草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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小学校の頃はよく学校の帰りに近くの山に行って遊んだ・・

2015年06月26日 20時54分06秒 | 
 今の親ならびっくりするかもしれない。谷の崖から横に伸びた大きなムクノキによじ登り、夢中で椋の実を無視って食べた。木の下では弟がよく待っていた。ポケットいっぱいの椋の実を弟にあげた。
 あの椋の木はわたしのお気に入りの大木だった、まだ元気でいるのだろうか。今はもう山のどの辺にあったかも定かではない。
 六枚屏風は山が屏風のように折り重なったところ。家からそんなに遠くはない。春になるとよく野いちご摘みに行ったところだ。
 途中木イチゴの木がところどころに生えていてそれはそれで摘み取って食べた。
 梅雨時期になるとよく雨降りの中を山びわをもいで食べた。
 山では肥後守は必需品であった。ただし、わたしの持っていたのは学校の購買部で買った「もどき」であった。切れが悪くてよく砥石で研いだ。
 樫の木の枝を切り、皮を削って木剣をよく作った。よく振り回して遊んだ。いつか近所の下級生と木剣を振り回して遊んでいたらその子が小さな崖から落ちて怪我をした。親からもその子の親からも責められた。ゴム銃は駄菓子屋で売られていた。わたしはよく自分で作った。空き缶を的に命中率を競った。肥後守を投げて手裏剣の命中率を競う遊びもした。今だったら危険極まりないといって叱られそうな遊びばかりだ。竹を切って竹鉄砲やら笛を作った。みな肥後守で間に合った。学校の帰り遠回りしてニッケの木のある家の庭に入りニッケの皮を肥後守で削った。
 秋には自然薯をよく掘った。途中折れないように掘り獲ることがなかなかできなくかったけれど次第に上手くなった。山で自然薯の蔓を見つけると、鍬やシャベルで穴を掘り、1本2時間以上かけて収穫した。ヘビによく出くわした。うしへびとかアオダイショウが多かった。まむしには出会ったことがない。
 柿やイチジクは買うものとは思っていなかった。どこかの木になっているものをもいで食べるものと思っていた。
 小学校の頃は、パッチン、ビー玉、釘刺しなど面白い遊びがたくさんあった。パッチンとビー玉は名人だった。
 魚釣りもよく行った。投げ釣りだった。道具のないわたしにはそれしか方法がなかった。コチがよく釣れた。サヨリとかゼンゴも釣れた。
 小学時代のわたしは遊びの天才であり、ガキ大将だった。なにかあると近所のおばちゃんがいつもの目の敵にした。
 勉強なんかしたことはなかった。
 
 椋の木
 
 野いちご
 
 肥後の守
 
 パッチン
 
 ビー玉
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