草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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高校受験の準備はいつから?

2014年03月14日 11時28分13秒 | 
 お早うございます。朝の気温は10℃とかなり上がりました。一頃の1℃~3℃の世界からようやく脱し暖かい空気をはらんだ低気圧が強風を吹き込んでいます。毎年この頃には強風が吹き荒れていたことを思い出しました。春一番?の類いです。春はこの強風の見舞いを受けなければこないということですね。それとともにまた花粉の季節がやってきました。ただ今年は顔に噴霧するタイプのがかなり有効で少し楽かなと思っています。
 さて都立中は8倍、10倍という倍率もすごいですけど、今は受検層の質もかなり高い、その上での高倍率になっているのかなと思います。以前のように作文に難ありとか、適性問題に対して発想力に不安ありという子でも受かっていた時代とは明らかに変わってきているようです。不安というのは必ず本番にさながら現実化するというのがわたしの実感です。作文が書けないというままに本番に突入しても本番では奇跡は起きないということです。この作文についてはいい子は最初からいい、だからたいした練習もしてないのに本番でも問題なく書いてくる、そういう気がします。ところが、多くの子たちというのはまともに作文は書けていないというのが現実です。バランスのいい、論理的で、素直な文というものがありまして、わたしが文句なしにA評価をつけるという子はそんなにはいないということです。かつての女子などでもとにかく本人は文章を書くのが得意という意識はひしひしと感じられるのですが、どうも超主観的、狭隘な自己の説を牽強付会という言葉さながらに展開するなどどうしてもAはつけられないという作文が多すぎるのです。さすがにわたしからAがとれないとなると本人もかなり自信喪失するようですが、しかたありません。模試でも作文の評価は最低ということになると、本人の苦悩もかなりのものと思います。男の子などは特に幼くて狭隘な偏見というものに囚われていて、その殻を破るのは至難のように思うことがあります。そもそも作文というのは、その子の精神成熟度が問われているもので、まだ甘えの残った、幼い精神のままの子たちには圧倒的に不利だと思います。精神成熟度などというものは、やはり何かの精神的な苦悩といったものを経験したものでなければもちえないものではないか、そうであってみれば、過去の合格者たちの中で作文にすぐれた子たち、わたしがA評価を出した子たちというのは、やはりそれぞれに精神的な苦しみをかかえ乗り切ってきた子たちではなかったか、そう思うのです。そして実際にテロで父親を失った子、学校でのトラブルで苦しめられた子など、思いあたることが多々あるのです。いやそのような実際のトラブルに巻き込まれたことがなかったとしても、「赤毛のアン」のように想像力豊かな子であれば他人の苦しみを深く理解し自分勝手な、自分中心の偏狭な精神からは脱することができたのかも知れない、そうも思います。
 さて、そういうわけで世の中には、都立中に失敗して公立中に進む子の方が圧倒的に多いわけです。この受検勉強を通して、培ってきた思考力があれば高校入試では都立中よりもすぐれた都立高校がたくさんありますから、高校入試のための手順さえ誤らなければ、そういうところに入ることも可能です。しかし、飽くまでも手順を踏むことが前提です。
 塾はいつから行けばいいのか。特に、女子に多い傾向かと思いますが、塾に行かなくても成績がいいという子がいます。特に、中1、中2の間は学校の授業がわかっていればそれなりにいい成績がとれますから、ますます塾には行かなくてもという気持ちになるのはわかります。塾に行っていないのに学年1番、2番の女子がいるなどという話も珍しくないようです。しかし、これには大きな落とし穴があります。そういう子というのは中3になって、つまりそろそろ高校受験なので塾にでも行こうかとのんびり構えている子がほとんどなのでしょうけれど、それは大きな誤りでした。そもそもその時期になっていい塾にいきあたるかということもありますが、仮にいい塾にあたったとしても、もはや遅いのです。高校受験というのは、遅くとも中2の夏あたりから仕込みを始めなければ到底間に合わないということです。
 中3になって、高校受験レベルの数学や英語力がつけられる時間があるかということです。入試で出される英語の長文はかなりに高度です。私立難関クラスだと大学入試のセンター試験並みです。数学だって難解を極めた問題ばかりです。学校で習う教科書レベルとは大きくかけ離れています。都立独自問題出題校だって英語も数学もかなりのレベルです。中3になって始まる学校の授業でのんびりと「平方根の計算」を1か月、2か月かけてやっている間に、たちまち夏です。夏を過ぎれば先の難問が模試ではいきなり出されてくるのです。15分以内でかなりの英語長文を読み下さなければ到底点にはなりません。わたしは中1や中2の頃、塾に行かなくても成績がいいという女子が親の自慢であり、誇りであった娘が、中3になって高校受験の渦中に飛び込んでそのまま沈んでしまった例をたくさん見てきました。だからわたしは誤りと言っています。
 高校受験の準備は遅くとも中2の夏に始めなければなりません。そこから逆算すると、中2の遅くとも7月までには、中2までに習う数学の全範囲、そして英語の文法事項の履修を終えていなければならない勘定になります。のんびり学校の授業レベルに合わせて、ついていけば高校入試は大丈夫などと思っているととんでもないことになります。そもそも学校は高校入試のための具体的な助けなどしてくれないのです。だから個人の事情を斟酌した、展望をもった助けなど一切あてにしてはならないのです。
 河合塾などは慶応などをめざす中学生は、中2の1学期で中3までに習う全履修事項を終わらせています。1週間で1単元を進めますから、かなりの超速です。まず並みの中学生では行っても無駄でしょ。この速さについていけるのは、習わなくても「わかる」秀才だけです。難関私立や国立をめざすわけではないからという人もいるかもしれない。しかし、都立もトップ校となると同じことです。都立駒場以上の推薦合格にはオール5があたりまえです。都立は内申という制度がありますからことはますます複雑です。内申で5をとるというのはバカ教師がいるから簡単ではない。特に、選科は100点とっても5はくれない。数学70点とって5なのに、90点とっても3というのがありました。そういう客観的なもので測れない制度です。選科の内申を2倍にするなどとたわけたことを言っていますけど、数学、英語ができないのに、選科で数学、英語のできる生徒を逆転するなどということを認めるわけです。選科の教師は超主観的評価をする人間で占められていますから、最悪この上ないですね。生徒が教師の機嫌を取る制度なんかいらない。

