かつて荒れる波の中に家族でヨットでのりだして死亡した事故があった。危険であることはわかっていたが, 随分前から計画してお金も払ってしまったので, 引き返すことができなかったらしい。
タレントの坂本九は, 普段は飛行機を使わない人だったということである。しかし, たまたま大阪の仕事で航空券が送られてきて, 乗ったということである。彼はこの飛行機の墜落によって死亡した。
かつて集中豪雨でダムが決壊し, 水のない川の島でキャンプをしていた家族が濁流に呑まれて遭難した。折角のキャンプを無駄にしたくないという意思がはたらいていたのか。
今回の原発事故での菅総理の判断については, すでにこのブログでも取り上げた。
私たち凡人は, 危機に際して, それまでに投資したカネが惜しいばかり, 危険を過小評価する性向がある。
原発では, 東電が原発を廃炉にすることを躊躇した。国民全体の生命はこのとき過小評価された。絶対的に東電の原発を壊したくないというほうに秤が傾いた。
そもそも危険判断とカネは秤にかけられるべき筋合いのものではない。マルクスの下部構造は生産に関するものであるが, これは生存にかかわるとも考えられる。上部構造は, 下部構造を前提として, 経済・法律などにかかわるものとして理解されている。ここでは, 生存vs利得は生存が前提であり, 決して同レベルで天秤にかけられるはずのものではない。
危険かどうかを, カネで判断することがそもそもありえないことなのである。危険かどうかは純粋に危険性を考えて判断しなければならない。アメリカは原子力では負の側面を含めても日本より危機意識は敏感である。また客観的に彼岸的にも見れる立場にあった。そのアメリカが廃炉と判断したものを一蹴する浅はかさが私には理解できない。少なくとも国民の生命を守るべき立場にある一国の首相のする判断とはとうてい思えない。
私たちは凡人である。だから本来天秤にかけられないものをすぐに天秤にかける。もちろん一方の皿には必ずといっていいほど損得の重りがのせられている。
私は私たち凡人がほとんど本能的にやるこの天秤の処方をすくなくとも私自身の戒めとしたいと思う。私自身もそのような性向は否定できず, いや今までにそうした秤の使い方をしてきてそれなりの失敗をしてきたと思う。
私は少なくとも私は私自身にその戒めを幾度となく語りかけたい。
タレントの坂本九は, 普段は飛行機を使わない人だったということである。しかし, たまたま大阪の仕事で航空券が送られてきて, 乗ったということである。彼はこの飛行機の墜落によって死亡した。
かつて集中豪雨でダムが決壊し, 水のない川の島でキャンプをしていた家族が濁流に呑まれて遭難した。折角のキャンプを無駄にしたくないという意思がはたらいていたのか。
今回の原発事故での菅総理の判断については, すでにこのブログでも取り上げた。
私たち凡人は, 危機に際して, それまでに投資したカネが惜しいばかり, 危険を過小評価する性向がある。
原発では, 東電が原発を廃炉にすることを躊躇した。国民全体の生命はこのとき過小評価された。絶対的に東電の原発を壊したくないというほうに秤が傾いた。
そもそも危険判断とカネは秤にかけられるべき筋合いのものではない。マルクスの下部構造は生産に関するものであるが, これは生存にかかわるとも考えられる。上部構造は, 下部構造を前提として, 経済・法律などにかかわるものとして理解されている。ここでは, 生存vs利得は生存が前提であり, 決して同レベルで天秤にかけられるはずのものではない。
危険かどうかを, カネで判断することがそもそもありえないことなのである。危険かどうかは純粋に危険性を考えて判断しなければならない。アメリカは原子力では負の側面を含めても日本より危機意識は敏感である。また客観的に彼岸的にも見れる立場にあった。そのアメリカが廃炉と判断したものを一蹴する浅はかさが私には理解できない。少なくとも国民の生命を守るべき立場にある一国の首相のする判断とはとうてい思えない。
私たちは凡人である。だから本来天秤にかけられないものをすぐに天秤にかける。もちろん一方の皿には必ずといっていいほど損得の重りがのせられている。
私は私たち凡人がほとんど本能的にやるこの天秤の処方をすくなくとも私自身の戒めとしたいと思う。私自身もそのような性向は否定できず, いや今までにそうした秤の使い方をしてきてそれなりの失敗をしてきたと思う。
私は少なくとも私は私自身にその戒めを幾度となく語りかけたい。