草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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「心の指導」第2編&その他の情報

2010年01月23日 12時43分17秒 | 
◎試験の心構え
 試験というものは, 1回限りの真剣勝負とあって, その心のありようも尋常ではない。つまり, 平常心のままに試験本番に臨める者などほとんどいない。いつもなら周りも舌を巻く実力者が, こと試験となると本番独特の雰囲気に呑まれて苦汁を嘗めるということもよく聞く話しである。
 私は時代小説が好きでよく読むが, 江戸時代の武士などは, 剣術試合というものが, 大きな意味をもっていた。それで試合に出れるというのも名誉なこととされたが, いざ試合に臨んで負ければ悪くすれば命を失うということもある。名誉を剥奪され追放ということもある。勝てば名誉, 負ければ恥というなんとも両極端の仕儀である。さてその試合に臨む剣士の心の有り様というものはどんなものであったろうか。
 必ず勝つと信念をもって戦った者もいたであろう。いざ試合となると普段は実力者と目されていた者が, 力を発揮できずに, 格下の者に負けるという事態も往々にして見られたことであろう。
 有名な武蔵と小次郎の果たしあいなども, その試合当日に至るまでのそれぞれの心の有り様は興味深いものがあった。負ければ死という極限での心の有り様である。試験で落ちれば死などということはありえないから, 状況も違う。その分, 試験を受ける者に逃げ道があり, これが心の隙となる。それは別として, 試験を受ける者が, 本番までそして本番の日に自分の心の中に潜む巨大なモンスターに押しつぶされる可能性はかなりに大きいのである。「受かりたい」という心が, 大勢の受験者の群れの中にあって, もはや尋常ではないくらいに膨れ上がり, それが「わからない」という事態に, なんともしようのない「焦り」で心は充満してしまう。試験というものは制限時間という別の敵がいる。この制限時間という無言の圧力は, さらに焦りを増大させ, 冷静な判断などはとっくに消え去ってしまう。舞い上がった心が一人相撲をして重圧の本番を終わるのがごく平凡な普通人の常といえる。そんなことは一切関係なく, 普段の冷静なあわてないかつ焦りのない判断というものが, あれば「受かった」かもしれないのに。
 試験というものは, 極めて戦略的なものである。白鷗などは45分という短い時間ではとても解ききれないほどの問題量を平気で出してくる。これは戦略的に考えれば, 全問をまじめに解く奴が落ちるしかけである。普通の受験生が時間内に解ききれないだけの量を出しているのなら, 何問かは「捨てる」という戦略も不可避なのである。要は, 冷静にとつとつと普通の速さで思考を巡らせて丁寧に丁寧に解答して答案を仕上げてゆく態度である。何が出てもとにかく「考え」ていけばいいと開き直ることである。自分が時間が足りなければ他のみんなも同じである。だったら, 落ち着いて, 焦りとは無縁に考えたほうがいい。それで時間がくればしかたないと思うしかない。何も全部解かなければと焦って自滅する愚を進んで選ぶことはない。
 佐伯さんの「居眠り磐音」に, 道場で東西に分かれて練習試合が行われることになり, 選ばれた武士と朋友の次のようなやりとりが出てくる。
 「・・・, 今日こそおれの働きぶりを見所の重臣年寄方に見せぬと, ・・家の面目が立たぬでな」
 「・・さん, それがいけません」「あれをせねばならぬ, これをしくじると厄介だ, などと考えるほど愚かなことはございません」
 「・・・, 気楽に言うが, 武勇を誇る黒田家に奉公する身になってみよ。剣術の上手下手で上役の覚えも違ってくるのだぞ」
 「いけません」
 「無念無想, なにも考えずに無心に立ち合えと申すか」
 「いえ, 負けるつもりで, せいぜいひと暴れしてごらんなされ」
 「なに, 最初から負けるつもりでか」
 「そのような心積もりならば体が自由に動きますから」

 負ける積りで戦う。すると体すなわち心が自由に動くようになる。囚われた心から自由になるひとつの方法が示されている。陰陽師という本で, 呪に囚われた心の話しが出てくるが, 人は無意識のうちにいつも自分に呪をかけている。そしてその囚われた心, 自由を束縛された心に苦しむ。呪を解き放ち「自由な心」を手にするにはどうすればいいのか。様々な呪に満ち溢れた人生いや社会からの呪縛からどうすれば逃れられるかは人間に突きつけられた大きなテーマではある。

◎私が拙著「心の指導」の一部を紹介し始めると, 日に日にアクセス数が増え続け, 正直驚きです。今まで考えたこともないようなアクセス数を記録し, こういうことがあるのかとただただ驚くばかりです。

