草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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政・官・産・学という極悪非道

2011年05月26日 21時32分34秒 | 
 冷酷なようですが、福島はもはや人の住めるところではないのではないか。チェルノブイリのことを知れば知るほどそう思わざるを得ないのです。朝日ジャーナルの編集長河島大四は、緊急増刊号の巻頭で「人類は、原子力という割安でエコな『夢のエネルギー』を手に入れた。その代償として放射能という悪魔を背負うことになった」と述べています。正直その認識に不満があります。まず、「夢の」という修辞句です。「割安でエコな」ということが、「夢の」という言葉に結びついたのでしょうか。そういえば、あの勝間和代も「原子力はコストがかからず、エコだ」と言っていました。勝間は原発推進の立場からそう言ったのです。本当に割安か。本当にエコなのか。これらの点についてはいずれも根拠のないことを説明できますが、本日の本旨にはずれますので書きません。
 すでに、福島第1原発のある町は、ゴーストタウンとなっています。私たちが恐ろしい悲惨な話しとしてよく話題にしたチェルノブイリの事故が、今福島でも同じレベルの事故として起きてしまったのです。信じられない気持ちでした。これが現実の話しだとはとても信じられないことでした。今はもしかとたら、いや確実に福島全体が消えてしまうと思い始めています。何万人という原発難民が県外に身を寄せたままにアテのない生活を送っています。しかも、福島第1原発は未だに収束の目途も立たないままに、現在進行中です。70%が緑というあの美しい緑溢れた福島県は放射能という理不尽にいまや消滅しようとしています。飯舘村の人たちは突然に村を出て行かなくてはならないという理不尽に、全く理解できない思いであろう。すべて原発という制御できない悪魔を作り出したためである。勝間和代は、経済や電力不足を考えると原発は必要ということを言っていたが、そうではない。原発は、たとえ経済が悪くなっても、電気がなくても、作ってはならないのだ。
 政・官・産・学の無責任という本質が、今福島の事故で明瞭に見えてきた。
 4月19日、文科省は、福島県内の小中学校や幼稚園の校舎や校庭を利用する基準を年間被曝量20ミリシーベル超とした。校庭の放射線量が毎時3.8マイクロシーベルト以上で屋外活動を禁止するというものである。これにより、ほとんどの学校が制限解除になった。ちなみに、1ミリシーベルトの被曝は、2万人に1人、20ミリシーベルトは千人あたり1人の、将来のガンによる死を容認するということである。
 この基準が適切なものかどうかが問題とされた。幼稚園児や小中学生に、きわめて高い放射線量の場所で活動させてよいのか、が問われたのである。
 ところで、一般公衆の被曝基準量は年間1ミリシーベルトとされている。放射線の影響が大きい子どもに20倍の被曝を許容するというのはどういうことか。「これはたいしたことではない」と専門家と称する人たちがテレビでさかんに言っている。
 もともと原発の現場ではたらく労働者の被曝線量は、国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告で、年間50ミリシーベル以下、5年間で100ミリシーベルトを超えないように、と定められていた。これによると年平均20ミリシーベルトという数字が出てくる。まさかこの数字をそのまま福島の子どもたちの被曝量の基準にもってきたのであろうか。ICRPは内部被曝に関して、邪な意図で、影響なしとしたこと、もともとの依拠する広島・長崎の放出線量をかなり高めに設定していることで、その基準が甘いのではないかという疑いがある。
 ついでに言えば、政府は「飲食物摂取制限に関する指標」として、放射性セシウムに関し、野菜、肉類、穀物などは500ベクレルまでに引き上げた。今は福島やその近県の農産物のほとんどが制限解除の方向にある。外国人ならまずこのような放射能を帯びた農産物を敢えて食べることはしないであろう。政府は無責任なので基準などはあってないに等しいところまでいくらでも緩める。農民たちは出荷できると大喜びであるが、現実はそう甘くない。消費者が疑って売れないと風評被害などと勝手に言う。風評を作った犯人は政府である。真実を隠し、事実を小出しにし、常に最小限に装い、国民を騙してくれば、だれも政府の言うことなど信じるはずがない。テレビに出てくる節操のない専門家たちは、規制値以下だから全く安全であると強弁し、いつしか規制値を超えても安全と言っている。ふざけた連中である。
