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草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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11月にさよなら

2013年11月30日 10時04分15秒 | 
 お早うございます。今日は予想通りの冷え込みです。しかし、空は青々と広がり暖かい陽光がまぶしいばかりに照り輝いております。今日はまだ11月なんですね。11月の最後の1日を愛おしむようにわたしは今日一日の時間を大切にしたいとなぜか思いました。
 昨日は実は両国の適性問題を解いていまして考えさせられました。このような問題を小学生に解けというのか、これは並みの小学生にはまず解けないのではないか、そんな思いを抱きながら竹の会の小6のこと、そして小5のこと、さらには小4のことを考えずにはおれませんでした。都立の適性はもはや普通の小学生を相手にしてはいない、これは確かなことです。それどころかかなりの高い知能を求めている。しだいにそうなっていくとは思っていたけれどやはりいくところまでいくしかないのかという思いです。都立の適性にはやはり深いところで高い算数の能力が問われているなという思いを新たにしました。模倣問題、類似問題で対策をとっている大手などはいずれ自滅するしかないと見ていますが、私立難関志望、特に開成や武蔵級の小学生には道がさらに開けつつあると思いました。
 高い算数力、これがひとつの答えのような気がします。正確には算数を通して鍛え抜いた思考の力だけが都立に通用する力となりえる、そういうことです。
 明日から12月です。そして明日は12月最初の指導日です。
 いよいよ12月に突入です。中3にも小6にもかけがえのない月です。残された期間は2か月、中3はもっと少ない。
 この時期になると大手に子どもを通わせる巷の母親たちが東奔西走するようになります。「なんとか合格させたい」という思いが思わぬ行動をとらせる時期なのです。「師走」といえば「師匠が走る」と書きますけど、走るのは親です。
 受検(験)というのは、ある意味達観することが必要です。直前の高々1か月、2か月でどれだけの力がつけられるのかということです。わたしなどは12月、1月はもう何もしなくてぼーっとしとけばそれでいいとさえ思います。事実、去年11月で退塾した小6は受かっています。そんなものです。受験合格に必要な力をつける時期はすでに終わっているということです。22年に桜修館に合格した杉山太一君にわたしは11月だったか、「君はもはや合格する力がある」と明言しています。23年に小石川に合格した小6には12月の段階で「合格できる」と言い渡しました。実は、今年白鴎と小石川に合格した女子にも「合格します」と明言していました。
 明言できない子には不安要素があります。そして試験というのはこの不安要素が例外のないほどに現実となるのです。
 明言できない子が合格したことはもちろんあります。「合格してもおかしくない」が「落ちてもおかしくない」というグレーゾーンというものがあるのです。実は22年の両国合格者はそうでした。彼は1月ぎりぎりまで「解き直し」に追われました。2か月ほど大原の○○コースとかいう日曜講座で抜けたことが、つまり竹の会の指導をスルーしたことが裏目に出てしまったのです。奇跡的な合格でした。24年の富士合格者もグレーゾーンでした。だからぎりぎりまで手当てをする意味はあるのです。
 人生は同じことの繰り返しなのではないでしょうか。いやわたしのような仕事をしていると特にそういう思いが強いのです。
 そういう中で子どもたちとの出会いがあります。亀井勝一郎は「邂逅」という言葉に思い入れがありましたが、わたしにはいつも子どもたちとの出会いは新鮮でした。一期一会という言葉がありますが、子どもたちと出会い過ごす期間は1年前後のスパンなのですが、後々考えるとそれはもう一瞬のことのように思えますし、やはり一期一会の精神はそのまま通じるように思います。この出会いを大切にしたいという思いは強いですね。
 不幸にも本当に一瞬にして止めるという子もたまにはいますけどそういう子というのは実は第一印象というものがありまして言葉は悪いですけれども「この子はやばいかも」というのがわたしの中に実はあるのです。そして指導を開始してますますその感を強くしていくということはありました。「やばい」子というのは、とにかく勉強に集中できない、ちらっと見るとぼーっとしているとか、机に俯せているとか、とにかく勉強はやってないわけです。それでやたら早退する。親もそれに輪をかけたように「実家に帰るので」などと欠席させるものだから指導そのものが成り立たないわけです。それから子どもが難しい性格というのがありまして、親が気を遣う子とかはだめですね。子どもが好き嫌いをやたら言うとか、「こうしたいああしたい」という意見が強いというのもだめです。いや竹の会ではだめですということです。先日平成10年に早稲田に合格した鈴木君の体験談を載せましたがその中でいみじくも鈴木君が述べていましたように「素直で単純な性格」な子が合うのかもしれません。いろいろ注文のうるさい子はだめということです。子どもというのは明らかに判断というものは浅いわけですけれど親がその浅はかな考えに振り回されているというのではだめです。不思議なもので、思慮深い子ほど親の判断に従うもので、軽薄な思慮もない子ほど親には従わないものです。
 軽薄な思慮もない子ほど自分の考えというものにこだわるものです。いろいろと我を張るものです。あれこれと注文をするものです。
 こうして竹の会の水に合う子たちがすいすいと竹の会という水の中で伸びやかに泳いでいくことになります。
 出会いというものは偶然のなせる業なのでしょうか。考えて見れば偶然と必然というのは同じものを表と裏から見ているだけにすぎないのではと最近はよく思います。必然というものが因果律にしたがってなるべくしてなったという意味であれば世の中には偶然などないともとらえられます。どちらでもいいといえばそれまでですけれど、漠然と偶然と考えていたものが実は必然のなりゆきだったのではないかと思えたりもするということです。
 とにかく今日で11月は終わります。暗くなるまでまだ時間はあります。暗くなったら11月に「さよなら」です。

 
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