草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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チャンスは準備された心に降りたつ

2015年04月06日 09時05分28秒 | 
 おはようございます。昨日から4月の指導が開始しまして、この大切な4月という時間を有為に使わなければと心しております。  昨日は小6にはまず作文の練習を実施しました。課題にして家庭でやることを期待すると必ず期待に背く者が出てくるということで強制実施しました。予想通り作文の出来はよくありませんでした。その以前に本文の読み取りに慣れていないということを感じました。語彙不足が読み取りに影響していることも推測されます。言葉を知らないというレベルでは当代一流の文章家の文章を読み砕くなど土台無理な話です。小学生にはハードルが高いことは承知です。しかし、このハードルを越えない限り作文で合格点など取れるはずもないのです。これから日曜日の指導では必ず作文練習から入りたいと思います。  ちなみに作文指導に使ったのは、竹の会「作文」シリーズの「第2集」と言われているもので、主として2013年実施の都立過去問について分析したものです。解説にはすべての問題にわたしのオリジナルの解答解説をつけています。  1通のレジュメについては、数回の書き直しをしてください。わたしの作文スタイルを真似てもかまいません。まず真似ることから学ぶのも学問のありようと心得ています。  表題は昨日出題した小石川中学の問題で出題された文章に出てきた言葉です。文章のうまい福岡伸一博士の文です。理系の先生ですけどなかなかの文章家と思います。ここで博士が用いた「準備」という状態は、わたし流に理解すれば、ひとつの道をずっと追求してきた人のみが持ちうる心の状態であり、常にそのことを考え続けて行動してきた人の心の状態のことです。本文では小学生の頃から化石を追い続けてきた人物が大発見をする件が書かれてあります。
 チャンスというのはふだん全く無関心な人の心に突如として降りたつものではないということで、わたしもおおいに納得したところです。いや関心はあっても中途半端な関わりではだめで、ただそのことを、ひとつのことを追い求めて自分の時間をすべて捧げているような人にしか降りないと思います。福岡博士もそのような意図で書かれていると思います。  昨日、ある小学生が、「先生、昨日は十時間勉強しました」というようなことを報告してくれましたが、今のわたしの課すレジュメにまともについてこようとなればそのようなことになるのかと思いました。今年は去年よりもはるかに多いレジュメが課されています。子どもたちは「何をするか」で迷うことはまずありません。やるべきことは決まっています。あとは「どれだけやるか」だけです。  わたしは思うのです。来年の2月9日に掲示板に番号が「ない」と言って悲嘆に暮れるとすれば、それは今この時期に勉強優先の生活をしてこなかっただけのことであり、あるいは勉強にかけた時間が一日最低5時間にはるかに足らなかっただけのことであり、あるいはなにやかやと勉強しない日があったということであり、なにも悲しむことはない、当然の結果だったということである。  わたしの記憶が正しければ、平成21年の10月のことでしたか、杉山太一君という小学生が1日17時間の勉強をしたという報告を受けたことがありました。彼は銀本の過去問を100ページ、50枚ほどコピーしたものを持ち帰り、土日にかけてやりあげて月曜日に提出してきたことがありました。このとき、土曜10時間以上、日曜17時間かけてやったと申しておりました。当時の竹の会は、教室が元代々木にあり、指導は、月水金で土日は休みというシステムをとっていました。それで土日の家庭学習をわたしは強く求めてきたわけです。まじめにこれを実行する家庭もありましたが、さまざまな家庭の予定を優先させる家庭が多かったと記憶しております。受検、受験と言いながら、習い事、稽古事は別扱いという家庭がかなりあった時代です。当然のようにそういう家庭の受検、受験というのは失敗することのほうが圧倒的に多かったと承知しております。  合格のチャンスは準備された心に到来する。もし天才が落ちるとしたら最も時間があったと思われる時期に準備を怠ってきたとしか思えません。  普段からそのことを思い詰めて、常にそのことをのみ第一と思い続けてきた、その生活の積み重ねの結果、準備はできあがるということです。  
隅田川沿いの桜 浅草    
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