草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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「心の指導」訂正版&学習不振児&

2010年01月29日 10時36分55秒 | 
◎「心の指導」訂正版

 「与える害悪」
 親が学校が社会が子どもたちを人間にふさわしい扱いで接してきたのでしょうか。
 「与える」ことばかりに熱心な親, 学校, 社会が子どもたちを損なってきたとはいえないでしょうか。
 子どもに「与える」ことで親たちは安心してきたのではないでしょうか。子どもたちは与えられることに慣らされてきたのです。
 「教え与える」といいます。「教え」を「与える」ことで子どもたちは大切な何かをその代償として失ってきたとはいえないでしょうか。「与えられた」人間は満ち足りて何かを「考える」という心のはたらきを必要としません。心が心としてはたらかないように育ててきたのは私たち親なのです。
 私の教えを「与えない」指導は最初は子供たちを戸惑わせるようです。しかし, 与えないことから, 心は「はたらき」を始めるのです。不足を感じたとき初めて子どもたちは「心のはたらき」に目覚めていくのです。私は, 心のはたらきが見られるようになるまで辛抱強く待ちます。子どもが自分がきちんと認められていると実感させること, 心が自らの意志で考えるように仕向けることが指導だと思うのです。
 かつて朝日の人生相談を担当しておられた作家の早乙女勝元さんが, その著書で, 次のようなことを述べられています。
 『自分がきちんと認められていて, 自信と誇りを持って生きている子どもは, 理由もなく友に暴力を振るったり, 傷つけたりするはずがないのです。そんな反社会的な行動に, なんらかのストレス発散の噴出口を見つけたい子どもや生徒の心の内は, 私たちの想像以上にイライラカッカでムカつき, むしゃくしゃしているのではないでしょうか。』
 子どもは, 周りに「認められる」ことで心身を穏やかにすくすくと成長させてゆくことができます。決して, 「与える」ことではありません。ものを何でも買い与えるの延長で, 勉強も与えてすまそうという風潮が, いかに子どもの心を損なってきたのか, 考えてみなければならないと思うのです。
 教えない指導というのは, 子どもの心を「認める」指導にほかなりません。子どもの考える心を尊重するからこそ教えないのです。
 もちろん「躾(しつけ)」の意義は決して否定されることはありません。躾に関しては, 筑波大元教授の小田晋さんが, その著書の中で次のようなことを述べられています。
 『子どもが育ってゆく過程は, ある種のプログラミングがなされてゆく過程だと思ってもいい。乳児期には「甘やかす」, 幼児期には「しつける」, 少年期には「教える」, 思春期には「考えさせる」ということを, 親は子どもにプログラムするのである。甘やかすとは, 愛するということだ。乳児はベタベタに甘やかしてかまわない。母親との間に基本的な信頼関係を築くことが重要だからだ。幼児期, しつけるとは, 「身」に「美」と書いて「躾」となる。身体で覚えさせる。お尻ペンペンでいいのである。』

 異論があるのは, 「少年期には教える」の部分でしょうか。
 世阿弥の『花伝書』(岩波文庫版)には, 「教える」年令は, 7歳からとあります。能の教本ですから, 一般化するには抵抗もありますが, これからいくと「躾ける」年令はそれより前ということになります。いやそもそも芸の道に「甘やかす」という過程はないのかもしれません。思春期には「考えさせる」とありますが, 思春期はだいたい中2くらいから始まるでしょう。
 普通に小4とか小5ではかなり幼い。中には, 小6いや中学になってもあまりにも幼い子を見かけます。幼児期の「甘やかし」をそのままずるずる引きずっている親が結構いるということですが, これは論外です。子どもの心の成長の過程を無視した教育は, 子どもの独立を妨げ, 将来的に社会で一人立ちできない大人を念入りに作り上げているようなものです。
 私は塾での実践的指導経験から, 入会した時から, 「考える」ということを指導の核としてきました。「少年期には教える」には, 一般的な意味なら賛同しますが, 「教える」の意味内容によっては賛同しかねます。入会時の子どもの幼さの程度, 知能の程度にもよりますが, 「教える」ということを優先しながらも, できるかぎり「考える」ということの橋渡しができるような「教える」を心がけています。
 最近の親は, 「躾ける」べきときに「甘やかせ」. 「教える」べきときにも無尽蔵に教え与えて「甘やかせ」, 「考えさせる」べきときに「甘やかせ」て考えさせない。結局, 子どもを「育てる」過程をすべて「甘やかせて」いるのではないかと思ってしまいます。厳し過ぎる「しつけ」は問題ですが, 躾が「ない」のももっと問題です。きちんと敬語が使えない, あいさつができない, 基本的なものの見方ができていないなどは, 「教える」過程が同時に「甘やかせる」過程であったということなのでしょうが, 社会に生活していくうえで支障があるような子どもを創り出すのは, 結局当の子どもを害することにほかならないと思います。

◎学習不振児のこと
 竹の会がある時期から, 中学をとらなくなったということは, このブログでも再三触れてきました。早くから, 公立中の質の低下は塾の現場にも深刻な影響をもたらしてきました。入会面接に訪れる中学生のほとんどが学習不振児というのはかつてなかったことでした。不登校や無気力というのが珍しくなくなり, まるで勉強意欲のない生徒が親たちを混乱させました。基本的にまず勉強する意欲はゼロでした。勉強そのものに興味がないのです。不振児の多くは, 小学の時にすでに学習障害の状態にあったと思われます。まず間違いなく「割合」がまるでわかっていませんでした。計算は不正確で間違いだらけというのも同じでした。そもそも「考える」という訓練が全くなされていないままにきたことが, その後の見通しを真っ暗にしました。
 早期指導の必要性
 学校で普通に学んでいる子が, まずほとんど学校の授業だけでは, 「割合」を理解していないというのが, 現実です。
 こういう子たちも竹の会で「考える」指導を2年ほど続けることで, もう中学にいっても困らないだけの思考力を身につけることができます。2年の指導過程は, 春-夏-冬の長時間指導が前提です。ここまでやらないと普通の子が思考力を獲得するのは無理です。今の私は, 小4がその最適適齢と考えてます。小5では遅いということがここ何年かの指導の実際でわかったからです。計算から鍛え上げて, 思考の芽を伸ばしてゆく過程はその子のその後の将来を左右するほど重要です。

◎後記
 ●本日 小6・中3は最後の指導となります。長い間, 勉学に研鑽を積まれて, その高い志に敬意を表します。
 いままでありがとうございました。
 今後の活躍をお祈りします。
 ●小学passport
  2月より, 理科・社会のオリジナル・レジュメによる本格指導開始の予定です。

●ガンマンの祈り
 
 マカロニ・ウエスタンの名曲です。善玉も悪玉もとにかく「食べる」ために生死をかけて「生きる」世界です。暮れゆく夕暮れの荒野にひとりうなだれて瞑目するガンマンの姿に哀愁に満ちたメロディーが切々と流れる光景はなにやら寂しく, 厳しい生存競争を繰り広げる現代の社会に通じるものを感じます。
 子どもたちを受験という闘いの中に, 送り出す心境はいつもなんともいえぬ心持ちです。なぜか哀しい心でじっと祈り続けるガンマンの心境です。

 
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