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草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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判断の根拠は思考でなければならない

2013年11月21日 22時05分37秒 | 
 坂岡真の時代小説はいろいろと人生の示唆に富むフレーズが満載だ。今日はそのひとつ、「いずれにしろ、儲けばなしほど、この世で信用できぬものはない」。
 投資ばなしに騙されたお年寄りや年金生活者の話はよくテレビなどで見ますが、「儲けばなし」は人間の理性を狂わせる最たるものでしょうか。
 あの宝くじにしてから胡散臭い。ロト6なんか43の数字から6個選ぶわけで組み合わせは、43個の数から6個選ぶ組み合わせですから、
43=6096454通りです。計算法は高校で習いますが、竹の会の確率レジュメには詳説しています。
 結局確率は、1÷6096454=0.0000001・・・です。約6百万分の1ですね。だいたい0.0000001なんてほとんど0でしょ。つまりあたるはずがない。この儲けばなしも信用ならぬ話なのです。だいたい宝くじ関連法人でどれだけの天下り官僚の生活の面倒を見ているのか。
 話が冒頭から横道で申し訳ないです。
 今日は判断の根拠ということについて少し述べてみたいと思いました。竹の会というのは、小学生4年生、5年生を相手に思考力をつけるというようなことをやっているわけですから、まったく関係ないことではない。
 人間というのは、いや人間の日常というのは大なり小なり判断の連続でなりたっています。まあたいていの人間は日常の判断はこれまでの経験、習慣から判断していてたいした間違いもなくその日を終わることになるのだと思います。
 判断と一言で言っても裁判官に求められる判断とか、行政に求められる判断とか、それはもうあらゆるところであるゆる形態の判断がなされているわけです。
 あの3.11の津波のときに判断を誤って逃げるタイミングを失って命を落とした人が夥しい数に上りました。そうしたときの人間の心理については、「人はなぜ逃げおくれるのか」という書物に詳しく説明されていますが、あれはためになりました。それによると、人間というのは、ある範囲までの異常は、異常だと感じずに、正常の範囲内のものとして処理するようになっている、というのである。これを正常性バイアスと呼びます。なぜか。それは、エネルギーのロスと過度な緊張におちいる危険を防ぐという人間に備わった生理的な防御システムのゆえにである。日常の生活をしていて、つねに移りゆく外界のささいな変化にいちいち反応していたら、神経が疲れ果ててしまうでしょ。だから人間というのは、予期せぬ異常や危険に対して、鈍感にできている、というのだ。
 これがあの大津波の危険を「たいしたことはない」と思わせたのだとしたら、その判断の誤りはあまりにも大きい。
 人間というのは、そういうわけで、非日常を不断に日常に取り込むことで神経をできるだけ最小限に使うというようなことをやっているのだと思います。
 日常の範囲内のできごとにはたいした根拠もなしに直感的に判断してしまうということです。
 判断の根拠としてよく多くの人に見られるのが、権威主義的性向でしょうか。テレビで有名人が言ったからとか、有名な医師の意見なのでとか、とにかく権威に弱いのが特徴です。判断の根拠が権威ですね。これはもちろん思考というものがないわけです。
 判断しないというのと同じです。結論はもう最初から決まっているのです。騙される人というのはこの権威、具体的には肩書きで騙されますね。
 さてこのブログで詳論は無理なのですが、わたしは判断の根拠は「思考」でなければならないということをここで言いたいわけです。
 判断したときに果たして「思考」があるのかと問いかけてみてほしいわけです。思考というものが「ない」のであればその判断というのは「信用ならぬもの」ということになろうかと思います。
 わたしがよく批判的に言う言葉に「大手信仰」というものがありますが、この「○○信仰」、つまりは「信仰」というものも根拠にはなりませんね。信仰が判断の根拠なのは、宗教の信者に多いのでしょうか。
 わたしたちは判断に際してほんとうに思考をしているのであろうか。よく考えます。
 世の中には、感覚的にしか判断しない人も多いですしね。
 思考しているつもりでほんとうに思考なのかということは普通にあります。

 
 京都 東福寺
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