草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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元代々木教室の頃 第3回

2012年04月29日 20時36分06秒 | 
 昨日は所用で小田原まで行ってきましたが、今日は朝から元代々木教室のあるマンションの修繕委員としての仕事がありまして3時間ほど時間をとられました。それからそのまま教室の整理に勤しみました。気がついたらもう6時近くであきらめて切り上げました。
 それにしても5月の連休がなかったらとても引っ越しなどできなかったと思います。断捨離という言葉が流行りましたが、これから断捨離を断行してゆかなければならないことばかりです。シンプルなのがいいのはわかっていますが、シンプルを貫くには不便を覚悟しなければならないですね。
 これからは「指導」のプロフェッショナルとしての矜持を貫きたいと決意しております。
 「指導できない」状況があれば迅速に処置するでしょう。これまでのように「ようす」のおかしい子どもを傷つけないようにと気を遣い、子どもの所業を見逃していれば、その子にとっても、指導の効果のない期間を過ごすという意味で損失であり、指導者の矜持も保てないものです。
 これからは指導の質に特にこだわりたいと思います。納得のいく指導をすることにをなによりも優先しなければならないと思っています。そのためにはもちろん指導レジュメの調整には特に気を遣うことになろうかと思います。今まで以上に質の高いレジュメを制作することに精魂を傾ける覚悟です。私はプロですからね。
 竹の会はほんとうに「勉強をしたい」という子のみの集まる塾であってほしいです。なにかのために「勉強を犠牲にする」という考えの人は竹の会の望む人ではないと思います。「勉強第一」、なにをおいても「勉強を優先させる」という人が、竹の会という学問の場にきてほしい。そういう人に竹の会は、最高の指導を提供するでしょう。
 私の指導技術は一朝一夕にはできるべくもない、私が長年かけて会得した最高の技術です。私は決して「できる」子ばかりを指導してきたわけではない。いやそれどころかあらゆるタイプの「できない」子たちを経験してきました。その苦悩に満ちた指導経験が私に「指導というものを真剣に考える」ことを余儀なくさせてきたのです。
 もちろん才能に恵まれた子どもたちにも出会いました。そのような邂逅も私に多くの稔りある指導技術の進化をもたらしたことは疑いありません。
 元代々木教室の27年間はほんとうに多くの示唆に富む経験を私にもたらしてきました。困難に出会うたびに私はいつも悩みました。割合を理解できない子どものことをいつも考えました。あたりまえのことがあたりまえでない子たちがたくさんいることを私は知っています。私自身が「わからない」少年時代を過ごしてきたのですから、私は「わからない」という子のことが他人事ではなかったのです。
 よく東大生の家庭教師だと自分もできるようになると思い込む浅はかな親子の話を耳にしました。東大生は凡人が「わからない」と悩むところが「なぜ理解できないのか」わからないのです。かれらにとっては「あたりまえ」のことなのです。しかし、私の出会った子どもたちはみなあたりまえのことがわからない子ばかりでした。あたりまえのことを「わかるように」教えるのはこれほど難しいことはないのです。私が苦悩に満ちた日々を過ごしてきたのはいつもここでした。私はなんとか子どもたちに割合を手に取るように「わかった」と思うほどに理解させたかったのです。寝ても覚めてもそのことばかり考え続けました。神は見捨てはしなかった。あるとき、私は「ある方法」を見つけたのです。そうでした。私はいつもどうしたらいいのか。どうしたら子どもたちに「わかる」を提供できのか。思い悩み、失敗を繰り返し、ある日「神の啓示」のように閃きを与えられてきたのです。
 私の説明の技術は自分で言うのもなんですが、名人芸の域にあると思っています。「わからない」とやってきた子たちに私は説明をするでしょう。使える言葉は限られています。シンプルに端的に必要最小限の言葉で説明する。それがプロの説明です。指導の極意は子どもたちの理解できる「ことば」を共通の認識とすることです。ことばを子どもと共通の言葉とすることです。だから指導には時間がかかるのです。私の短いことばで、「あっ、・・」と思いあたる、目を輝かせる子ども、これはお互いの共通語あってのことなんです。
 子どもたちは時間を無駄にしてほしくないのです。「無為に時を過ごすことなかれ」。人生の、特に若い時の時間ほどかけがえのないものはないのです。私は幼い子たちが無心に「勉強第一」と迷いなく勉強する姿が、ようすが大好きなのです。いやそういうようすを見ているとなにかしらほっと心が安らぐのです。
 都立中学をめざす子どもたちに私はとても純粋な熱心さを見る思いがします。ひたすら「わからない」と熱心に勉強に取り組む子どもたちが大好きです。竹の会は熱心な、勉強いちばんの子たちの塾です。勉強を犠牲にすることほど無為なことはないと思います。
 若い時代に思いっきり勉強してほしいのです。
 竹の会という塾は、そういう塾です。勉強する子にはきっとこんなにいい塾はないと感動をもたらすでしょう。私は私のこれまでの経験のすべてをそういう子に捧げたい。私の血と肉を削ってでも、そういう子たちに私の思いを捧げたい。
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