 官僚の無責任といえば、4月21日、基準の撤回を求める市民と政府の交渉で、原子力安全委員会と文科省の担当官のいい加減さがジャーナルに載っている。
 ・文科省担当官が、放射線管理区域の意味を知らなかったこと ・福島県に放射線管理区域や個別被曝管理区域の値を示す学校が多数あることを知らない。 ・なぜ累積放射線量を3月23日から測り、それ以前を含めないのか、答えられない。 ・原子力安全委員会は20ミリに決めた審議過程を明らかにできないこと
 産業界の無責任。2002年8月、東電が長年にわたって福島第1、第2原発内のトラブルを隠すため、点検記録を改ざんしてきたことが内部告発によって明るみに出た。
 このとき、内部告発の手紙は2年も前に原子力安全・保安院に届いていたのに、保安院は立ち入り調査も告発者からの事情聴取もせず、なんと逆に告発者の名前を東電に通知して知らせていたのである。本当のワルが国であることがよくわかる事件であった。経産省の大臣は自民党の甘利であったか。とにかく原発推進党の貢献者ということで大臣になった男である。50年にもわたって原発を国策として進めてきた自民党の中で今回の福島の原発事故についてだれも謝罪する者がいないということでその本質がわかるというものである。全く無責任政党である。
 ジャーナルには、「絶対安全」の宣伝にお墨付きを与えてきた原子力の専門家、学者、技術者たちの責任の重さが指摘されていたが、なに、無責任なだけである。無責任官庁経産省の下に組織された無数の委員会、審議会の役職を務め、巨額の研究費を電力会社からもらってきた学者たちは、「原発安全神話」をまさに神話たらしめた張本人たちであった。テレビなどのマスメディアはといえばこれまた無責任極まりない。広告費欲しさに「安全」を無批判に垂れ流し、少数の良心のある学者たちの批判をすべて排除無視してきた。カネにならない奴らの意見はいらないという態度である。
 そもそもあの東電は、3月14日に最初事故現場から全員撤退させようとしたのである。結局50人の作業員を残すということで落ち着いたが、全員撤退というのはどういうことなのか。放っておけば爆発するしかない。爆発してもとにかく逃げるということだったのか。地震があっても絶対安全、津波があっても絶対安全、とにかく何があっても絶対安全と言って、国民を騙し、巨大な利益を上げてきておきながら、すわ重大事故となったら「手に負えないから」全員逃げるというのはどれだけ無責任な奴らなのか。卑劣で卑怯としか言いようがない。
 しかし、実は本当のワルは、自民党であり、国策として原発を進めてきた国である。こういうときこそ原発は安全といって進めてきた自民党の面々や国は、「被曝して死ぬまで」やるべきではないのか。もう原発を進める準備をするなどふざけるのもいい加減にしてほしい。その前に第一線に自ら行って原発の暴走を止めてこい。現実には、原発事故の被爆者である、被災者の末端作業員が事故収束のために過酷な労働を担わされている。そういう人たちになんか言って見ろ。原発を推進してきた原子力ムラの住人、すなわち政治家、官僚、電力会社、学者、メーカーは、決死隊を結成し、自ら原発で事故収束をはかってこい。
 日本の政府は、これまで農業、漁業を潰して、日本は世界有数の工業国である。しかし、それでも農業と漁業は日本国民に豊富な山の幸、海の幸をもたらしてきた。それが原発が作られるようになって一変した。温排水で海は汚されもはや原発立地の海域では漁業はできなくなった。もちろん農業も影響を受けた。そして今度の福島の事故は緑に恵まれた福島一県全体を死の灰で消滅させようとしている。いやことは福島一県で終わるとはとても思えない。3機の原子炉がメルトダウンを起こしていたとなれば、福島近県も危ない。いや東京も危ないかもしれない。
 福島の人たちの生活は崩壊してしまうのか。危険なことはわかっていても、実際に避難したときの人々の暮らしを考えると、そのまま動けずにいる人たちがたくさんいるであろう。1年に20ミリシーベルトでも安全だと国が決めたのは、様々な責任から逃れるためであろう。日本の政府は日本の将来を担う子どもたちに被曝を強制する政府である。
 今の日本の原発の設備では、原発はすぐにでも止めるしかない。近い将来必ず事故はまた必ず起きる。政府がどんなに強弁しても起きるものは起きる。そして原発がなくても私たちは何も困らない。原発が止まると、国民が困るというのは、政府と官僚と電力会社が作った完全なでっちあげであるからだ。
 
 
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