○退塾と決めたのならその時から来る意味はない
 他塾では問題ないのかと思いますが、竹の会では一端退塾すると決まった子が残りの指導日に出るというのはあまり意味のないことです。それはおカネを出した分の元をとろうということなのかなと思いますけど、一端退塾すると判断したのなら、つまりは竹の会にきてもしかたないと判断したのなら、残りの指導日に出るのは意味のない(首尾一貫しない)ことだと思います。
 このことに関しては、前に何回か書いたことがありますが、竹の会の指導というのは、ある程度のスパンを見て、その子にとって最適とされる指導を組み立てて毎回の指導内容を決めています。つまり、継続的な指導が前提なのです。これから止めるという子にいったいどのような指導をなせばいいのかわたしにはわからないのです。大手のように、知識を時間で切り売りしているわけではない。1回「いくら」というふうには考えていない。指導費用はある程度のスパンをとらえた全体としての指導に対する指導料の意味合いでとらえています。そもそもこれから止めようという塾にこれ以上何をしてもらい何を期待してくるのかということです。止めると決めたのならもうその時から来る意味はないはずです。
 今小5にやっている指導内容というのは、小6になってからの指導構想を想定して前倒しで、かなり早めに手を打っていると思います。竹の会の指導というのは1回いくらでは割り切れない内容は切り売りできるものではないのです。
 しかし、退塾するという親子のほとんどがぎりぎりまで無意味な時間を消化するだけの帳尻合わせだけのためだけに出席することにこだわりますけど、継続的な見通しをもたない指導というのは不毛で虚しいだけです。
 わたしは次の指導でさて何をしたらいいのかわかりません。次のステップを考えることのない、不毛な指導をすることは苦痛でさえあります。
 
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