●「心の指導」第2編「私の伝えたいこと」より

 本を読むというのは, 内心の世界を拓いていくことだと思います。私は内心の世界の苦しみを本との出会いの中で切り拓いてきたのだと思います。見えなかったまわりが次第に見えるようになってくる。その過程を導いてくれた本との出会いの数々・・。
 翻って考えてみれば, 私は自分をすっぽりと覆っていた得体の知れないものを取り除こうと始終もがき苦しんでいたのだと思います。小学校三年生の頃, 私は初めて本らしい本というものを手にしました。東京から来た叔父が買ってくれたその本は「にほんむかしばなし」という本でした。それまで本など買ってもらったこともなかった私にはそれこそ宝物のようなもので, 私はその本を大事に大事に何回も読んだのです。とうとう最後にはボロボロになってしまいました。それから, 私は小学校四年生の頃, 学校の図書館で本を借りることを覚えたのです。少年少女文学ものを毎日のように借りてきては読みました。図書カードに書名が埋まっていくのが楽しみでした。様々な本を読みました。特にシャーロック・ホームズと江戸川乱歩の「怪人二十面相」は, 夢中になって読みました。毎日毎日, 夢が広がっていくようでした。いつも空想と想像の中をさまよっていたような気がします。とはいっても, まともに机に向かって勉強したということはなく, いつも野や山をかけめぐる遊びの天才でした。
 その私も, 中学生になると, 本を読むこともなくなりました。このころの私には学校の成績が一番の関心事でした。学年で一番をとるために一生懸命勉強したという記憶しかありません。テストの成績は一番から廊下に張り出されるのです。上位に自分の名前を見つけることが私の最大の幸せでした。小学生の頃, あんなに読んだ本でしたが, 私は本を読むことをすっかり忘れて勉強したのです。高校は県下の御三家といわれるところに入りました。進学校の授業は無味乾燥で私の勉強する意欲は次第に薄れていきました。このままではいけないというはやる心との葛藤が高校時代の私の姿だったと思います。心にはいつもすっぽりと何かがかぶさっているようで, 晴れない気分がいつも心を憂うつにしました。大学へいけば, 道は拓けるかもしれない。そう思って立ち直ろうとしました。しかし, 焦れば焦るほど落ちていくのでした。入学のとき上位にあった席次も国立コースにようやく残れるギリギリのところに落ちてしまいました。教科書を読んでも活字が頭の中でカラ回りするばかりで, 苦しみは極限にありました。思えば, 私の心は, 「中学時代の秀才がどうしたのだ」という気持ちの中で大きく揺れ動いていたのです。柔道に打ち込んだり, 空手にのめりこんだりでもがく自分が滑稽でした。ただ, 一つあまりにうれしかったので覚えていることがあります。現代国語の試験で県下で三番をとったことです。現国は私の得意分野でした。ただ, 例の活字のカラ回りは相変わらずで, 充足しきれない晴れない心の症状は悪化の一途を辿っていたのでした。目は猛スピードで活字を追うのに頭は全然別のことに向いているのです。目の前にある巨大な壁にまるで歯が立たずにもがく自分の姿が無様でした。落ちるところまで落ちたと思いました。
 このままではすまない。わけのわからない執念みたいなものが私の心にくすぶり続けました。私はひそかに旧帝大の受験を決意したのです。そして, 私は京都大学法学部を受験しました。しかし, 数学で木端微塵に打ち砕かれてしまいます。実は, 私は高校三年間まともに数学を勉強したことがなかったのです。中学の頃, 必死で勉強したあのときの気持ちが蘇ってきました。私は, もう一度数学をやり直し始めました。残されたわずかの期間, あこがれの京大をあきらめ, 九州大学必勝に万全を期しました。それからの私はそれこそ死に物狂いで勉強しました。予備校は嫌いでしたので, まったくの独学でした。三畳の間にこもって没頭しました。当時, 国立大学は一期校と二期校に分かれていました。一期校は3月の3, 4, 5の3日間に渡って試験が行われるのが普通でした。私は初日にあった数学で95点という高得点をとり合格することができました。
 合格が決まってから, 思い出したように, また本を読み始めました。岩波文庫をほぼ1日1冊のペースで読みました。例の活字のカラ回りもいつしか消えていました。読み始めると読み終わるまで夜を徹して一気に読みきりました。いつも夜が白む頃, 心地よい疲れの中で寝込んだものでした。夏目漱石から始まった私の読書は日本の近代文学をほとんど読み尽すまで続きました。外国ものはそれほど興味が持てず, トルストイとかドストエフスキーとかの代表的なものを読んだだけでした。
