おはようございます。窓を閉めれば蒸し暑く、開ければ肌寒い、奇妙な気候です。気がつけばもう6月の末日です。1月を勘定に入れなければ受検勉強に使える時間は正味6か月となりました。7月には早々と早稲田進学会の模試第1回が始まります。また都立模試は8月末からを予定していますが、この7月、8月でどこまで稔りある成果があげらるのか、一抹の不安はぬぐい去れません。
夏というのは、恐ろしいほど正直です。かつてわたしの通った高校では、夏休み40日間、「1日10時間勉強した者は京大に受かる」と言われました。エアコンも家庭に普及していなかった時代です。想像を絶する体力、精神力がなければできることではありません。もっとも今のようにエアコンが完備していても結局快適な睡眠環境を用意しただけで終わる人たちが大多数でしょうから、エアコンどうのこうのという話しは問題になりません。わたしの大学時代の級友は、木造の下宿屋のような集合アパートの四畳半一間の部屋を借りていましたが、その部屋の隣は共同便所で風通しも悪くとにかくひどい部屋でした。彼はその部屋で2年間1日10時間以上の勉強をし司法試験に27番で合格しました。夏は小さな扇風機が一台回っているだけの部屋で黙々と勉強していました。彼は発狂寸前までいったと後に述べておりました。狭い木賃宿みたいなアパートの廊下を隔てた部屋で飼われているネコが壁をがりがりやりよく入ってきたそうです。すると彼はそのネコを絞め殺したくなると申しておりました。
一度はそういう極限にまで自分を追い込むほどの勉強をしてみたいとわたしはよく思いました。
意志と体力勝負です。小6のみなさんの中にはそれほど大人としての自覚を持った人がいるのかといえば、否定的ですが、ただ今年桜修館に合格した女子に実はその姿を見たという思いがわたしにはずっとありました。体力もそうですが、そこまでの強い意志を持っている小6はいない、なかなかいないように思います。これは中3,いや中学生についても言えることですが。
平成17年のことでしたか、当時の小泉内閣が郵政民営化を進めるために世論の支持をどうしたら得られるか、という問題提起をし、民間の会社に戦略の企画を依頼したのは。そのとき、A層、B層、C層、D層という分類が示されました。小泉の政策に対する賛否を縦軸、IQを横軸にとって、座標軸で示された、第1象限、第2象限、第3象限、第4象限で分類された中のB層は「小泉の政策を支持し、かつIQが比較的低い」、第4象限に分類されたものです。B層というのは、「新しいモノ好きのバカ」という定義です。
あのときの選挙でこのB層が日本の運命を決定したようなものです。
B層というのは構造改革がどういう性質のものであるかを知らないし、知ろうともしない。ただ改革=新しい=なんだかよさそう、程度のバカ層です。
B層は、、A層、つまり「小泉の政策を支持し、かつIQが比較的高い」層の言うことをそのまま鵜呑みにするわけです。B層を制すれば世論の支持は簡単に得られる、こういうわけです。
さて、こうして世論というのは、IQが低い国民をだますことによって形成されていくということがわかってきました。
B層は洗脳されやすく、迷信深い人たちの層です。テレビでどうでもいい番組を流していさえすれば政治の動向なんか一向に関心を払わない層ですから、政権にはこれほど都合のいい層はありません。消費税が8%になり、10%になるといっても、特に、暴動を起こすということもない人たちです。新聞の真実を伝えない不作為にも何も文句も言いません。政府が都合の悪いことを隠してもそれで政権批判することもなくA層の洗脳のままに動く人たちです。
郵政民営化を初めとする構造改革がもたらしたもの、それはB層はもちろんD層(新しいものに懐疑的なバカ層)、C層(新しいものに懐疑的な賢い層)まで巻き込んで、貧富の差を拡大し、貧困を社会問題化したのです。
民営化というのは、つまり規制を自由化し、小さな政府を作ろう、ということです。とすれば、規制緩和に進む政策は、自由競争に任せる、つまり国は弱者を守るという役目を放棄して、市場原理に任せる、ということです。ですから、民営化というのは、構造上もともと貧困を作り拡大するという本質を有する、内在するものであったということです。
思考停止したB層が、それはじいちゃん、ばぁちゃん、おばさん、おっさんたちが熱狂して小泉を支持した結果、いつかは訪れる当然の結果だったのです。
山本七平は、現代の情報の氾濫をとらえて、「情報は、受け取る側にその意志がなければ伝達は不可能である」ということを言っていますが、小泉はA層の言うがままに動くB層の意志を見事にコントロールしたことになります。
B層は、自己の感触以外は一切信頼せず、他の情報をすべて拒否するか、自己の感触に適合した情報しか耳を傾けないという態度に象徴されます。
人の意見には簡単には動かされないと思っているようで、実は、政権によって操作された情報を簡単に信じ、洗脳されやすく、迷信を信じやすい人たちなのです。
