年生にも重荷のようだ。ましてや5年生にはさらに重い。それで私は内容を理解することを期待してはいない。とにかく辞書をひきまくってほしい。新しいことばをたくさん経験してほしい。当面はそういうことになる。少なくとも天声人語程度の文章が理解できるようにならなければ受検にしても受験にしても通用する読解力とはいえないということである。子どもたちにとって確実な知識をつけられる漢検の勉強だけはしっかりやってほしいと思う。
 今私は子どもたちの能力を引き出すための新しい工夫を考えている。その一つが割合を「分数の本質」から説き起こす試みだ。あるいは中学入試ではお馴染みの「規則性の問題」に着眼している。あるでたらめにみえる現象から規則性を見つけさせるという教材を思案中である。「規則性」は「しくみ」と置きかえてもいい。「しくみ」であればたとえばタネは理科や社会から探すこともできる。子どもたちに規則・しくみを推理させて求めさせる。そのうえでその規則・しくみを使って未知を予測させるというのが私の描いている青写真だ。
 現代の子どもたちに欠如している「読みとる」能力, その前提となる「読む」ことを今は新小問に期待している。理科・社会については, 子どもたちの「読みとる」基本を前提にして効率のいい指導教材の作成をしたい。
 最近の私の中学用指導レジュメは「しくみの解説」「問題」「問題解説」の3セットとなっている。以前は「問題解説」は口頭指導が中心であった。しかし, 「いい」解説を保存する形で提供するのも意味あることかなと思いたち詳細な解説プリントを書き始めた。
 4月指導は始ったばかりだ。これからじっくりと取り組みたい。毎日が反省だ。反省しては次を試す。子どもたちの「わからない」と直面する毎日。そして反省。そして新しい試み。これが今の私の毎日だ。
 私の恐れるもの。それは「中途半端」なまま流されること。子どもたちがひとつのことから逃げずにじっくりと正面から取り組んでくれることが私には最上の喜びである。
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