草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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勉強時間のことなど

2011年05月23日 11時07分30秒 | 
 お早うございます。本日は指導日です。天気予報は、雨のようです。今はまだ降っていませんが、夜は降っているかもしれません。傘を忘れないようにしてください。
 ところで、小6のみなさんは、今どの程度勉強時間をとっていますか。
 竹の会は、原則月・水・金ですから、火曜や木曜は家庭学習を予定しています。特に、土日はそれなりのまとまった時間をとる必要があるかと思います。2学期になると私の方から、土日各10時間以上という指定をするようになると思いますが、今は各人の思うようにやってもらっています。ただ、小6ですでに過去問に取り組んでいる子の場合は、土日に相当がんばらないと私との約束は果たせないと思います。
 これから述べるのは、中学生の話ですが、中学の場合、1日3時間なら「現状維持」、それ以下なら「成績下降」、5時間なら「成績上昇」というのが一般的な通説です。もし1日でも「勉強しない」日があるなら、「落ちこぼれる」と考えておいたほうがいいでしょう。
 ところで、上に述べたのは普通の公立中を念頭に置いたものでした。通常の公立中よりかなりレベルの高い都立中ではどうかということですが、これはもう都立西などの東大受験校と同様に考えておいたほうがいいと思います。このような学校に入るということは、まず入学後の勉強時間は受検にかけた以上の勉強が必要ということです。昔の話しで申し訳ないのですが、私の小学生の同級生のF君は、中学で3年間学年1番で、県立上野丘高校で学年3番でした。彼は東大理系に現役合格しましたが、その彼の中学時代の勉強時間は毎日最低7時間と聞いています。高校のときは、たまに受験前のことですが、学校を1日休んで蔵にこもって20時間近く勉強することがあったと聞いています。彼の家は旧家のようで蔵がありそれを勉強部屋に改造していました。
 受験校で部活をしながら成績がいいというのはまずほとんどいなかったと思います。とにかく毎日が勉強一色でしたし、夏休みは実質お盆の7日くらいで、夏休みに入っても普通の授業時間と変わらず補習が実施されました。これは冬休みも同じでした。そして修学旅行もありませんでした。それが受験校の姿です。
 私は東京でもう25年指導をしていますが、東京の中学生というのは、必ず部活をやっています。なかには部活命で親子で部活優先という人たちもかなり出会いました。当然成績は最低でした。たいていは偏差値の低い私立に推薦で入っていきます。高校にはあまりこだわりがないようで、ほとんどの子たちが専門学校に進みました。私の実感は東京の子どもたちというのは、大学に進む子が少ないなというものでした。国立大に進める子というのはまれでした。私がいままで出会ったきた子たちで、できる子というのは、勉強第一でまず部活は従でした。部活で勉強を犠牲にするという子はまずいません。早稲田大に進んだS君は中学時代は柔道部長や生徒会長をやっていましたが、それでも3年間ほとんど塾は休んだことがなかったと思います。あくまで勉強優先という姿勢は維持していたと思います。部活に熱心な子というのは、時として勉強を犠牲にして往々にして勉強をゼロにして部活のみということに陥りやすく、結局落ちこぼれたままにだれでも入れる高校に無試験で行くというお決まりのパターンを踏むようです。
 以前にもこの草枕で述べたと思うのですが、「勉強する」というのも「能力」だと思います。知能の高低というのは、確かに勉強にとって大きな要素ですが、いくら知能が高くても「勉強する」能力がなければ成功しません。知能が低い人の場合、たいていは「勉強する」能力も低いものですが、ときどき例外もあります。
 さて、たとえば、ある日は何時間も勉強して、何日間かは勉強ゼロという人はだめです。「勉強する」能力というのは、365日1日も休みなく、毎日同じように生活する人のことです。勉強しない特別の日がよくある人は「勉強する」ということの意味がわからない、その意味で賢くないといえます。毎日勉強することがこなし仕事のように黙々とこなしてそれを継続するというのは類い希なる能力です。「続ける」というのは非凡の証しです。これが東大型の人たちです。
 今は都立中ブームでたくさんの子どもたちが都立中高一貫校をめざして勉強していると思います。それはそれで結構なことなのですが、都立中に入ると言うことは、入った後もそれまで以上に勉強しなければならないのだという覚悟がない子がかなりいるようです。入ったはいいが勉強不足で落ちこぼれるというケースも多いということをよく考えておいてください。
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