草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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春と花粉と・・・

2013年03月08日 08時02分41秒 | 
 水曜日の指導のこと。
 小3の女子が初めて「ひとりで」竹の会にきた。それまでご両親のどちらかが必ずいっしょだったので、初めての体験となる。実は、竹の会に入る前から何度も予行演習をやっていたと聞いています。千代田区からですから電車です。4時5分頃に竹の会の着きました。正直ホッとしました。
 ところで、2月、3月とまだ慣れない新規入会の子たちの対応でほとんど息もつく間もないほどである。ある程度指導が進めば、ここでもひとりだちして黙々と指示を進められるのであるが、なにしろまだまだ手取り足取りの段階の子たちばかりである。水曜はややレジュメのレベルを上げたこともあり、特に小3の男子が戸惑っていたように思う。公文をやっていたようで、内容の理解にやや荒さがあるのかなと感じたり、いろいろ思うこともあった。子どもたちが「かたち」から理解しようとすることは知っている。だからその「かたち」を「関係」という「かたち」にして、関係が枠組みとなるように工夫したのだが、うまくいくかどうかはまだわからない。
 この点、新規入会でも、やはり小4の子のほうが深く理解しているようであった。2月ひとつきの指導でかなりに伸びているが、おそらく家庭学習ができているのではないか。次の指導日までの間に「小数の計算」を1冊ほぼやりあげたきた。これまでだとまるで「やらない」か、やっても1、2ページというのが相場だから。案の定、3月入会の子はスローペースだ。
 子どもの勉強に対するスタンスのありようで、いくらでも変わる。勉強というのは、気持ちを入れる子ほど伸びるということだ。もちろん親の教育に対する態度も大きい。熱心な親の子ほどいいのは確かだ。が、それも小学まで。中学ではやはり一歩離れたところから見る必要があると思う。子どもたちも自立していく過程にあるので、親の細々とした口出しに反抗するようになるはずである。いつまでも子ども扱いするな、という思いである。ここは親の方の切り替えがうまく成功するかである。中学、高校と勉強する内容も親の手に負えなくなる。いつかは子どもがやるのを傍から「見る」ことしかできなくなるということだ。いつもまでも手にかけていられる時期は少ない。せいぜい小学までであろう。自立心に富む子ほど将来成功するからしかたない。
 春は桜を愛でる気持ちはあるが、こう花粉が乱れるともうダメである。目はしょぼつき、鼻はムズムズともういけない。国内には国主導で植林を進めてきた、しかも杉の植林だけを進めたきたおかげて、売れもしない杉が満ち溢れている。この花粉の量は半端ではない。まったく国というのは、利権に導かれ、一部の利権を保護するために、「規制」を法律の名で正当化し、そのしわ寄せはいつも利権とはまったく無縁な庶民に押しつけられる。
 この狭くて、世界有数の地震国に53基もの原発を造ってきたのだから、なんともおそろしい話である。すべて海辺にあるから、津波がくれば一溜まりもない。端から、たいした津波はこないと高をくくっている。隕石が衝突する可能性を億万分の一もないと鼻で笑っていた東大教授がいたが、この前のロシアの隕石激突は、原発のすぐ近くであった。
 テレビはすでにジャーナリズムなどとはほど遠い存在であり、下らない特番をどこの局も垂れ流し、国民をバカにしているとしか思えない。知りたいことを知らせてくれる報道機関というものがいったいあるのか。朝日新聞も巧妙だ。新聞が「何を報道しないか」をこそわたしたちは考えなければならない。政府発表を鵜呑みにしてそのまま記事にする記者クラブの御用記者が信用ならないことは福島の原発報道で露わに見てきた。
 国の半分が消滅するかもしれないという事態に、政府のトップにいた政治家、原発を進めてきた官僚、常に安全を当然とした御用学者の綿々、みなインチキだった。やることは稚拙で、その辺にいる素人とどこが違うのか。なにが東大大学院教授だ。東電のブレーンは東工大の原子力工学で固められているというが、ただのアホの集まりにしかみえなかった。問われると口ごもり、下を向くだけではないか。なにひとつ明快に答えられない人たちが、危険極まりない原発を無造作に無神経に扱っていた。事故のあることをまるで想定していないで、事故があって「コンセントが合わない」だとか、「コンビニで買ってこい」だとか、あきれてものも言えない。
 原発訴訟を担当する裁判官はかつて一度は原発訴訟で国側の代理人として訴訟に携わった者で構成されるというあほらしいシステムを作り上げるのだから、もう開いた口が塞がらない。朝日などの新聞をそのままに信用して、すぐに右に左に動くある主の国民をとらえて、B層というのだそうだが、このBは別にBAKAのBではないが、そう考えても誤りはない。
 稲葉稔の小説で主人公の少年に世間を避けて生きてきた男が言う。「だが、これだけは覚えておけ。人を容易く信用するな。この世には善人ばかりがいるんじゃない。大方の人間は下心があり、嘘をついて人を騙し、欺き、自分だけがよければよいと思っている。そんな人間がうじゃうじゃいる。甘い汁を吸うために親切をするふりをして、谷底に突き落とすような質の悪いやつがたくさんいる。忠義を尽くしても、尽くされる者はなんとも思っちゃいない。それがあたりまえだと思い、邪魔になればあっさり切り捨てる。恩も義理もへったくれもない。おれのいうことがわかるか・・・・・」
 「人間」を「官僚」に置きかえて読むのもいいし、「政治家」でも「裁判官」でも「学者」でもいい。たとえば、「だが、これだけは覚えておけ。政治家を容易く信用するな。この世には善人の政治家ばかりがいるんじゃない。大方の政治家は下心があり、嘘をついて人を騙し、欺き、自分だけがよければよいと思っている。そんな政治家がうじゃうじゃいる。甘い汁を吸うために親切をするふりをして、谷底に突き落とすような質の悪い政治家がたくさんいる。忠義を尽くしても、尽くされる者はなんとも思っちゃいない。それがあたりまえだと思い、邪魔になればあっさり切り捨てる。恩も義理もへったくれもない。おれのいうことがわかるか・・・・・」
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