お早うございます。1月27日(日)、本日はは指導日です。小6のみなさん、そして竹の会の子どもたち、みんな風邪を引いてはいないでしょうか。今日は青空が広がり晴れ渡ってはいますが、外気温は1℃です。さすがにこの冷たい空気は体を刺すようです。わたしもやや危なかったのですが、なんとか復調しました。ここで熱など出したならどうなるのか、それだけはできない、そういう思いで、決意で持ち堪えました。
これから小6のみなさんは、いよいよ試験本番です。これまで歩んで来た「道」から、新しい「道」へと足を踏み入れます。「道」は「未知」の世界への「道」です。
あなたたちを助けてくれるのは、あなたたちの「知性」のほかはありません。本番ではこれまで見たこともない問題があなたたちを驚かせることでしょう。見たこともない問題、解決の糸口さえ見えない問題こそがあなたたちがこれまで培ってきた思考の力の相手です。でも安心してください。この試験は高々小学6年生の知能を試す試験に過ぎません。1年間思考力を鍛えてきた小学生が解けない問題など出すわけがないでしょ。あなたたちの知恵を働かせれば必ず解ける問題なのです。どんなに奇をてらっていてもよくよく考えればなんの変哲もない平凡な問題なのです。外見に騙されてはいけません。当局はあなたたちが戸惑い、焦ってミスをするのを誘っているのです。あなたたちが慌てればそれは当局の思う壺です。あなたたちは自滅して落ちていくだけなのです。
時間を浪費させるだけの問題は絶対に手を出してはいけない問題です。時間をかければ解けるという問題は、試験が「制限時間」の中での実力が試されるという前提条件からはあってはならない問題です。ですから、そういう問題は問題であっても問題ではないのです。
考えあぐねたらどうするか。
鈴木英治の時代小説。「なにもつかめないときは最初のところに戻るというのが探索の大本だ。」。これはある同心が事件解決の糸口さえつかめずに悶悶としているときに考えたことです。
どこかに見落としていることはないか、意味のないものとして思考の欠片にもならないとい見過ごしたことはないか。事実は不自然なことを訴えているのに自分の思い込みがその事実を無視したことはないのか。何度見ても自分の心に偏りがあれば見えない。
わたしは、中学生の指導では、中学生を信用してわたしの詳細な解説付きの数学レジュメや英語レジュメも予め渡しています。決して解説を見ないで解いてほしいと思っています。ところが、最近1問に1時間はかけたのかどうかわからない状態で、解説を読んで「わかりました」といって持ってくることが多いわけです。1題がわからなければわかるまで考えなければ決して力はついていない。問題は自分で解いて「なんぼ」です。一問たりとも自分で解いたことがなければ未知の世界で何をなすのか。何ができるのか。少なくとも1時間や2時間で「考えましたけど、わかりません」などと言ってほしくないのです。その1問でたとえ何日かかかっても、自分で解いたなら、次には新たな自分がいるのです。
解説を読んで「わかった」をやる子は次第に「解説を読まなければ」わからないという「道」を歩むようになります。
私たちを導いてくれる人―塾の先生、家庭教師、・・・―はだれもいないのです。ポツンといるあなた一人だけで考えなければならないという究極の場にあなたたちは立たされるのです。だからこそ普段の時間がたっぷりあるそのときこそ思い切り時間をかけて考えなければならないのです。「解説を読んでわかりました」というのは、全く力になっていないのです。その証拠に入試問題のひとつも解いてみればいいのです。解説を読んでわかった問題よりずっと易しい問題なのに手も足も出ないことがわかるはずです。問題は考えて解いて「なんぼ」なのです。
先程の例では、「現場百回」などという言葉があるそうですが、思考の世界では、「定義百回」ということをわたしは言いたいと思います。
「思考は定義から始める」ということです。そもそもの定義は何であったのか、ということです。そもそも「割合」とは何なのか。そもそも平行四辺形とは何なのか。後者は平行四辺形の証明問題でわからなくなる中学生が多いのですが、そういう中学生に平行四辺形の定義を訊いてみるとまるで答えられないのであげただけですが、とにかく考えない子というのはそもそもの定義が全く頭にないのです。割合がどうしてもわからない小学生というのは、割合を抽象的なストーリーとして頭の中に定義できなかった子たちです。どんな問題でも割合ならかたちは違えども根のところは同じなのですが、こういう子たちにはまるで違うようにしか見えないのです。
思考というのは、見たこともない問題、いや形の違う問題を見て、自分の頭の中にある抽象的な定義に照らし合わせることなのですね。
定義がすっぽり抜け落ちてしまっている子というのは、頭の中は空っぽなんです。ですから、そういう子に「考えなさい」といっても無理です。空っぽの頭で考えることはないのです。
ですから、割合なら割合の定義を百回でも頭の中で反芻しなさいと言いたいのです。難問に出会ったときに、頭に過ぎるのはそもそもの定義なんです。
どんなに難問に見えても実は定義にかかれば必ず解決の糸口が見えてくる、そういうものです。
未知の世界へ足を踏み入れる。
その日のためにわたしたちは安易に自分の思考を捨てて、他人の知恵にすがってはいけないということです。考えないで捨てたときそれは未知の世界で自分を助けてくれる大切なものを捨てている、犠牲にしているということなのです。他人の頭で考えられたことを理解するのは勉強ではありません。
付録
◎「草枕」の人気記事
※連日第1位 のアクセス 勉強するということの意味 連日アクセス200を超える超人気記事!!
