草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
※2015年10月より竹の会公式HP内にブログ移転

都立中をめざすことが結局いちばんいい道を歩んでいることになる

2015年09月11日 13時21分19秒 | 
 おはようございます。今日は久しぶりに青空が広がりました。台風18号、東京ではそれほどのこともありませんでしたが、各地に激震災害をもたらしました。鬼怒川決壊は衝撃でした。かつて鬼怒川温泉に投宿したことがありました。谷川は深く底に流れる水はせせらぎを奏で、風光明媚な光景が心を癒やしました。鬼怒川の流域が茨城県に広がり、その流域が決壊した、そういうことですね。鬼怒川は、鬼が怒るのままに、かつての川の氾濫がそのような名前の由来なのでしょうか。ほんとうに今度も想定外の災害だったのでしょうか。
 映像に流される洪水の光景はどこか他所の国のできごとのようにも見えました。
 秋の気配を感じながら、今年は異常に「早い」秋の到来に複雑な思いです。
 竹の会初出版となる「算数革命」の原稿を少しずつ書いておりますが、書くほどに、これほど「わかりやすく」、これほどひとつの枠組みで思考すればどんな入試問題もこれほど簡明に解き明かすことができるのだという、そういう本がかつてあったのか、市販の著名な先生が書いている、算数の本なんか、なんの役にも立たない、竹の会理論による算数のすばらしさに、正直われながら胸躍る気持ちです。
 大手出版社は、必ずわたしの算数書を出さなかったことを後悔するでしょう。それほどに子どもたちにはかつてない、夢の書籍になるでしょう。これまでに全国のどの小学校の先生も、どの塾の先生も思いつくことのなかった算数の方法です。この本がいずれ日本全国のお母さんたちに感動を与えるであろうこと、そして多くの教師、塾講師がわたしの方法を真似するであろうことをわたしはわかっています。
 それでもあえて公開するのは、日本全国の小学生に算数をこれほど明快にマスターできる方法があるのだということを知ってほしかったからです。
 これまで竹の会の子たちは、竹の会の方法で算数を短期間に、たちまち上達させたのです。
 子どもたちは、竹の会の方法が竹の会の外に知れるのを面白くないと思っているかもしれません。
 おそらく巷の塾では、こぞって竹の会の方法を使って教えるということをやるようになるでしょう。
 しかし、わたしの本だけで、算数の基本はマスターできます。そんな軽薄な塾に通うことはないと思います。
 竹の会には、難関中学の算数を解明したノウハウがたくさんあります。竹の会の秘密をすべて公開するわけではありません。
 竹の会で都立中をめざすということは、結局将来的にはいちばんいいかたちで今の生活を送っているということになると思います。
 小5、小6の時期に、これほど思考を鍛える、割合を極める、という機会をもつということは、これから中学、高校へと進んで、道を拓いていく上においてどれほど役に立つことになるか。
 都立中を受けないから、何もやらない、ということは、ここで大きな誤解、考え違いをしているということです。
  思考を鍛える、割合を極める、ということは、受検するかどうかとは、本質的に関係ないことです。
 かつて、「受検止めました」、即「勉強止めました」と言って、退塾した子たちがいましたけど、勘違いも甚だしい人たちでした。
 本来、思考訓練というのは、受検とは関係ないことです。将来、中学、高校で勉強する礎、基礎をつくる、ということです。
 たまたま都立中受検を契機として、図らずも思考訓練をすることになる、ということは、もともと小学時代にやっておかなければならなかったことをやることになった、という意味でなんと幸運にも、正しいあるべき道を歩んだ、ということなのです。
 わたしは、よく言いますけど、竹の会というのは、そのへんにわんさかある塾とはちがうということです。
 都立中受検だって、高校入試だって、思考勝負でしょ。まず思考力をつける、その上で思考勝負する、ということです。
 思考というのは、頭を使う、使い方を学ぶ、その分、ただの暗記という作業を減らす、思考をすればするほど、暗記の領域を食い尽くしていく、つまり、それだけ暗記する量が減る、そういう効果があります。
 竹の会では、高校受験の勉強だって、他の塾などとはちがい、やる量はかなり少ないはずです。 それは思考することで、頭を節約しているのです。
 お仕着せのテキストを重宝がってやる愚は、市販のどこやらの著名な先生の書いた算数の参考書をありがたがって買い読むのに等しい。
 思考を磨くということは、思考のさまざまな機微に特化した指導を可能にする。
 たとえば、曖昧な状況から規則性に閃く訓練とか、漠然とした事実から意味ある関連を見いだすとか、・・思考のあらゆる側面をとりあげて、訓練する、ということを可能にする。
 問題なのは、どういう問題集をやったかとか、予想問題をどれくらいやったか、ということではなくて、思考の柔軟さをいかにして培うかということになるであろう。
 頑なな、先入観念で規定された身動きのできない思考の状態で、気ばかり焦って、あれこれ手を出して、という自滅の迷路に陥らないことだ。
 冷静に、判断する、その場で考える、そういう訓練こそなによりの力となるであろう。
 竹の会のめざすもの、それがなにか、わかるであろうか。


 
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