もうすぐ2011年も終わりです。今年は激動の年でした。竹の会では、都立小石川、都立桜修館の合格に始まり、都立小山台、都立文京に合格し最高の年になるはずでした。3月11日の大地震と福島第一原発の事故さえなければ何事もなく人々はいつものように生活していたはずなのです。あの日から私たちはどれほど恐怖と不安に包まれた生活を送ってきたことか。私のブログも原発一色で読者は原発に関心のある方ばかりになってしまいました。私は塾の先生ですから、これではいけないとある日から原発記事はもう書かないようにしてきました。でも実はいちばん気になるのはやはり原発の本なのです。
一時は福島から半径200km、首都圏も危なかったと今様々な人が真実を語り始めています。
4月5月6月と子どもたちはそれぞれに小さな体に不安をいっぱい抱えて耐えていました。みんな心配しながらよく勉強してきました。3.11以降私たちは「日常のありふれた生活がどんなに愛おしいものか」知らしめられました。このまま受検できるのだろうかと実は心のどこかに不安をかかえながらどんなにか普通の生活が戻ってくることを願ったことでしょう。
そして12月、冬期と去年の今ごろと変わらないかのようにまたその時期がやってきました。
原発事故がなければいつもと同じように勉強していたと思います。しかし、今年はいままでとは何か違う気持ちです。福島の事故が心の底に今も重くのしかかっているのは間違いないと思います。わたしも子どもたちもいつもとは何か違うなと思いながらとにかくも受検に取り組んできたと思うのです。
いろいろありましたが、とにかく2011年という苦難の年に区切りをつけるほかありません。
2012年はどんな年になるのでしょうか。
来年も「草枕」をどうかよろしくお願い申し上げます。
一時は福島から半径200km、首都圏も危なかったと今様々な人が真実を語り始めています。
4月5月6月と子どもたちはそれぞれに小さな体に不安をいっぱい抱えて耐えていました。みんな心配しながらよく勉強してきました。3.11以降私たちは「日常のありふれた生活がどんなに愛おしいものか」知らしめられました。このまま受検できるのだろうかと実は心のどこかに不安をかかえながらどんなにか普通の生活が戻ってくることを願ったことでしょう。
そして12月、冬期と去年の今ごろと変わらないかのようにまたその時期がやってきました。
原発事故がなければいつもと同じように勉強していたと思います。しかし、今年はいままでとは何か違う気持ちです。福島の事故が心の底に今も重くのしかかっているのは間違いないと思います。わたしも子どもたちもいつもとは何か違うなと思いながらとにかくも受検に取り組んできたと思うのです。
いろいろありましたが、とにかく2011年という苦難の年に区切りをつけるほかありません。
2012年はどんな年になるのでしょうか。
来年も「草枕」をどうかよろしくお願い申し上げます。