公立中高一貫校対策の実態
適性対策としてやることはどこでも五十歩百歩であろう。適性検査が始まって既に4年が過ぎた。過去問も4年分蓄積されてそろそろいろいろととっかかりが見えてきたのか世の中が喧しくなってきた。それ専門の雑誌なども出てきてセンセーショナルにあおる。適性が始まって2年あたりから業者開発の適性類似問題が出回り始め, 竹の会にもいろいろな業者からの売り込みDMが舞い込む。大手もオリジナルの適正類似問題で有利性を訴える。
いずれにしてもやっていることは大同小異で, 適性類似問題を繰り返しやることである。そういう類の問題にとにかく「慣れる」ことが最大の対策と考えているのが見え見えである。
大手や業者には, 適性予想問題が的中したと自分たちの作った適正問題の有効性を喧伝する。
しかし, 適性予想問題が「当たった」として, 大騒ぎする意味がわからない。だれもができる問題なら予想があたろうがはずれようが関係ない。だれもができない問題が的中したとても偶然にすぎないことを価値あるものとして認める意味もない。
予想などするより, しっかり思考力をつけることだ。
適性類似問題の練習に時間を費やしすぎるのも考えものだ。単なる反復練習ではどうにもなるものでもない。適性検査問題を仔細に読み解いてみればわかるはずである。単に類似問題を大量にこなしたからといって, 次に新たに考え抜かれた本番の適正問題に本当に対応できるものかが。
まず思考力の深浅こそ肝要であろう。思考力をまずどこまで深められるかが勝負と考えている。竹の会は思考力にこだわる。算数とくに割合思考は思考力を深めるのにベストのしくみと考えている。過去の適正問題の分析を進めていくと, 様々な能力が問われていることがわかる。理科的教養や社会的教養を前提とする問題, 深い読解を前提としての「わたしの意見」を問うもの, と過去問の研究から何が求められているかを探るのはもちろん有益である。ただ形式を練習するだけではもちろんだめである。特に, 与えられた設定から推理をさせて結論を出させるという長文の問題については, 過去問を使って子どもたちにどっぷりとそのような思考の深みを経験させておくことも必要と思う。だが, いたずらに数をこなすのは危険であろう。どれだけどっぷり思考の海に没頭できたかという経験こそ大事であろう。現在ある過去問の中からすぐれた問題を選び思考の海を泳ぐ経験を積むだけで十分である。量ではない。質である。本番では見たこともない新規の推理問題が出ると開き直るがいい。予想があたるなどと考えて勉強しているといたずらに量を漁り思考が荒れる。じっくりと自身の思考スタイルを身につけることこそが肝要である。
じっくり考える。その経験を積むことである。
繰り返す。類似問題ばかり解いていると思考がいつしかなくなる。これが怖い。大量に類似問題を解くと, 思考が荒れる。これが怖い。じっくりと1問をじっくりと考える姿勢・スタイルをこそ身につけることである。未知の問題・見たこともない問題について, どのように道を切り開けばいいのかを学んでいくことである。いつも未知の問題にどう処するかが問われている。見たことのある類似の問題を何回解いても, 未知との出会いに思考で切りこんでいく態度は培うことはできない。
後記
本日6月22日(月)はお休みです。
平成19年都立武蔵適性問題Ⅲ1の解説(シャツをクリック)
適性対策としてやることはどこでも五十歩百歩であろう。適性検査が始まって既に4年が過ぎた。過去問も4年分蓄積されてそろそろいろいろととっかかりが見えてきたのか世の中が喧しくなってきた。それ専門の雑誌なども出てきてセンセーショナルにあおる。適性が始まって2年あたりから業者開発の適性類似問題が出回り始め, 竹の会にもいろいろな業者からの売り込みDMが舞い込む。大手もオリジナルの適正類似問題で有利性を訴える。
いずれにしてもやっていることは大同小異で, 適性類似問題を繰り返しやることである。そういう類の問題にとにかく「慣れる」ことが最大の対策と考えているのが見え見えである。
大手や業者には, 適性予想問題が的中したと自分たちの作った適正問題の有効性を喧伝する。
しかし, 適性予想問題が「当たった」として, 大騒ぎする意味がわからない。だれもができる問題なら予想があたろうがはずれようが関係ない。だれもができない問題が的中したとても偶然にすぎないことを価値あるものとして認める意味もない。
予想などするより, しっかり思考力をつけることだ。
適性類似問題の練習に時間を費やしすぎるのも考えものだ。単なる反復練習ではどうにもなるものでもない。適性検査問題を仔細に読み解いてみればわかるはずである。単に類似問題を大量にこなしたからといって, 次に新たに考え抜かれた本番の適正問題に本当に対応できるものかが。
まず思考力の深浅こそ肝要であろう。思考力をまずどこまで深められるかが勝負と考えている。竹の会は思考力にこだわる。算数とくに割合思考は思考力を深めるのにベストのしくみと考えている。過去の適正問題の分析を進めていくと, 様々な能力が問われていることがわかる。理科的教養や社会的教養を前提とする問題, 深い読解を前提としての「わたしの意見」を問うもの, と過去問の研究から何が求められているかを探るのはもちろん有益である。ただ形式を練習するだけではもちろんだめである。特に, 与えられた設定から推理をさせて結論を出させるという長文の問題については, 過去問を使って子どもたちにどっぷりとそのような思考の深みを経験させておくことも必要と思う。だが, いたずらに数をこなすのは危険であろう。どれだけどっぷり思考の海に没頭できたかという経験こそ大事であろう。現在ある過去問の中からすぐれた問題を選び思考の海を泳ぐ経験を積むだけで十分である。量ではない。質である。本番では見たこともない新規の推理問題が出ると開き直るがいい。予想があたるなどと考えて勉強しているといたずらに量を漁り思考が荒れる。じっくりと自身の思考スタイルを身につけることこそが肝要である。
じっくり考える。その経験を積むことである。
繰り返す。類似問題ばかり解いていると思考がいつしかなくなる。これが怖い。大量に類似問題を解くと, 思考が荒れる。これが怖い。じっくりと1問をじっくりと考える姿勢・スタイルをこそ身につけることである。未知の問題・見たこともない問題について, どのように道を切り開けばいいのかを学んでいくことである。いつも未知の問題にどう処するかが問われている。見たことのある類似の問題を何回解いても, 未知との出会いに思考で切りこんでいく態度は培うことはできない。
後記
本日6月22日(月)はお休みです。
平成19年都立武蔵適性問題Ⅲ1の解説(シャツをクリック)