草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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季節は変わり、晩秋から初冬へ

2014年10月30日 11時30分05秒 | 
 おはようございます。塾という仕事をやっていますともうあっという間に次の年の受検・受験がやってくるような気がします。去年の今頃何をしていたか、そのときの小6たちはどういう状況であったのか、よく思い返します。
 そういうことではいろいろと反省すべきこともあります。もう少し心穏やかに受検直前の精神を管理コントロールできなかったかということが悔いとしてはあります。
 直前に少し雑多な知識で精神の安寧を損ねたのではないか、そういう思いに駆られます。やってはならないこと、それは直前にせっつかせていろいろ知識を詰め込むこと、これをやると「知識で考えようとする」。思考というのは、知識もなにもないところで初めて機能するものだということです。しかし、知識は必要ないというわけでは決してない。あれば思考の助けになる。詰め込むという行為がよくない。知識と思考はある場合には相容れない関係にある。知識でぎっしりと詰め込まれた頭は思考がはたらく余地がない。思考というのは頭が空っぽのときにいちばんよくはたらく。知識でいっぱいの頭の人は知識に頼りがちである。知識はいくらでも頭に入れられるかというとそうではない。詰め込むのが度を過ぎると頭の拒否反応が起きる。そしてさらに悪いことには、思考が全くはたらかない状態に陥る。
 試験直前の生活というのはここのところをよく見極めて調整することが大切である。直前に親が問題集とか買ってきて子どもにやらせるという光景がよくあるけれどもこれは子どもを不合格へと追い込むだけの愚かな行為である。
 直前だからこそ心の平静を保つ、知識に頼らない。心静かに落ち着いて思考をはたらかせられる、そういう導き方をしていかなければと思う。
 だから去年の今頃に子どもたちの心を乱すような、古い過去レジュメを大量に配布したことを今でも悔いている。
 静まりかえった湖畔の風景は心のざわめきを沈める。
 なにもしないのも指導なのだ。機を見て指導の手を入れる。微細な変化も見逃さないように心を研ぎ澄まして子どもたちを見ていなければと思う。
 これまでもう十分にやってきた。実力はわたしの想定する合格域をはるかに超えている、そういう子たちもいるのだから。
 これからはわたしが慌てて余計なことをしないようにしなければ・・・。
 季節は変わり、いよいよ晩秋、わたしの好きな紅葉の季節、柿の実のたわわに稔る田舎の風景がわたしの心を躍らせる。晩秋から初冬へ、いつもこの時期は緊張に押しつぶされそうな心を意識しながら、子どもたちの心はいかばかりかと思いやる。
 喜びいっぱいの12の春が竹の会を訪れてくれることを夢見て、信じて、わたしは信ずるところを強く、そう強く一歩一歩と進むしかない。
 紅葉を見たいですね。
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