草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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竹の会という指導方式

2013年03月12日 10時03分03秒 | 
 お早うございます。花粉酣(たけなわ)です。今は早く花粉の時期が過ぎ去ってほしいと願う日々です。
 時に、「草枕」を休載しようかと思うときがあります。しかし、時折お母さま方より寄せられる手紙(
メール)には、「毎日の「草枕」の更新ありがとうございます。」というような、「草枕」を心待ちにしておられる、あるいは楽しみにしておられる人たちもいるのかと思い、「やはり書くしかないか」と諦念にいたるのです。
 何かのきっかけで偶然「草枕」に出会われた方たちは、巷の既存の塾イメージを当然の前提として、竹の会というものをまさに勝手にイメージして思い込んでいると思います。竹の会でレジュメというものが、配られ、それを子どもたちがやっているのを見ると、それを捕らえて、既成の塾の枠にあてはめて理解しようとするわけです。かつて「公文と同じですか」と訊いた母親もいましたし、勝手にプリントをやらされてると見て心配したのか、「わからないときは、質問できるのですか」という不安を口にした母親もいました。奇妙な見学の母子がやたらきたのが、去年の2月でした。1時間以上、ただ黙って本当に「見学して」帰っていった親子が何人かいました。既成の塾イメージで行動しているのがよくわかります。竹の会というシステムが「見ただけ」でわかるはずもないからです。なかには静寂の中で黙々と考える子たちを見て、「うちの子には無理だ」と言った母親もいましたが、塾というものを、最初から集中する子ばかりが集まってこうなったと考えるほどに浅い見方しかできない、やはり既成の枠から抜け出していない、としか言いようがない親が多いということです。
 竹の会というシステムは、個々人をひとりひとり訓練し、鍛錬し、「考える」人間にする、という見通しのもとに、「指導」という概念を独自に構成してきたものです。
 巷の塾のように、塾用テキストを目次に従い、項目ごとにカリキュラムを立てて、「教える」という授業を軸に、予習、復習を位置づけ、宿題を課し、週末テストでチェックするという型、枠とは、まるで次元の違う、それは実質的な「理解」を確認しながら、その上にたって「自らの頭で考える」ということを重視し、そういう要請を満たすためには、もっともいい形は何か、という問題意識のもとに、形成されてきた、究極の指導形態なのです。
 最近は、レジュメ指導ということが、よく言われます。レジュメというのは、本来の意味を離れて、竹の会では、指導のために使われる道具です。ここでは、「わかる」という意識を可能にするために、様々な能力段階を考慮に入れて、子どもたちが、「考える」という思考作用をはたらかせる余地を残しながら、より高度の概念構成へと導く手段と考えてもらったほうがいいかもしれません。このレジュメ指導が完成したのは、高校受験では、平成20年の入試でした。平成20年に都立西に合格した女子が、中1から中3まで成長するにしたがい、わたしは高校入試指導のためのレジュメの制作に没頭してきたのです。20年合格者は初めてのレジュメ世代の合格者と言えます。
 都立中高一貫校の受検は、最初は旧型の過去問指導法でした。平成19年に区立九段に合格した男子はこの過去問のみでした。続く平成20年もいろいろレジュメは制作しましたが、中心はやはり過去問でした。わたしが、小学生の算数指導法について、様々な方法を発見し、指導法として完成していったのは、平成20年、21年、22年の3年間に及ぶ、研究期間が必要でした。もっとも20年には桜修館に、22年には、両国と桜修館にと、受検生3~4人という中で、常に合格者を出してきたことは事実です。
 毎年の合格が、わたしの研究をさらに根拠ある、確かなものにしていったことは間違いありません。
 わたしの指導が完全に過去問合格法から転回したのは、本年の受検生を育てた、去年の2月、3月の指導からでした。わたしはこのとき完全に過去問指導法を捨てました。徹底して、レジュメで引っ張る、わたしが先陣を切って前へ進むというコンセプトに変換したのです。そこから、わたしは子どもたちは徹底して「鍛える」「訓練する」のだという発想を導き出したと思うのです。わたしのこの方法は、ある意味竹の会における、完全合格の型というものを完成したと思っています。
 「鍛える」思想からは、子どもたちの家庭学習の重要性というものも再構成することになりました。過去においても家庭学習の重要性は語られてきましたが、そして竹の会では、わたしの指導が家庭学習のありかたにまで及んでいたということですが、レジュメ指導の確立は、家庭での勉強のありかたにも影響していったと思います。
 竹の会のシステムは、去年の5月6日、つまり渋谷教室のスタートにより、変わったと思います。
 現在の日曜7時間、水曜5時間のシステムで、子どもたちは、「指導」を軸にした、勉強のリズムを作り上げ、力をグングン伸ばしているのです。
 家で何を勉強しているのか。結局、家庭学習でも、竹の会の指導にしたがった子たちが、よく成功していったのではないか、と思います。
 昨今は、猫も杓子も「都立一貫校の受検」を言いますが、いくら頭がよくても、適性に不向きという子もいます。もちろん「頭がよくない」なら、適性は「ない」ということも弁えておかねばなりません。適性問題に対して、高々5分程度を想定した問題に、1時間以上もかかるようでは、もともと適性は「なかった」ということです。これは、知能ではなく、適性です。知能が高くても、迷う子はいます。幼い、未熟なために、「何を言っているのか」、とんと「わからない」という子もいます。意味がつかめないのです。常識的な視点が「ない」子もいます。自分中心でしか、ものを見れない子もいます。人が「どう考えるか」を全く理解しない子もいます。他人を顧みない子もいます。そういう子はみな適性不向きです。
 適性能力というのは、内面的に悩む能力です。社会的、世間的な軋轢に悩む能力です。それだけ大人の思考ができる能力です。
 過保護で、物に満たされて、順風満帆(
じゅんぷうまんぱん)で、悩むこともなく、幸せで、満ち足りた生活の中からは、他人を平気で根拠もなく笑う、バカにする、過信するといった精神しか形成されることはないでしょう。
 人間というのは、悩むところから成長していくのです。劣悪な条件の中でこそ、なにもかも満たされていない環境の中でこそ、能力は芽生えてくる。
 竹の会の基底に流れている思想はそんなところにあるのかと思います。
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