草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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時期を逸する

2014年10月21日 13時55分11秒 | 
 おはようございます。今日は朝から時雨れ模様です。これから一雨降るごとに寒くなっていく、そういう季節になりました。昨日は日曜日に提出されたレジュメの添削準備で丸一日かかってしまいました。それにしても、小5の提出するレジュメが「教養のための理科」1枚だけというのはあまりにも少ないと驚愕しております。6年生でも提出される量にはかなりの差があり、この何か月か一度も作文を出していない小6もいるようです。今、一番提出量の多い小6が家庭でレジュメにかける時間はおそらく平日でも5時間は下るまいとみています。これだけの勉強量をこなしてようやく早稲田進学会の上位に名前を連ねることができるのです。家庭学習もほとんどしていないで、受検などと口にするのはおこがましいことです。
 小5はもちろん、一部の小6にも勉強量の絶対的な不足を感じています。大量のレジュメの積み残しにあたふたしているのでしょう。なにしろ1枚を仕上げるのにも時間はかかるでしょうから、一気にやりあげてしまうなどということはできない相談です。
 家庭学習を怠ったつけというのがたまってきたわけです。小5の時にのんびりやるというのがそもそもの誤解です。早く始めて早く終わらせるほうがいいに決まっています。日々の指導で出されるレジュメも課題をもらったら次の指導日には必ず出すということを実行しないとたちまち遅れて、やり残しが大量にたまってしまいます。小5で入会時期が遅い場合はそれなりのハンディーは背負うこととなりますが、だからといって雑にやらないことです。一枚一枚じっくりと思考時間をかけて仕上げていかなければ意味がないのです。
 やり残しの多い小6については、一度たまったレジュメは廃棄してしまい、今の指導の波に乗るのがいいでしょう。積み残したものを今からやるなどということはある意味自滅行為です。今の指導が宙に浮いてしまうからです。
 一度これまでにやってきたレジュメを総整理して、7回解き直しが可能なものをより分けてください。放置してやらなかったレジュメは廃棄してください。もはややる時期を逸しています。
 小5には、「教養の理科」1枚を出しだけという子、「資料」1枚だけ、四字熟語1枚だけとお話になりません。「天声人語」はどうしたのですか。「作文の基本」はどうしたのですか。もう何か月前に出したのですか。ただ「百選」は今の小5には無理でしょう。
 レジュメを積み残ししないで進めていくというのは、大変な意思力が必要です。黙々と実行する、これは勉強が好きでなければとてもできないでしょう。なにやかやと習い事やお稽古事で時間をとられている子も多いかと思いますけど、勉強を実行できない理由によって、早稲田進学会の上位が斟酌されることはありません。1日5時間以上の勉強を継続したことそれだけです。1週間のうち7日を5時間以上勉強した者と7日のうち4、5日を習い事で潰した者との差はだれが考えてもわかることです。お盆の法事で1週間潰すのも、家族旅行で何日か潰すのも、部活で何日も費やすのも、それはまったく自由なことです。ただ1年365日のうち360日以上を5時間勉強してきた者が受かり、200日以上を勉強以外に費やした者が落ちる、これはあたりまえのことです。
 勉強というのは覚悟です。「勉強する」というのは半端な精神ではできないことです。まず、1度でも中断してしまうとたちまち落ちます。継続している限りは相乗的に力がついていくが、中断すれば倍数的に落ち込んでいきます。
 時期を逸する。勉強にはこれが一番怖い。時期を逸しないがために毎日続けるのです。
 子どもたちの脳の中に届いているのか、表面的なところでしか届いていないのか、これはいつも観察していることです。
 割合にしてもその本質的なものが脳の内奥に届いてるのか、表面的な操作だけしか脳で受け入れられないのか、これが如実に現実の指導では表れる。
 わたしが嫌な言葉に「ふ~ん、割ればいいのか」というのがある。こういう言葉を発する子というのは、問題というものを本質から見ていない。表面的な操作としてしか見ていない。
 要は、本質から見ようとする子と表面上で操作するのが限界の子がいるということである。
 本質を理解し、問題を本質から見ようとする子が伸びるのです。表面上の操作にばかり気を取られて本質を見ようとしない子には勉強はおもしろくもない苦痛に近いものでしょう。
 
 割合から比へ
 算数というのは、極まるところ「比」の学問ということではなかろうかと思います。割合というのは、比の第一歩として観念されるものと思います。
 この割合がなかなか子どもたちの中には「わからない」もののようです。
 小5の中にも「割合」の問題で苦労している子たちがいますが、割合というのは、本質的には倍数論だと思います。そして「比」も実は倍数論です。ですから根は同じです。
 100等分したものの1つが1%という仮定からいろいろとさらなる仮定を積み重ねていく、その仮定の枠組みで問題を分析していく。それが割合の思考です。
 ところが、そういう仮定はっぱり忘れてしまって、問題を読んでいる、これが表面上の操作でしか割合を見れないという子の特徴です。
 学問というのは、仮定の上に仮定を重ねていくというのが本質です。ですから問題を読むときに、この仮定に仮定を重ねるという思考作用が不調な子いうのが理解不能になるのです。
 仮定を積み上げられない子に教えるのは実は不可能です。
 「逆算」がなかなかできない子というのも、この仮定的思考がとれていないという意味で悲観的にならざるをえないわけです。
 
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