草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
※2015年10月より竹の会公式HP内にブログ移転

打つ、引っ張る

2013年03月10日 08時50分19秒 | 
 お早うございます。本日は指導日です。現在11℃。今日も汗ばみそうです。花粉は現在完全に制空権を掌握しています。確かに、花粉症は不快なものです。しかも、わたしたちの体は実に正直にその不快感を体で表現しています。それなのに、この偽装に満ちた社会でわたしたちは正直に思考を働かせることもなく、ただ自分の「思い込み」で真実とはほど遠いところで行動しているのが現実なのではないか、とそんなことを考えてしまいます。
 いよいよ春の到来か。ただこの先、いきなり冬の日ということもありそうで、油断大敵です。本日は、さまざまな事情でお休み、もしくは遅れるとのご連絡が届いております。春は卒業式やら、入学式など節目の季節です。ただ竹の会は、最近は、盆と正月はさすがに外しますが、それ以外はいつものとおりの指導です。
 このブログでも何度か触れたことですが、25年受検では初めて過去問全国版を「潰す」という方法をとりませんでした。都立過去問については、23年受検からコピーして潰すという方法はすでにとっていません。竹の会伝統の過去問合格法というのがありますが、あれは特に高校入試の数学が発端でした。しかし、それとても年度単位を1通として、1通単位で添削し、念入りに指導してきました。都立中の場合、過去問全国版をもともと学校単位でやって提出するのが本来のやりかたでしたが、24年ではこれは完全に崩壊し、「出さない」で、まとめて自己採点して終わってしまいました。原発事故のあった年で、本来の過去問合格法は、とれないままに、「やらないのか」、「やれないのか」、いつまでたっても出すことのない、進まない子どもたちに完全に打つ手を阻まれました。様々なレジュメはほとんど返ってくることのないままに流されました。作文をまともに出す子もいませんでした。
 25年受検に向けての指導では、小5が1月の段階で実施した過去問コピーがまるでできていないことに驚き、このときに従来のやりかたを捨てました。2月になって、これまでのやりかたを完全に転換する、レジュメで子どもたちを「試す」、「鍛える」方法に転回したのです。これはまさにコペルニクス的転回でした。レジュメの内容は、これまでと違い、精緻を極めていきました。いつしか、このレジュメで子どもたちを「引っ張っていく」という意識に変わっていきました。これまでの子どもたちの自主的な取り組みを「待つ」姿勢から、積極的にわたしが先頭にたってグイグイと引っ張るやりかたになりました。こうなってくると、次々に、有効な手が打てるようになりました。次に、どんなレジュメを「打つ」のかが、いつもわたしの関心事になりました。
 25年受検でわたしは新境地に達したと思います。まずどんなレジュメを「打つ」かということが、大きく子どもたちの未来を変えることを知りました。そしてすぐれたレジュメが子どもたちをグングン伸ばすことも知りました。さらには、レジュメというのは、課題として出す→返ってくる→指導する、のリズムが大切だということです。レジュメを溜める子、出さないままに流す子、課されたレジュメに時間のかかり過ぎる子というのは、決して成功しないということも真理として学びました。
 25年受検における指導法は、これまでの指導とは一線を画するものでした。23年までに成功してきた過去問合格法は確実に提出する子たちが前提としてありました。ですから、その時代でも提出できない子たちは完全に脱落していたのです。24年の原発事故による悪夢の経験で、ようやくわたしはこだわり続けた過去問合格法と訣別したのです。すでに高校受験では、平成20年に都立西などに合格した子たちは、従来型の過去問合格法と訣別し、レジュメ指導に転回していたのに、小学では決定的なレジュメが未完成であったことから、いや小学の指導の方法そのものでもまだ確たる方法を確立していなかったことが、新指導法への到達を遅らせたのです。
 25年の受検はわたしの新指導法での初めての受検の年でした。その指導法の威力は恐ろしいほどの威力でした。わたしのこの指導を受けた子はまず合格するであろうとの感触を得ることができたのです25年は竹の会の新指導法の完成した記念すべき年となりました。


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