 大学に入学するとまず教養課程で学びました。しかし, 私は一般教養に飽き足らず, すぐに法律の専門書を読み始めました。初めて読んだ法律書は民法の本でした。そのときの衝撃は今でも忘れません。これが日本語なのか, さっばり理解できないのです。今思えば, 随分乱暴なことをしたのだと思います。私の前にはあまりにも高い崖がそびえたっていました。絶望的な暗い気持ちが私を覆い始めていました。私はとにかく前に進むしかないと思いました。わからないまでも私は必死に読みました。わかるまで同じ所を何度も何度も読みました。たった一行の意味がわからずそこだけで何日間も費やしたことも度々でした。そのおかげか, 専門課程では三年生の終わりにはほとんどの単位を取得してしまいました。この頃になると, 私の頭の中には法律の文章がすんなりと入っていくようになっていました。1冊の本は少なくとも5, 6回は読んだと思います。いつも, 私はよりよい本を求めていました。いい法律書かどうかがわかるようになったのはこの時分でした。いい本との出会いが私を夢中にしました。論文集を読み始めたのもこの頃からでした。あるとき手にした丸山真男の「現代政治の思想と行動」という本は今でも私の大切な1冊です。その鋭い分析は私を魅了しました。私はぐんぐん引き込まれていったのです。彼の書いたものを集められるだけ集めました。ちなみに, 丸山真男は東大の政治学を確立した学者です。彼の文章は, 大学入試では常連の出題となっています。
 ところで, 私が読みたくて果たせないままになっている本にサムエルソンの「経済学」があります。これは私が丸山に凝っていたとき経済学に対する一種のあこがれから少しかじったものです。私の心にはそのわだかまりがずっーと残っています。いつかじっくり考え考え読みたいと思いつつここまで来てしまいました。
 私は来る日も来る日も読みました。読んで考えました。自分の考えを果てしなく掘り下げていくのです。論理の透徹性に磨きをかけるのです。いろいろなことを考えました。そして読みました。ふと気がつくと, いつしか高校生の頃から私をすっぽりと覆っていたあのどんよりしたものが消えてしまっていました。そこにはぐっと睨み据えて回りを見渡している自分がいました。そのかわりに何か目に見えない得体の知れないものがはっきりとそのものとして認識されることになりました。私は常に何かを追い求めていたのだと思います。その何かが何であるとはっきりわからずに心はいつも現在進行形にあるような気がします。これはずっーとこのまま続くのだと思います。
 話は少し変わりますが, 私は法律の本とつきあうようになってから不思議なことに数学が好きになったと思います。著名な民法学者であった我妻栄先生はその著書「私法の道しるべ」の中で, 法律と数学には似たところがあり数学が得意だったことを述懐されていますが, なるほどと合点がいった次第です。
 いろいろ書いてきましたが, 私の歩んできた人生の書物との関わり合いを出来る限り具体的に書いてきました。私は, 悩み苦しみの多い人生の中で読むことの中に救いを求めたのです。それは学校の先生も父も母も私の救いにはならないと悟ったその時からでした。
 高校生の頃, 私の思いをぶっつけた父そして学校の先生が, 結局何の助けにもなってくれなかったことへの思いが, 結局は自分とじっくり話し合い自分と対決していく方向付けになりました。私は書物を読むたびにより高次な世界で自分と対決している己を実感しました。いつしか対峙していた自分が消えて唯一の自分がいました。それまでに何年もかかった気がします。改めて読んだ志賀直哉の「和解」に涙が溢れました。「赤毛のアン」に胸が熱くなりました。今私は, こんな私を専権的な父から, いつもかばってくれた母に対する感謝の気持ちでいっぱいです。人はいつも何かを求めて現実との軋轢にもがき苦しみながら生きていくのだと思います。この拙い文から私の真摯な心をそして私の伝えたいことをくみとっていただければ幸いです。


◎都立中高一貫校応募倍率
 一般枠の倍率(朝日新聞より)
 小石川中等教育  7.29
 白鷗附属       7.03
 両国附属       8.17
 桜修館中等教育  6.08
 富士附属       3.88
 大泉附属       9.09
 南多摩中等教育  9.74
 立川国際中等教育 6.14
 武蔵附属       7.70
 三鷹中等教育    6.18

 ※区立九段中等教育 8.46

◎2010年度都立高校推薦入試
 富士  募集人員 女 18 応募人員 81  倍率 4.50
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