草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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小6算数指導の修正

2011年10月23日 11時05分14秒 | 
 お早うございます。このところ天気がぐずつきすっきりしません。次第に寒くなってきつつあるのは確かなようで、みなさまにも風邪を引かないようにご注意ください。
 さて、現在小4~小6の指導はもちろん算数が中心ですが、全員が四則演算をこなせるほどになっているため、割合の指導が全員に実施されています。
 ところが、それぞれに理解がまちまちで使われているレジュメ・テキストもいろいろです。たとえば、小5では、「小学思考の素~割合問題編」というのをやっている子たちもいますが、こちらの方はなかなか順調に進んでいます。とにかく解いてくるわけです。指導時間中に出してくれるので「指導」ができるわけです。ところが、小6は渡したテキストが「指導時間中」にほとんど提出されてこない。それが指導のたびにそうである。これだとダメなんです。指導の時に「解けました」といって出してくる、それに対して答案を見て指示を出す、というふうになっていないのです。先ほども言いましたが、それが理想的に進んでいるのが、小5だけなんです。
 これでは、だめなので、明日からやり方を変えます。その日の指導でその日にやるレジュメを渡します。実は、本年の小石川合格者や桜修館合格者の指導までは、そういう指導法が普通だったのです。しかし、この3年ほどで私の作ったレジュメの数が厖大な量に達している。それでそういうものを適当にまとめて1冊のテキストにして渡すようにしたわけですが、その指導がうまく機能していません。まともに算数をやっているように見えない。これはよくない。いい流れではないと思っています。
 とにかく指導時間中に解いて出して指示を受けるというリズムがない。「適性虎の巻」にしても、一部の男子が出したのみで他は全く出してこない。これでは指導の流れがないわけで、まずい流れです。
 これまで相当時間があったにもかかわらず過去問全国版がほとんどやれていない小6もいます。本当に合格を考えているのであれば、そしてこれまでいくらでも時間はあったはずであり、いったいどうしているのか。
 過去問全国版は、11月30日までになんとしても終わらせることです。土日に真剣にやればできないはずはないでしょう。あの杉山太一君は土日に50ページ以上やってしかも正解率が高かった。正解率は算数力が大きく影響します。つまりは、思考力であり、知能ということになるのですが。
 それから算数を疎かにしてはいけません。問題に対してとにかく考える、思考を巡らすことです。それが思考訓練であり、重要な適性対策なのです。自由に思考をめぐらし、正解に達する経験を積み重ねることが大切です。未知との遭遇に対して自分がどう処するか、その対応が求められているのです。未知の問題に対して、だれかに聞いて、何かを調べて正解らしきものを書くことは何の対策にもなりません。見たこともない、初めての問題状況において、問題をいろいろ分析し、解決の糸口を探り出し、なんとか解きほぐしてゆく、そういう過程こそが大切なのです。わからないというので、正解を説明してもらい、それを理解して「わかった」として次へ進める能力など何の役にもたたないのです。勘違いしてはいけません。人に聞いて「わかった」を繰り返す人は、結局本番で未知の問題を見て「新傾向だったので解けなかった」といって終わりです。本当の実力者は、新傾向か何かは知りませんが、見たこともない問題に直面して、あれやこれやと思考をめぐらし、なんとか解決の糸口を探り出し、これでいいのかな、と自信のない解答を書いてくるものです。それで試験後「できなかった」という子が多い。しかし、そういう子ほど合格しています。それまで説明ばかり聞いて、「わかった」としてきた子というのは、先入観念が強く、強い思い込みで、それまでに「説明を受けた」問題と何の根拠もないのに結びつけて、独りよがりの答案を書くものです。そして試験後「よくできた」とのたまうものです。このように「できた」という子がたいていは落ちているのです。すべてそれまでの勉強姿勢の表れなんです。
 指導時間に問題を出す頻度の少ない子はまず伸びていません。最近止めた子の中には、1か月も2か月もとうとう算数の答案をだしてこなかった子もいましたが、あるとき見た答案に愕然としました。これでは何もわかっていないではないかと思いました。どうしてこんなことになったのか。やはりわからなくてもその日の指導の中で出さなくてはならない。出さないで何日も何ヶ月もスルーしてはいけないということです。少なくとも合格者の中にそんな子はひとりもいません。
 いいですか。指導を受けるというのはそういうことです。できないならできないでできない自分をさらけ出すことです。できる自分を装うために逃げてはいけません。逃避する。回避するのが、自分が「できると思われたい」という変なプライドならそんなものは害にしかなりません。できないなら、わからないなら、そういう状況に見合った指導がなされるのです。わからないのにわかる風を装うのでは、できる指導もできないでしょう。
 とにかくこの時期に「勉強する」というところで迷いをもってはだめです。「勉強する」しかないのです。私的な行事で土日を潰すのは勝手です。それなら「できない」などと悩まなければいいのです。この時期の土日の勉強量というのは、合否に確実に影響します。2月9日の掲示板に番号がないのは、何をおいても勉強を優先させなかったからだということがわかっているのならいいのです。いいですか。たとえば、8人の受検生がいるとします。その中の一人が土日に合わせて25時間勉強したとします。あるいはその中の何人かは土曜はやらなくて日曜は8時間やったかもしれない。あるいは過去にいたのですが、土日は野球で全くできないという子もいたかもしれない。そういうときに、掲示板に番号がなかった子が嘆き悲しむのは自由ですが、自分が土日にほとんど勉強してこなかったことを棚に上げて嘆くのはおかしいということなのです。土日に必死で各10時間以上も勉強していた子たちを差し置いて合格できるなどと考えるのは図々しいということです。これでは努力とは何かということになります。努力したものがまず受かるということです。もちろん同じように努力しても能力の高いものが受かり、低いものが落ちるというのはしかたないことです。また、知能が高いゆえにほどほどの努力で合格するという子もいるでしょう。それはそれとして、まず努力をしたものが勝というのは普遍的な真理です。そして竹の会の合格者たちは知能も高く努力も人並み優れていたということは言えます。
 
 
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