草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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2007年09月08日 22時38分27秒 | 
 このところ持病の背中が痛み自分の体ではないような日が続いた。連日パソコンにはりついて教材作りに没頭しすぎたのが仇となったのか。夏の疲労が限界まできてたのか。背中は持病だから毎晩踏んでもらう。
 9月になり, 入試指導に神経を使う日が続く。計算が未熟, 計算は上達したが思考で頓挫, 形式的な思考の殻を破れない, 1あたりの思考を理解したかと思われた子の先祖返り, ・・・。9月は, こういう現象がおうおうにして起こる。「割合」のテキストを終えたからといって, すべての子がすんなりと思考の端緒を手にすることができるわけではない。そこで頓挫して為すすべもなく退屈する子もでる。テキストを使うのも方法のひとつにすぎない。成功するかどうかはやってみないとわからない。子どもたちの中には,もともと 実質的な思考はない。物事を形でとらえて直観で判断する。内容よりも形だ。好きとか嫌いとかの感情判断が先行する。常識的な結論というものもない。, 形に反応するだけだ。この段階をどうしたら超えられるか。
 実は指導はいつもこのことに集中してなされる。この指導段階で必須のこと, それは長時間指導についてくることだ。形式的に理解しようとする子どもの頭の中はいつも混乱している。結論を出してもいつも理由がない。思いつきで結論をだす。考えるということが, 仮説と論証の積み重ねだということがおよそわからない。
 実質思考を手に入れられないと面白くない。だから長時間もたない。形式でしかものごとを見ないと先に進むことはないから, 面白くないのも当然だろう。
 子どもにもともと能力差があるのはしかたない。むしろ能力よりも経験上多くの場合, 訓練を始めた時期が遅いすぎる, 子どものもって生まれた集中能力, 向学心・上昇志向, といったことが決定的だ。
 実質的思考が可能となるように毎日の指導はそれのみに集中される日々の指導は。実質的な思考の端緒をを与えることに始まり終わる。このところ, 私はそのためのレジュメを作り続けている。それは未だ思考を知らない子が多いからだ。思考のリズムに入ればレジュメも楽になる。しかし, このところ思考の端緒, 思考の啓蒙をコンセプトとしたレジュメばかりに追われている。多くの小学生が形という壁から出られずにいることが私には目下の悩みとなっている。
 転じて, それなりの問題が解ける子はどうか。ここでもレベルは違うがやはり「形」に反応する子の問題があった。ある一定水準以上の問題には途端に思考停止してしまうという現象をみてしまう。
 問題を解きほぐし, ひとつひとつ解決可能なところからつぶしていくという丁寧な思考の積み重ねができないということが問題なのだ。
 このところそうした類を念頭に置いたレジュメばかりを作っている。一日パソコンの前に座っていたら, とうとう背中が限界にきてしまったというわけだ。
 ところで, 9月になって多いは1日5冊ほどの文庫本を読んでいます。いったん読み始めるとやめられずある意味病的かもしれない。このところ教材作りと文庫本読みで終わり, ブログまでいかないことが多くなった。
 形式思考で問題が理解できないで困惑した表情の子どもたちをみていると, 複雑な気持ちになる。逃げないで素直に指導についてきてくれればと願うばかりだ。「考えない」という頑迷な子どもとの闘いは日々続いています。ある日突然陽が差すことを信じて全力で指導にあたるしかない。
 


 
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