原発の実態を報じないテレビ、新聞にも全く不思議と思わないおめでたい人たちによってこの世の中が動かされることの恐ろしさを感ぜざるを得ません。
夏というのは、恐ろしいほど正直です。かつてわたしの通った高校では、夏休み40日間、「1日10時間勉強した者は京大に受かる」と言われました。エアコンも家庭に普及していなかった時代です。想像を絶する体力、精神力がなければできることではありません。もっとも今のようにエアコンが完備していても結局快適な睡眠環境を用意しただけで終わる人たちが大多数でしょうから、エアコンどうのこうのという話しは問題になりません。わたしの大学時代の級友は、木造の下宿屋のような集合アパートの四畳半一間の部屋を借りていましたが、その部屋の隣は共同便所で風通しも悪くとにかくひどい部屋でした。彼はその部屋で2年間1日10時間以上の勉強をし司法試験に27番で合格しました。夏は小さな扇風機が一台回っているだけの部屋で黙々と勉強していました。彼は発狂寸前までいったと後に述べておりました。狭い木賃宿みたいなアパートの廊下を隔てた部屋で飼われているネコが壁をがりがりやりよく入ってきたそうです。すると彼はそのネコを絞め殺したくなると申しておりました。
一度はそういう極限にまで自分を追い込むほどの勉強をしてみたいとわたしはよく思いました。
意志と体力勝負です。小6のみなさんの中にはそれほど大人としての自覚を持った人がいるのかといえば、否定的ですが、ただ今年桜修館に合格した女子に実はその姿を見たという思いがわたしにはずっとありました。体力もそうですが、そこまでの強い意志を持っている小6はいない、なかなかいないように思います。これは中3,いや中学生についても言えることですが。
平成17年のことでしたか、当時の小泉内閣が郵政民営化を進めるために世論の支持をどうしたら得られるか、という問題提起をし、民間の会社に戦略の企画を依頼したのは。そのとき、A層、B層、C層、D層という分類が示されました。小泉の政策に対する賛否を縦軸、IQを横軸にとって、座標軸で示された、第1象限、第2象限、第3象限、第4象限で分類された中のB層は「小泉の政策を支持し、かつIQが比較的低い」、第4象限に分類されたものです。B層というのは、「新しいモノ好きのバカ」という定義です。
あのときの選挙でこのB層が日本の運命を決定したようなものです。
B層というのは構造改革がどういう性質のものであるかを知らないし、知ろうともしない。ただ改革=新しい=なんだかよさそう、程度のバカ層です。
B層は、、A層、つまり「小泉の政策を支持し、かつIQが比較的高い」層の言うことをそのまま鵜呑みにするわけです。B層を制すれば世論の支持は簡単に得られる、こういうわけです。
さて、こうして世論というのは、IQが低い国民をだますことによって形成されていくということがわかってきました。
B層は洗脳されやすく、迷信深い人たちの層です。テレビでどうでもいい番組を流していさえすれば政治の動向なんか一向に関心を払わない層ですから、政権にはこれほど都合のいい層はありません。消費税が8%になり、10%になるといっても、特に、暴動を起こすということもない人たちです。新聞の真実を伝えない不作為にも何も文句も言いません。政府が都合の悪いことを隠してもそれで政権批判することもなくA層の洗脳のままに動く人たちです。
郵政民営化を初めとする構造改革がもたらしたもの、それはB層はもちろんD層(新しいものに懐疑的なバカ層)、C層(新しいものに懐疑的な賢い層)まで巻き込んで、貧富の差を拡大し、貧困を社会問題化したのです。
民営化というのは、つまり規制を自由化し、小さな政府を作ろう、ということです。とすれば、規制緩和に進む政策は、自由競争に任せる、つまり国は弱者を守るという役目を放棄して、市場原理に任せる、ということです。ですから、民営化というのは、構造上もともと貧困を作り拡大するという本質を有する、内在するものであったということです。
思考停止したB層が、それはじいちゃん、ばぁちゃん、おばさん、おっさんたちが熱狂して小泉を支持した結果、いつかは訪れる当然の結果だったのです。
山本七平は、現代の情報の氾濫をとらえて、「情報は、受け取る側にその意志がなければ伝達は不可能である」ということを言っていますが、小泉はA層の言うがままに動くB層の意志を見事にコントロールしたことになります。
B層は、自己の感触以外は一切信頼せず、他の情報をすべて拒否するか、自己の感触に適合した情報しか耳を傾けないという態度に象徴されます。
人の意見には簡単には動かされないと思っているようで、実は、政権によって操作された情報を簡単に信じ、洗脳されやすく、迷信を信じやすい人たちなのです。
原発の実態を報じないテレビ、新聞にも全く不思議と思わないおめでたい人たちによってこの世の中が動かされることの恐ろしさを感ぜざるを得ません。