草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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パスカル「パンセ」

2013年03月12日 21時50分40秒 | 
 わたしたち人間というのは、実は賢くない、それどころか愚かなのにはちがいない。
 3.11の原発事故が起きるまで、自民党のやりたい放題で進めてきた原発政策を民主党が至極当然に引き継ぎ、国民の大多数はまるで無関心でこれには異を唱えるものはごく少数の人に限られていた。あの勝間和代は3.11直前まで中部電力のテレビCMで原発の素晴らしさを訴えていた。朝日新聞は、3.11後の社説でもまだ原発賛成論を唱えていた。電力業界はカネで新聞、放送局、大学を牛耳り、国策としての原発は、電力需要とは無関係に、次から次に新規の着工が決められていた。この世界有数の地震国に53基もの原発を作り、その原発から大量に蓄積される核廃棄物が大量に貯蔵され、この狭い国土に、わたしたちはこれから半永久的に一触即発の超危険物と暮らさなければならないのである。
 わたしたち国民は、やはり賢くないのだと思う。
 いやことは原発だけの話ではない。たとえば、医療の問題ひとつとっても気の重くなる現実がある。そこには原子力村と同根の問題が、見え隠れする。
 建設業界然り、法曹の世界然り、・・・
 漠然としたものに名前をつけるというのは、勉強の技術としては、よく使う方法である。しかし、たとえば、自律神経失調症という病名には何の意味もないのではないか。医療の場合、病名がわかれば、その治療法がなんとかなる、ということにはなっていない。原因もなにもわからない病気にとかく名前をつけるのが現代の医療である。
 わたしたちは、名前をつけることで、その対象を理解してきた。名前が共通の認識となり、人と人の情報の伝達も円滑になる。しかし、正体不明なものまで名前をつけることに何か意味があるのか。認知症という病名をつけることによって、得をするのは、その処方箋に効きもしない薬を書いてもらう製薬会社だけであろう。病名は患者のためではなく、製薬会社のために必要なのではないか。
 わたしたちは都合の悪いことには背を向ける、目をつぶることに、おそらくこれは遺伝子的になっているのではないかと思う。若者は老いのことなど無関係と思っているだろうし、死というものが、自分だけは遠い遠い未来のことだと信じて疑わない。実は、忘れる、考えないようにする。都合の悪いこと、嫌なことは、考えない、忘れるのが、人間の遺伝子のはたらきによるものなのだろう。「死」を考えてばかりいては、とても生存競争に勝てる見込みはないから。しかし、人はこの世に生まれた時に同時に死を宣告されるのである。しかし、である。わたしたちはそういうことはすっかり「忘れる」ように設定されている。
 さて、ここでパスカルの「パンセ」の一節である。
 「我々は絶壁が見えないように何か目を遮(
さえぎ)るものを前方に置いた後、安心して絶壁のほうに走っている」だけである。
 
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