※V模擬B判定で現実に合格する可能性
※合格基準総合得点(V模擬)
※都立小石川中等教育学校
※2010.3.17新英語指導案解答&解説集
※2010年3月15日何もないから工夫が生じる
※2010.3.18英語の真髄を授ける
※都内に竹の会のような塾は探せない
※竹の会という塾の価値を知ることもないまま
※竹の会が算数に悩む小学生に光明をもたらした
竹の会
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これから小6のみなさんは、いよいよ試験本番です。これまで歩んで来た「道」から、新しい「道」へと足を踏み入れます。「道」は「未知」の世界への「道」です。
あなたたちを助けてくれるのは、あなたたちの「知性」のほかはありません。本番ではこれまで見たこともない問題があなたたちを驚かせることでしょう。見たこともない問題、解決の糸口さえ見えない問題こそがあなたたちがこれまで培ってきた思考の力の相手です。でも安心してください。この試験は高々小学6年生の知能を試す試験に過ぎません。1年間思考力を鍛えてきた小学生が解けない問題など出すわけがないでしょ。あなたたちの知恵を働かせれば必ず解ける問題なのです。どんなに奇をてらっていてもよくよく考えればなんの変哲もない平凡な問題なのです。外見に騙されてはいけません。当局はあなたたちが戸惑い、焦ってミスをするのを誘っているのです。あなたたちが慌てればそれは当局の思う壺です。あなたたちは自滅して落ちていくだけなのです。
時間を浪費させるだけの問題は絶対に手を出してはいけない問題です。時間をかければ解けるという問題は、試験が「制限時間」の中での実力が試されるという前提条件からはあってはならない問題です。ですから、そういう問題は問題であっても問題ではないのです。
考えあぐねたらどうするか。
鈴木英治の時代小説。「なにもつかめないときは最初のところに戻るというのが探索の大本だ。」。これはある同心が事件解決の糸口さえつかめずに悶悶としているときに考えたことです。
どこかに見落としていることはないか、意味のないものとして思考の欠片にもならないとい見過ごしたことはないか。事実は不自然なことを訴えているのに自分の思い込みがその事実を無視したことはないのか。何度見ても自分の心に偏りがあれば見えない。
わたしは、中学生の指導では、中学生を信用してわたしの詳細な解説付きの数学レジュメや英語レジュメも予め渡しています。決して解説を見ないで解いてほしいと思っています。ところが、最近1問に1時間はかけたのかどうかわからない状態で、解説を読んで「わかりました」といって持ってくることが多いわけです。1題がわからなければわかるまで考えなければ決して力はついていない。問題は自分で解いて「なんぼ」です。一問たりとも自分で解いたことがなければ未知の世界で何をなすのか。何ができるのか。少なくとも1時間や2時間で「考えましたけど、わかりません」などと言ってほしくないのです。その1問でたとえ何日かかかっても、自分で解いたなら、次には新たな自分がいるのです。
解説を読んで「わかった」をやる子は次第に「解説を読まなければ」わからないという「道」を歩むようになります。
私たちを導いてくれる人―塾の先生、家庭教師、・・・―はだれもいないのです。ポツンといるあなた一人だけで考えなければならないという究極の場にあなたたちは立たされるのです。だからこそ普段の時間がたっぷりあるそのときこそ思い切り時間をかけて考えなければならないのです。「解説を読んでわかりました」というのは、全く力になっていないのです。その証拠に入試問題のひとつも解いてみればいいのです。解説を読んでわかった問題よりずっと易しい問題なのに手も足も出ないことがわかるはずです。問題は考えて解いて「なんぼ」なのです。
先程の例では、「現場百回」などという言葉があるそうですが、思考の世界では、「定義百回」ということをわたしは言いたいと思います。
「思考は定義から始める」ということです。そもそもの定義は何であったのか、ということです。そもそも「割合」とは何なのか。そもそも平行四辺形とは何なのか。後者は平行四辺形の証明問題でわからなくなる中学生が多いのですが、そういう中学生に平行四辺形の定義を訊いてみるとまるで答えられないのであげただけですが、とにかく考えない子というのはそもそもの定義が全く頭にないのです。割合がどうしてもわからない小学生というのは、割合を抽象的なストーリーとして頭の中に定義できなかった子たちです。どんな問題でも割合ならかたちは違えども根のところは同じなのですが、こういう子たちにはまるで違うようにしか見えないのです。
思考というのは、見たこともない問題、いや形の違う問題を見て、自分の頭の中にある抽象的な定義に照らし合わせることなのですね。
定義がすっぽり抜け落ちてしまっている子というのは、頭の中は空っぽなんです。ですから、そういう子に「考えなさい」といっても無理です。空っぽの頭で考えることはないのです。
ですから、割合なら割合の定義を百回でも頭の中で反芻しなさいと言いたいのです。難問に出会ったときに、頭に過ぎるのはそもそもの定義なんです。
どんなに難問に見えても実は定義にかかれば必ず解決の糸口が見えてくる、そういうものです。
未知の世界へ足を踏み入れる。
その日のためにわたしたちは安易に自分の思考を捨てて、他人の知恵にすがってはいけないということです。考えないで捨てたときそれは未知の世界で自分を助けてくれる大切なものを捨てている、犠牲にしているということなのです。他人の頭で考えられたことを理解するのは勉強ではありません。
付録
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