都立中高一貫校がスタートしたのはいつの頃だったろうか。
2005年(平成17年) 都立白鴎高校附属中・高
2006年(平成18年) 都立桜修館中等教育学校
2006年(平成18年) 都立小石川中等教育学校
2006年(平成18年) 都立両国高校附属中・高
2006年(平成18年) 千代田区立九段中等教育学校
2008年(平成20年) 都立立川国際中等教育学校
2008年(平成20年) 都立武蔵高校附属中・高
2010年(平成22年) 都立南多摩中等教育学校
2010年(平成22年) 都立三鷹中等教育学校
2010年(平成22年) 都立富士高校附属中・高
2010年(平成22年) 都立大泉高校附属中・高
以上11校
竹の会が都立中高一貫校と呼ぶのは意図的に区立九段を抜く趣旨である。公立一貫校唯一の千代田区立九段は、千代田区内在住の児童を優遇して入学させたために受験校としては内部崩壊の道を辿ることになろうという私独自の見通しから、竹の会では九段は勧めていないという趣旨である。
もっとも竹の会が最初に合格させたのが、この九段であり、平成19年のことであった。
平成19年 竹の会には3名の小学生しかいなかった。うち1名が九段に合格し、残り2名が東大附属に合格した。
平成19年にはこの合格をネットで知った小学生が九段合格をめざして数人入会した。平成20年2月の結果は惨敗で一人が都立桜修館に合格しただけで終わった。
その影響か平成20年はほとんど小学生が集まらなかった。平成21年は受検者「なし」の年であった。
私が本格的に都立中学の研究に取り組み始めたのがこの21年から22年にかけてであったろうか。
平成22年には、都立両国附属中と都立桜修館中等に合格者が出た。都立中の受検者は4名だった。このとき東大附属中にも1名合格している。
平成23年には、都立小石川中等と都立桜修館中等に合格者が出た。この年の受検者は3名だった。
そして本年、つまり平成24年は、都立富士附属中に合格した。
本年の合格は実力3番手の子の合格という私には未経験の結果であった。といってもいちおう合格可能性は「あり」と判断していた子ではあった。
さて竹の会の合格者は以上のようであるが、その入会時期を見てみると、共通の傾向というものが見てとれる。
九段合格者は小6の4月であった。これは今となるとかなり遅い。だがまだ都立一貫校が草分けというか手探りの時代でありそういう背景から小6でも間に合ったということではないか。過去問の蓄積もほとんどなく海のものとも山のものとも知れない牧歌的な時代のことであった。もちろん受検した子の知能はすぐれていたことはおいておいての話しだが。
桜修館の合格者は伝統的に入会時期が遅い。平成20年の合格者は小6の9月、平成22年の合格者は小6の6月、平成23年の合格者は小5の3月であった。前二者は知能優秀であった。23年合格者は未開拓の粗野な知能が次第に洗練され内在する能力を開花させていった例であった。
都立両国合格者は小3の2月入会、都立小石川合格者は小4の8月入会、都立富士合格者は小4の11月の入会です。
見えてくるのは、もともとの知能の高いこと、そして早期入会の2つのポイントです。
合格者はいずれも寡黙で集中力にすぐれなによりも「強い意志」の持ち主でありました。そして何よりも特筆すべきは「決して勉強を他のことで犠牲にしない」ということで一致していました。
2005年(平成17年) 都立白鴎高校附属中・高
2006年(平成18年) 都立桜修館中等教育学校
2006年(平成18年) 都立小石川中等教育学校
2006年(平成18年) 都立両国高校附属中・高
2006年(平成18年) 千代田区立九段中等教育学校
2008年(平成20年) 都立立川国際中等教育学校
2008年(平成20年) 都立武蔵高校附属中・高
2010年(平成22年) 都立南多摩中等教育学校
2010年(平成22年) 都立三鷹中等教育学校
2010年(平成22年) 都立富士高校附属中・高
2010年(平成22年) 都立大泉高校附属中・高
以上11校
竹の会が都立中高一貫校と呼ぶのは意図的に区立九段を抜く趣旨である。公立一貫校唯一の千代田区立九段は、千代田区内在住の児童を優遇して入学させたために受験校としては内部崩壊の道を辿ることになろうという私独自の見通しから、竹の会では九段は勧めていないという趣旨である。
もっとも竹の会が最初に合格させたのが、この九段であり、平成19年のことであった。
平成19年 竹の会には3名の小学生しかいなかった。うち1名が九段に合格し、残り2名が東大附属に合格した。
平成19年にはこの合格をネットで知った小学生が九段合格をめざして数人入会した。平成20年2月の結果は惨敗で一人が都立桜修館に合格しただけで終わった。
その影響か平成20年はほとんど小学生が集まらなかった。平成21年は受検者「なし」の年であった。
私が本格的に都立中学の研究に取り組み始めたのがこの21年から22年にかけてであったろうか。
平成22年には、都立両国附属中と都立桜修館中等に合格者が出た。都立中の受検者は4名だった。このとき東大附属中にも1名合格している。
平成23年には、都立小石川中等と都立桜修館中等に合格者が出た。この年の受検者は3名だった。
そして本年、つまり平成24年は、都立富士附属中に合格した。
本年の合格は実力3番手の子の合格という私には未経験の結果であった。といってもいちおう合格可能性は「あり」と判断していた子ではあった。
さて竹の会の合格者は以上のようであるが、その入会時期を見てみると、共通の傾向というものが見てとれる。
九段合格者は小6の4月であった。これは今となるとかなり遅い。だがまだ都立一貫校が草分けというか手探りの時代でありそういう背景から小6でも間に合ったということではないか。過去問の蓄積もほとんどなく海のものとも山のものとも知れない牧歌的な時代のことであった。もちろん受検した子の知能はすぐれていたことはおいておいての話しだが。
桜修館の合格者は伝統的に入会時期が遅い。平成20年の合格者は小6の9月、平成22年の合格者は小6の6月、平成23年の合格者は小5の3月であった。前二者は知能優秀であった。23年合格者は未開拓の粗野な知能が次第に洗練され内在する能力を開花させていった例であった。
都立両国合格者は小3の2月入会、都立小石川合格者は小4の8月入会、都立富士合格者は小4の11月の入会です。
見えてくるのは、もともとの知能の高いこと、そして早期入会の2つのポイントです。
合格者はいずれも寡黙で集中力にすぐれなによりも「強い意志」の持ち主でありました。そして何よりも特筆すべきは「決して勉強を他のことで犠牲にしない」ということで一致していました。