草枕

都立中高一貫校・都立高校トップ校 受験指導塾「竹の会」塾長のブログ
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「心の指導」紹介編(第4回)

2010年01月22日 10時28分04秒 | 
◎今日は連続指導の最終日である5日目です。この時期の竹の会の子どもたちはみな真剣ですね。それにとても真面目だと思うんです。とにかく目の前の巨大なものと必死に闘っているという気がします。冷酷かもしれませんが,
こういう仕事をしているとこの時期の子どもたちの赤裸々な能力というものがよく見えてしまうんです。この問題は解けなければというのがある。これは解いてもらわなければという問題に対して,
解けないというのは, そういうときに「思考未熟」というのが, 露呈してしまうわけです。三角形の面積の求め方はたいてい知っている。それで「ある土地の面積を何個かの三角形に分けて高さを示した図を書きなさい」と問われたときに,
知っている知識をきちんと使って説明できる子と全く何をしていいのかわからない子がいるわけです。後者の子は三角形の面積を求める問題はきちんと解答することができるのに,
問われ方が「多角形の土地の面積を任意の三角形に分けて高さを書き込む」というふうになった途端に思考は空白となってしまうのです。知っている知識を「転移」できない子たちというのがひとつの能力群として認識できます。私はこうした子たちの存在を認識しています。私は最近の研究はこうした子たちに欠けている「転移能力」について向けられています。そのために大学研究者たちの論文をとにかく読みまくりたいと思っています。最近購入した論文集は2月にはじっくり読もうと思っていますが,
それにしても高価なので閉口しています。理解しない子というのは, 通常の概念区別がまずできないですね。平行四辺形で「性質」と「条件」というのがありますが,
そして性質も条件も条件の1つを除いて同じ内容です。しかし, 性質と条件ではまるで意味が違う。そこのところの概念区別ができない子というのがいます。これは教えてどうなるという問題かというと微妙ですが,
やはり能力的な壁に見えてくる。概念の違いを認識できる能力というのが, 結局「思考の素」みたいなものにいきつくと思うのです。「転移」するにも前提として,
概念の違いを理解していなければならない。同じものと違うものをはっきりと見分ける能力が分岐点となる。何が違い, 何が同じなのかということを認識し理解しているかということである。

 事実を積み重ねてひとつひとつ丹念に概念処理してゆくだけの能力こそ涵養すべきであり, 子どもに接し, 指導し, 結果その子の能力が日が照らすように透き見えてしまう。そういうときの指導者の心というのは冷徹に客観的に見てしまうものなのです。「思考が足りない」ために「解けない」という事態は試験には致命的です。



◎「心の指導」を紹介し始めた日から, ブログのアクセス数が急に増えて, ランクインを続けています。これには私もびっくりです。今日も続編を掲載しました。「心の指導」第4編は書き下ろし執筆ですが,
このまま好評であれば, 新たに第5編をこのブログで書き起こしたいと思っています。



●「心の指導」第4編より

西岡棟梁の資本主義批判は私も同意見です。飽くなき利潤追求は、世の中すべて金の風潮を蔓延させました。一番の被害者は子どもたちです。「物」に支配されて「心」を持たない少年たち。ヒノキの心を自然を敬うことを教えなければいけなかったのは私たち大人たちなのに、その大人たちが物に踊らされているのです。「ほどほどにしておけ」「腹八分」などという言葉がありますが、「あくなきまで」はやはり愚かです。動物は必要なだけ食ったらもうそれ以上は狩らない、ということですが、この点はやはり自然の摂理に従っているわけですから、偉いですよね。人間はなまじ知恵がはたらく分始末が悪い。自然を馬鹿にする。あくなき物欲が結局人間自身を追い詰めていくのでしょうかね。

長い間、子どもたちを指導してきて、いつも思うことは、子どもの心にいつもその母親の心が重なってあるということでした。子どもの心にはいつも母さんがいるのです。そしてたくましい頼りになる父さんが子どもの誇りになっているのです。やっぱり父さんはタテなんです。西岡棟梁が言うように子どものクセは母親で決められてしまうと思うのです。だから、母親が正しく子どもを育てているかということが、やはり子どもの運命を決めてしまうんです。ヒノキを育てた土壌のように母親が根の部分をしっかり支えてやることなんです。根は精神的な独立心というか、強さみたいなものです。ヒノキが風雪に耐えながらおおきくなっていく、強く生き抜く、心の支えなんです。母親が土壌としてはたらいていないと、いつまでも自立できないアダルト・チルドレンみたいなことになってしまう。土壌は根にとって決して優しい条件であってはならない。厳しい土壌が強いヒノキを生むのです。そういう厳しい土壌はこんなにりっぱなヒノキを育ててくれたんですから、ほんとうはあたたかい愛情にみちた包み込むような母親の愛の土壌だったんです。

 根にやさしい土壌はヒノキを殺します。「青々とした木に限って枝がうつむいている。黄ばんだ渋い色の葉はいったん上を向いて出て、それから下に下がる。中が空洞だと上にあがった枝が重いから耐えられんのです。それで下を向いてしまうわけです。」

子に甘くすることが、結局子を殺すことになる。これは深い母親の愛とはいえないと思うんです。



 子どものクセは、母親のくせでもあるわけです。こう述べてくると、私は指導ということで母親すなわち土壌と対しているということになります。子どもの根の部分をしっかりと支えている土壌なっら根をはるような指導ができます。しかし、根がグラグラするような土壌だと根をはるどころではありません。指導がここではできないのです。ここで必要なのは子どもの指導ではなくて、実は母親の、つまり土壌の改善のほうなんです。

 私の最近の指導理論がどうしても母親論にいってしまうわけです。ここで最初にわたしが掲げた命題を想いだしてください。

「私の指導技術と指導理論はこの七年間で変わったのでしょうか。」

今まで私が書いてきたことがその答えになるでしょうか。それまでの私は子供と」対する時子どもとしか向き合っていなかったとおもうのです。私の指導理論はあげて対子どもに向けられていました。しかし、最近の私は子どもの心の中に棲む母親をも視野に入れて子どもをみていると思うのです。子どものひとりひとりのクセを見抜いてそのクセを生かしながら教え導くことを考えるようになりました。そのために指導技術も変わってきたと思います。子どもを見るときは、母親を見て、つまり土壌を見極めて見るようになりましたから、子どもひとりひとりのとる行動を見て、クセを見て、指導技術を生かすことを考えています。



西岡棟梁の言葉を借りていえば、子どもはヒノキです。真っすぐとしたいいヒノキに育てるために私は少しばかり世の母親の皆さんのお手伝いをさせていただいています。樹齢千年のヒノキは風、雨、雪に耐えてがまん強く生きぬいてきたのです。子どもをかばうあまり子どもが悪にさらされることばかりを恐れてはいませんか。子どもが強く生きぬく術を身につけるためには悪にさらされることも必要なんです。子どもが悪と葛藤しているとき母さんは子どもの根をしっかり支えてやるいい土壌になってほしいとおもうのです。



◎受験情報

 高校の授業料無償化の動向


 政府は2010年度からの実施を考えている。去年の12月3日の広報では, 所得制限を設けることで調整が始まったとあった。

 もともと民主党の政権公約の目玉とされてきたものだが, 全国に約336万人いるとされる高校・専修学校・高等専門学校に通う生徒がいる家庭を対象とするとなるとかなりな予算である。

 文部科学省の発表では, 公立校の場合, 全国の標準的な授業料である年間11万8800円を一律に支給するという。これは都道府県を通じて学校ごとに支払うようである。そうしないで直接支給すると保護者が授業料に使わない可能性があるからである。

 私立校では最大で公立校の2倍にあたる23万7600円を支給するとされる。

 ところが都道府県や市町村, 私立高などがすでに独自の授業料減免措置をとっていることが問題となっている。これは2008年の統計では公立校で約23万人(10%),私立校で約20万人(18%)いるとされる。もし一律に支給するとなると, すでに免除されている家庭には無償化の恩恵はないことになる。減免措置を受けていない家庭にその恩恵があるということになる。

 そこで政府は所得制限をして一定の所得がある家庭には支給を少なくするなどと言いだした。これには文科省が反対している体であるが, 単なるポーズにも思える。どうなるのか10年度の予算編成を見守りたい。
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